OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

17.火は燃え尽きてしまったのか?

<OSHOの講話より> 

質問:ボーイフレンドと私はお互いに愛し合っています。そして、私は彼と2人が1人の人間であるかのように、どこまでも深く成長していきたいと思っています。けれども最近、私たちはあまり性的な関係を持っていません。そして彼は、私たちはむしろ兄と妹のようになっていると感じています。OSHO、火は燃え尽きてしまったのでしょうか?それとも進むべきこれ以上のものがあるのでしょうか? 

あなたは何が起きているのかを理解出来なかった・・あなたは見逃した。あなた方はともに、起こっていることを覗き込むことに失敗した。もし愛がより深く行くなら、夫と妻は、兄と妹になる。 

もし愛がより深く進んで行くなら、太陽のエネルギーは月のエネルギーになる。熱さは去る。冷めていく。そして愛がより深くなる時、あなた方に起きているような誤解もまた起こる・・というのも私たちは、その熱、情熱、その興奮に慣れてしまっているからだ。今はそれらすべてが馬鹿げて見える。それは馬鹿げている!今やあなた方が性的に愛し合おうとすると、それは愚かに思えるだろう。また、古くからの習慣のため性的に愛し合わないと、あなたは何かが欠けているように感じる。 

あなたはやって来つつある、この冷めた状態を理解しなければならない。もちろん、あなた方がひとつの存在のように感じ始める時、恐怖が生まれる。起こっていることへの恐怖・・というのも、あなた方があまりにも1人の人間のようになってしまったなら、あなた方は相手を忘れ始めるからだ。他人というのはただ「他の人」としてだけ認識される。

心理学者は、子供が覚え始めて最初に口に出す言葉は「お母さん」ではなく「お父さん」だ、と言っている。そしてそれは母親を傷つける。なぜなら、彼女は子供を世話し続けて来たし、9か月間自分のお腹の中に彼らを抱え込んでいたからだ。彼女は24時間子供と一緒にいる。だが、その子が初めて言葉を口にする時、「お父さん」と呼ぶ。父親はただ周辺にいる。母親はとても近くにいる・・子供は彼女を裏切っている! 

しかし、それには理由がある。母親が子供とあまりにもひとつになっているので、子供はまだ母親を呼ぶことが出来ない・・これがその理由だ。母親があまりにも子供とひとつになっているので、子供は母親が他の人だという感覚を持っていない。子供は父親が母親ほどひとつになっているようには感じられない。彼は帰って来るけれど、朝には仕事へ行ってしまう。彼はもはやいない。夕方また帰って来る。そして、時々やって来て子供と遊ぶ。けれどもまた行ってしまう。 

だから、最初は「お父さん」と呼ぶ。それからだんだんと子供は言葉を覚え、ある日「お母さん」と呼ぶ。3番目に子供は自分の名前を覚える・・というのも、子供にはそれが最も難しいことだからだ。 

今や、子供は母親とも分たれていることを理解することが出来る。お腹が空いていても、母親が台所から来てくれない時がある。また、ときには子供はお漏らしする。でも彼女は誰かと話しをしている。子供は、彼女が他人であるのを感じ始める・・自分と完全にひとつではない。だが自分自身はひとつだ。そのようにして、子供が最後に覚えるのは自分自身の名前だ。 

だから、恋人同士がひとつになり始める時、恐怖がやって来る。「相手が失われようとしているのだろうか?」ある意味ではその通りだ。というのも、相手を他人として感じられないからだ・・それで、兄妹愛といった思いがやって来る。なぜだろう?兄妹の愛には興奮がない。それは冷めている。冷めていて穏やかだ・・情熱もなく、官能的でもなく、性的でもない。 

夫と妻があまりにひとつの存在のように感じ始める時、恐怖がやって来る・・相手を当然のこととして取り始めてしまったのだろうか?相手は兄か妹のようになってしまったのだろうか?そして、時々人は何かが欠けていると感じ始める・・ある種の空虚さ。だが、過去を通してそれを見ないように。私に耳を傾けて、未来からそれを見るようにしなさい。

たくさんのことが、この空虚さの中で起こる。たくさんのことが、この親密さの中で起こる・・あなた方はともに消えてしまう。完全に性的なものでなくなる。あらゆる熱が去った。その時、あなた方はまったく異なった質の愛を知るようになる。あなた方に生まれたその質を、私は祈りと呼ぶ。だが、それはまだ未来にある。それはまだ起きなかった・・あなた方はそれに向かう途上にいる。過去は過ぎ去った。が、未来はやって来ていない。

この中間の時期は少し辛いだろう。だが、過去を考えないようにしなさい。それは過ぎ去った。それは永遠に過ぎ去ったのだ・・たとえあなたがやろうとしても、それを取り戻すことは出来ない。それは非常に馬鹿げている。それはとても愚かしい。あなたはそれを引き戻すことは出来る。あなたには出来る。だが、あなたは失敗するだろう。そしてそれはさらに欲求不満を作り出してしまう。もう試してはならない。ただ新しいやり方で愛し合いなさい・・この新しく始まった愛が起こるのを許してごらん。 

お互いを抱き締めて、互いに愛し合い、気づかい合いなさい。そして熱にあこがれてはならない・・というのも、その熱さというのは狂気であるからだ。それは一時的な興奮だ。それが去ったのはいいことだ。だから、あなた方は自分たちを幸運と思うべきだ・・それを誤解してはならない。 

もし本当に私の言っていることを聞き、深く進むなら、それはここで恋人たちに起こるだろう。あなたがもっと深い愛が欲しいというなら、これがあなたの求めている深みなのだ。情熱的な愛は表面的だ。慈悲の愛は中心にある・・これが深みだ。 

OSHO, For Madman Only より抜粋