OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

12.前世療法:ブライアン・ワイスについて

<OSHOの講話より>  

つい先日、私はあなた方にブライアン・ワイスと彼の著作「前世療法」について話した。彼はまた、他の事実にも出くわしていた・・・だが、何年もの間、彼はその事実を隠していた。社会を恐れるがゆえに・・・。 

特にキリスト教を・・・というのも彼はキリスト教の社会に生きているからだ。彼は催眠術を使い、人々を過去生へと連れて行った。 

さて世界の三大宗教であるキリスト教イスラム教、ユダヤ教は、過去生も、来世もまったく信じない。彼らは自分達をひとつの生だけに限定する。それゆえに何年も成功を収めていたにも関わらず、彼は仲間にも同僚にも話さなかった。 

彼は催眠のもと、患者たちを各々の過去生へと連れて行った。そして奇妙なことに、いかなる心の病でも、ひとたびその原因を過去生に見つけるやいなや、この生での症状は消え失せた。 

彼は多くの者を過去生へ連れて行くことだけで癒した。過去生からの傷、痛みを・・・マインドを心理分析したとしても役には立たない。 

しかし再び、私はブライアン・ワイスに、東洋全体が過去生と再生を明らかにする為にその全叡智を注いで来たことを覚えておいてほしい。 

この国が約1万年にわたり、様々なテクニック、技法を用いて過去生へと到達しようとした、世界で唯一の国だという単純な理由から、あなたが夢に見るのもかなわないほど、私達はそのことについて知っている。 

しかし、ブライアン・ワイスの実験はきわめて勇気のある実験だった。キリスト教原理主義者達をかき乱すことにも関わらず、彼は発表した。 

彼は心理分析を20年しても不可能なことが、催眠術を使えば数セッションで可能だと言う。その人を過去生に連れて行くだけでいい。その人はこの生からではない傷を持っている。原因に到達しない限り、それは消滅しない。 

しかし、難題がある・・・おそらく彼は気づいてさえいない。その人は過去生に到達したと空想しているだけなのかもしれない。いかに区別する?その人は催眠のもとで過去生に到達している夢を見ているにすぎないのかもしれない。 

その想像、幻影、夢でさえ、その症状を取り除く助けとなるかもしれない。が、誕生を越え、死を越えて過去生に到達したとは確信できない。そして多くの生に関して言うなら、催眠のもとでその人が空想している可能性はより高い。 

ブライアン・ワイスは理解する必要がある、というのも私の言っていることは、まず患者に瞑想を教えない限り・・・瞑想は、想像の、思考の、夢の、幻影の、迷いのまさに根そのものを断つ。瞑想は完全にマインドを切り離す。 

催眠のもとでその人が本当に過去生に到達したのかは、瞑想の後でしか確実ではない。そして過去生を思い出すのではなく、再び生きることがその徴(しるし)だ。 

瞑想を実習した後の深い催眠状態の中、人は過去生を思い出すのではなく、再び生きる。思い出すことと、再び生きることの間には大きな違いがある。 

もし、あなたのマインドが思い出すだけで心の傷を癒す助けとなるなら、再び過去生を生きることは、心の病を取り除くだけでなく、あなたの実在の周りにあるすべての暗闇を取り除くことになると、あなたには実によく理解できるだろう。 

それは、あなたに精神的成長をもたらし得る・・・そして、それは途方もない違いだ。 

しかし、彼は口火を切った。私は彼を尊敬する。それでも患者が夢を見ているのではなく、異なった時空に入って行ったと確定するには、彼は多くを学ぶ必要がある。 

私達はセラピー(精神療法)をあらゆる瞑想とともに行っている。そして、1日を私と共にもっとも深い瞑想で締めくくる・・・あなたはノー・マインド(無心)と呼ばれる空間の中で、あなたに本来備わっているところのブッダ・ダンマ・・・ブッダである自身の本性を感じ、認め、祝い始める。 

