8.内なる音楽
<OSHOの講話より>
人間のハートは楽器だ。
それは偉大な音楽を内包している。
それは眠っている。
だが、それはそこにある。
奏でられるべき、表現されるべき、歌われるべき、踊られるべき、
正しい瞬間を待ちながら。
そしてその瞬間がやって来るのは、
愛を通してだ。
愛のない人は、
どんな音楽を自分のハートの中にはらんでいるのか、
けっして知ることがない。
愛を通してのみ、その音楽は生き、
目覚めはじめる。
潜在性から現実になりはじめる。
愛は、そのプロセスの引き金を引く。
愛は触媒だ。
そしてもし、
愛があなたの内なる音楽のプロセスの引き金を引かないのなら、
その時には、
それは愛のふりをした何か他のものに違いない。
それは愛ではない。
それは肉欲かもしれない。
ただの性欲、官能かもしれない。
性欲、あるいは官能のなかに、何ひとつ悪いものはない。
肉欲のなかに、何ひとつ悪いものはない。
私はそれらを非難してはいない。
それらは、それ自体としては良い。
だが、愛ではない。
それらは愛であるふりをすることはできる。
人をだまし、それは愛だと思い込ませることはできる。
そして、それを識別する基準は、
もしあなたの内なる音楽が流れはじめるなら、
そのときそこには愛があるということだ。
突然、あなたは深いハーモニーの中にいる自分を感じる。
あなたは、もはや不協和音ではない。
あなたはひとつの和音になる。
あなたは、もはや混沌(カオス)ではない。
あなたは宇宙(コスモス)になる。
そして、生は新しい質をそなえはじめる。
歓喜の質を、ハレルヤの質を!
それが唯一の基準だ。
探し続けなさい。
愛のなかに、深く、
もっと深く入りつづけなさい。
すると、ある日、
あなたは自分の内なる音楽に巡り会うだろう。
そして、そのあとでは、
生はけっして同じではありえない。
実のところ、そのあとにこそ、
生ははじまる。
「生・愛・笑い」(めるくまーる社)より抜粋