OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

8.内なる音楽

<OSHOの講話より> 

人間のハートは楽器だ。 

それは偉大な音楽を内包している。 

それは眠っている。 

だが、それはそこにある。 

奏でられるべき、表現されるべき、歌われるべき、踊られるべき、 

正しい瞬間を待ちながら。 

そしてその瞬間がやって来るのは、 

愛を通してだ。 

愛のない人は、 

どんな音楽を自分のハートの中にはらんでいるのか、 

けっして知ることがない。 

愛を通してのみ、その音楽は生き、 

目覚めはじめる。 

潜在性から現実になりはじめる。 

愛は、そのプロセスの引き金を引く。 

愛は触媒だ。 

そしてもし、 

愛があなたの内なる音楽のプロセスの引き金を引かないのなら、 

その時には、 

それは愛のふりをした何か他のものに違いない。 

それは愛ではない。 

それは肉欲かもしれない。 

ただの性欲、官能かもしれない。 

性欲、あるいは官能のなかに、何ひとつ悪いものはない。 

肉欲のなかに、何ひとつ悪いものはない。 

私はそれらを非難してはいない。 

それらは、それ自体としては良い。 

だが、愛ではない。 

それらは愛であるふりをすることはできる。 

人をだまし、それは愛だと思い込ませることはできる。 

そして、それを識別する基準は、 

もしあなたの内なる音楽が流れはじめるなら、 

そのときそこには愛があるということだ。 

突然、あなたは深いハーモニーの中にいる自分を感じる。 

あなたは、もはや不協和音ではない。 

あなたはひとつの和音になる。 

あなたは、もはや混沌(カオス)ではない。 

あなたは宇宙(コスモス)になる。 

そして、生は新しい質をそなえはじめる。 

歓喜の質を、ハレルヤの質を! 

それが唯一の基準だ。 

探し続けなさい。 

愛のなかに、深く、 

もっと深く入りつづけなさい。 

すると、ある日、 

あなたは自分の内なる音楽に巡り会うだろう。 

そして、そのあとでは、 

生はけっして同じではありえない。 

実のところ、そのあとにこそ、 

生ははじまる。 


「生・愛・笑い」(めるくまーる社)より抜粋