これらの瞑想の後でも、もし傷がいくつか残っているとしたら、もしあなたの心が病気のままだとしたら、再誕生へと向かっていく為に、この生を越えていく為に、催眠術のセッションを数回ここで受けるのもいい。 

だが覚えておきなさい。過去生を思い出す為に努力するのではなく、過去生がそれ自身をあなたに明らかにするのをただ許す、ということを。 

思い出したという感じがするのではなく、それを再び生きているという感じがするだろう。過去生を再び生きることは、あなたを完全にきれいにする。 

それは必須ではない。もしあなたが深く瞑想しているなら、それだけで充分だ。それでも充分でないなら、おそらく、過去生を再び生きることも途方もない助けになり得る。 

ドクター・ブライアン・ワイスは、人生は一回しかないと考えるキリスト教徒達から、イスラム教徒達から、そして自分の同僚達から途方もない悶着を起こされることになる。しかし、彼はライオンの一歩を踏み出した。 

私は東洋から彼を支持する。彼は初心者にすぎないが、彼の発見は一万年にわたる東洋の発見と符号している。 

それゆえに私は彼をここに招待する。思い出すことと、再び生きることの違いが分かるように、催眠術だけでは確定的ではないと理解できるように。 

思考、想像、幻想のゴミを切り落としていないがゆえに、それは確定的ではない。そういったゴミは出てくる。それでもあなたが催眠術で過去生に到達したと言い張るなら、その人にはどうすることもできない・・・ 

彼は自分のマインド(主観)の投影(プロジェクション)を信じる。そういった投影でさえ、心理分析よりは役に立つ。しかし、これらが人に変容をもたらすことはない。 

あなたは病人に働きかけているだけだ。健康な人々もまた途方もなく助けが必要だ、とあなたに分かるかね?あなたは心理的にも肉体的にも健康かもしれない。だがそれはあなたを完全な人にはしない。 

「彼方なるもの」「神秘なるもの」を知らない限り、あなたは何も知らない。健康的な人生を過ごすことはできる、そして、健康的な心臓発作に見舞われる! 

心臓発作が、病人には滅多に起きないことは周知の事実だ。心臓発作を起こすには、ある程度の体力が必要だ。80歳以上で死ぬ人は滅多にいない、という事実に気づいたことがあるかな? 

90歳以上で死ぬ人はより少なく、100歳以上になると死ぬ人はほとんどいない。というのも、死ぬにもいくらかの体力を必要とする。100年も生きた後には、あなたはあまりにも消耗しきって・・・死ぬこともできない。 

東洋と深い接触を持つことは、彼にとっても都合がいい。なぜなら彼は西洋からいかなる支持も得られないからだ。そしてひとりではキリスト教の、ユダヤ教の、イスラム教の、共産主義既得権益を有する人々と闘うことはできない。 

今や世界のほぼ4分の3が、人間は物質的現象にしか過ぎない、魂は存在しない、ひとつの身体から別の身体に動いて行く者は誰もいないと信じている。 

未だにこの国は、再生の理論と実践の唯一の拠り所として残存している。それゆえ私は彼を招待した。ここなら彼は花開くことができるかもしれない。ふさわしい土壌と、ふさわしい環境のなかで。現在の西洋でそれは不可能だ。 

・・・再生の概念は、従来、科学的根拠がないと片付けられてきたが、精神科医により恐怖症、その他の精神病の治療に次第に度を増して用いられている・・・だが、彼らは公にはしない。 

彼の著作「前世療法」の中で、ブライアン・ワイスは、催眠術のもとで患者を過去生へと退行させた彼の体験について書く「勇気を集める」のに4年かかったと述べている。 

彼は、保守的な職業での隆盛な自分の経歴を心配したと述べた。しかし人々の反応は彼を驚かせた。彼は愚弄されなかった。 

もう少し待ってごらん、ブライアン・ワイス。あなたは伝統を強打してはいない。あなたは心の病を助ける、ひとつの手段を提案したにすぎない。 

しかし再生の概念はさらに先へ進む。あなたはもう一度、驚かせることになる・・・そして、あなたの同僚に愚弄される。なぜなら、それは彼らの神学体系全体を誤りとするからだ。 

