OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

18.愛の全パターンを変えなさい

<OSHOの講話より> 

質問:自由を愛するがゆえに、私はいつも恋人に出来る限りの自由を与えてしまいます。私はしばしば、自分で自分を傷つけるような居心地の悪い状況に追い込んでしまいます。これは私が自分をあまり愛していなくて、だから自分を二の次にしてしまっているということなのでしょうか? 

それは、あなたが考えている以上に込み入っているだろう。第一に、自分は恋人に自由を与えているという考えは間違っている。恋人に自由を与えるあなたとは何者なのか? 

あなたは愛することが出来るし、その愛には自由も含まれる。それは与えなければならない何かではない。それが与えねばならないようなものであれば、あなたが直面しているような問題が起こってくる。だから最初から、あなたは何か間違ったことをしている。 

あなたは本当は自由を与えたくはない。あなたは自由を与えねばならなくなるような状況が起こって来ないことを望んでいるに違いない。が、あなたは、私が何度も何度も繰り返し「愛は自由を与える」と言うのを聞いているので、自分に無意識のうちに自由を与えるように強いている。 

なぜなら、そうしなかったら、あなたの愛は愛ではなくなってしまうからだ。あなたは困った状況にいる。自由を与えなかったら、自分の愛を疑いだす。自由を与えれば、与えられないものを与えている・・・。 

エゴは嫉妬深い。それは千とひとつの疑問を発する・・・「私は恋人にとって充分ではないのだろうか?彼女には自由が、私から解き放たれて、他の誰かと一緒になるための自由が必要なのだろうか?」 

あなたはそれで傷ついて、そのために「私は自分を二の次にしている」と感じ始める。彼女に自由を与えることで、あなたは他の誰かを第一にして、自分を二の次にしている。それはエゴに対立するし、いずれにせよ何らかの助けにはならない。 

なぜなら、あなたは自分が与えた自由に復讐をしたくなるからだ。自分にも同じ自由が与えられることを願う・・・自分にそれが必要か否かは問題ではない・・・単に自分が軽く扱われていないことを証明したくなる。 

第二に、恋人が他の誰かと一緒にいるので、あなたは彼女と一緒にいることに少し奇妙さを感じる。そのことがあなたと彼女との間に立ちはだかっている。彼女は他の誰かを選んで、あなたを落とした。彼女はあなたを侮辱した。 

あなたは随分多くのことをしてやった。彼女に自由を与えるほど気前がよかった。傷つけられたと感じているので、あなたは何かのやり方で彼女を傷つけようとする。 

しかし、そのすべてのことは、ひとつの誤解から起こってきた。私は「愛する時には、自由を与えよ」と言ったのではない。いいや、私が言ったのは「愛は自由だ」ということだ。 

それは与えるという問題ではない。与えねばならないのなら、与えない方がいい。他のみんなと同じようにやりなさい。なぜ訳もなく複雑にするのか?・・・ただ普通にしているだけで充分だ。 

あなたの愛そのものが、その一部に自由の質を備えるようになったら、恋人はあなたに許しを求める必要すらなくなる・・・実際、もし私があなたの立場で、恋人が私の許しを求めたなら、私は傷ついてしまう。それは彼女が、私の愛を信頼していないことを意味しているからだ。 

私の愛は自由だ。私は彼女を愛して来た。それは彼女が他の誰かと一緒に笑い、他の誰かと一緒に踊り、他の誰かを愛することが出来ないように、すべての扉や窓を閉ざさねばならないということを意味するのではない・・・なぜなら、私たちは何者だろう? 

これは誰もが尋ねなければならない基本的な問いだ。私は何者か?私たちはみな異邦人であり、自信たっぷりに「お前に自由を与えよう」とか「お前に自由を与えない」とか「私を愛するなら、他の誰かを愛してはいけない」とかいったことを言う、どんな根拠があるというのか? 

そういったものは愚かなでしゃばりに過ぎないが、それが人間たちを太古の昔から支配してきた。私たちはいまだに野蛮だ。私たちは、いまだに愛とは何なのかを知らない。 

もし誰かを愛するなら、私は、その人が私の愛を許してくれたことを、それを拒絶しなかったことを感謝する。それで充分だ。が、私は、彼女を牢獄に閉じ込めるようなことはしない。 

彼女が私を愛してくれたので、私はそのお返しとして、彼女の周りに牢獄を作り出す。私は彼女を愛したので、彼女はそのお返しに、私の周りに牢獄を作り出す。私たちは互いに大した見返りを与え合っているものだ! 

もし私が誰かを愛するなら、私は感謝するだけで、彼女の自由は手つかずのままだ。それは私によって与えられたものではない。それは彼女の生得権であり、私の愛がそれを奪うことは出来ない。 

どうして愛が誰かの自由を、とりわけあなたが愛している人の自由を奪うことが出来るだろう?それは彼女の生得権だ。「私は彼女に自由を与える」と言うことすら出来ない。 

まず第一に、あなたは何者か?・・・単なる異邦人だ。あなた方ふたりは路上で、たまたま偶然に出会い、彼女はあなたの愛を慎んで受け入れた。ただ感謝して、彼女が自分の生きたいように生きることを許し、あなたも自分が生きたいように生きるがいい。 

あなた方のライフスタイルが妨げられるべきではない。これが自由だ。そうなれば愛は、あなた方があまり緊張せず、不安でいっぱいになることもなく、あまり苦悩せず、もっと喜びに溢れるのを助けるだろう。 

が、世界中で起こっていることは、まさにその反対だ。愛はあまりにも多くの惨めさ、あまりにも多くの痛みを作り出し、とうとう誰も愛さない方がよいと決める人々が出てくる。それが単に地獄以外の何物でもないので、彼らは自分のハートの扉を閉ざしてしまう。 

だが、愛への扉を閉ざすことは、リアリティへの、実在への扉を閉ざすことでもある。だから、私はそれを支持出来ない。私はこう言いたい・・・愛の全パターンを変えなさい、と。 

あなた方は、愛が醜い状況になるように強いてきた・・・その状況を変えなさい。愛が、あなたのスピリチュアルな成長の助けになるようにしなさい。 

愛が、あなたのハートの滋養になるように、そして勇気に、あなたが個人にだけではなく、全宇宙に対してハートを開けられるための、勇気になるようにしなさい。 

OSHO, Beyond Psychology より抜粋