・・・だから少し待ってごらん。彼らがあなたを愚弄し始める前に、東洋に支援を得る為に、一万年の実験によって集積されたより多くの資料を得る為に来れるなら、望ましいことだ。あなたはより洗練され、より科学的でいられる。 

だが、あなたはまだ瞑想については何も知らない。あなたが瞑想を知った時に初めて、催眠術は価値を得る。そして適した土壌、適した環境のもとで、あなたがひとたび育ち始めたなら、あなたは西洋に戻るに充分な勇気を得る。 

そして何千年にもわたって承認され、認められている単純な事実を、ただ表明するだけの「勇気を集める」為に4年も待つ必要などない。 

おそらく彼は、東洋における内なる世界の数々の発見に気づいていない・・・彼はここに歓迎するのにふさわしい人のようだ。彼が理論に磨きをかける助けなら私達にできる。 

人生は一度きりではない・・・過去にも数多くの生があった。そして、あなたがブッダにならない限り、数多くの生を生きることになると、西洋は理解する必要がある。 

ひとたびあなたが心底ブッダとなったら・・・内にも外にも共時性を持って・・・あなたは究極なる宇宙に消え去る。あなたは個々の身体を必要としない。全存在があなたの身体となる。 

しかしブッダとならない限り、身体から身体へと次々に移っていかなければならない。それは拷問だ。あなたは囚われの身だ。 

究極の自由を得る為に、あなたは青空へと進んで消え去ることのできる、純粋な意識とならなければならない。この青空へと消え去ることは消滅ではない。この青空へと消え去ることは、全体とひとつになることだ。 

聖フランシスの病院で種々のプログラムを指導している、もうひとりの有名な臨床心理医のアリーン・ハイズマンは、ドクター・ブライアン・ワイスについて「他の誰かがその本を書いたとしたら私は信じなかったでしょう」と述べた。 

しかしこれは信じているのではなく、ただその人を信頼しているというだけだ。患者たちの夢の中を、想像の中を、催眠術を使って駆け巡っているだけかもしれない、その人を。

彼にはまだ、想像ではなく本当に過去生を再び生きていると言明するだけの正当性も証拠もない。 

過去生を再び生きるというのは、広大な現象だ。ひとつの臨床の手段としても使えるが、それは真の目的ではない。真の目的は、あなたの実在に新しい方向づけを与えること、内なる世界を再評価することだ。 

そして何千回となく自分が生まれて来ているという事実を見て・・・それにはうんざりさせられる。同じ欲望、同じ嫉妬、同じ強欲、同じ暴力を、あなたは数限りなく行って来た。 

それらすべての生を再び生きることができたなら、その再び生きること自体が、あなたを全面的に変える。あなたはいかなるものも、これ以上欲しない。あなたは充分に欲して来た。 

過去生であなたが達成したものは何であれ、単なるシャボン玉だったと証明された。今となっては、シャボン玉の後を再び追いかけることに意味はない。もう一切の欲望を止める時だ。もう一切の強欲を止める時だ。 

もう内側を見る、そしてあなたの本来の面目を見る時だ。あなたは同じ道を車輪のように幾度も幾度も回り続けている。同じスポークが、ときには上に、ときには下に。それは同じ車輪だ。 

いかにこの誕生と死の車輪から抜け出せるのかが、東洋の意識全体にとって唯一の焦点だった。そしてそれは確かにインドで、中国で、チベットで、日本で数多くの人々が光明を得る、ブッダとなる助けとなった。 

全世界の人々が、それと同じ内包された生得権を持っている・・・ 

OSHO, Zen:Mystery and The Poetry of the Beyond より抜粋(1989,2,9)