OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

19.マイトリー・ババナ瞑想

<OSHOの講話より> 

質問:あなたのところに来る前に、私はマイトリー・ババナと呼ばれる仏教の瞑想をよくやっていました。その瞑想では、始めに自分自身にこう言うのです。「つつがなくありますように、幸せでありますように、憎しみから自由でありますように、自分を憎むことがありませんように」・・ 

この文が創り出す感じが浸透したら、次の段階ではそれを他の人に広げていきます。始めにあなたの愛する人を思い浮かべ、この良い感じを送ります。それから、それほど愛情を感じていない人に同じことをし、あなたが嫌っている人にさえ思いやりを感じるまで続けます。私は、この瞑想は他の人に対して私を幾分オープンにしてくれたと感じていました。 

しかしあなたのところに来た時、私はこの瞑想をやめました。そこにある種の自己催眠の危険があるのが分かったからです・・もう一度、その瞑想を取り上げるべきでしょうか?
それともただやめるべきでしょうか?この瞑想について話してください。 


マイトリー・ババナは最も鋭い瞑想のひとつだ。ある種の自己催眠に陥るのを恐れる必要はない。それは自己催眠ではない。実際、それは一種の逆催眠だ。それはちょうど逆のプロセスを取るので、一見催眠のように見える・・人はすでに催眠にかかっている。だから今となっては、この上催眠にかけられるかどうかは問題にならない。あなたはすでに催眠にかかっている。社会のすべてのプロセスが一種の催眠だ・・もしあなたがみじめだと思うなら、それは催眠だ。もし問題があまりにも多すぎると思うなら、それは催眠だ。 

マイトリー・ババナは逆催眠だ・・あなたを本来の顔に戻すためのものだ。あなたを生まれた時にいた地点に、社会に毒されていない地点に連れ戻すためのものだ。子供は生まれた時にはマイトリー・ババナの中にいる。マイトリー・ババナとは友情、愛、思いやりの大いなる感覚を意味する。子供は生まれた時には憎むことを知らない。愛することしか知らない。愛は本質的だ・・憎しみは後から学ぶ・・ 

子供は信頼しているが、だんだん欺かれることを体験し、問題に巻き込まれることを体験し、対立されることを体験し、恐れるようになることを体験するだろう。彼らはだんだん世間の裏をすべて学ぶようになるだろう。多少の差はあれ、これがすべての人に起こって来たことだ。 

さて、マイトリー・ババナはもう一度、同じ状況を創り出している・・これは逆催眠だ。これは憎しみ、怒り、嫉妬、羨望を落とし、あなたが一番最初にやって来た世界へ戻るためのものだ。もしこの瞑想を続けるなら、あなたはまず自分自身を愛し始めるだろう。なぜなら、あなたは他の誰よりもあなたの近くにいるからだ。それから、あなたはあなたの愛を、あなたの友情を、あなたの思いやりを、あなたの感じを、あなたの幸せへの願いを、あなたの感謝の祈りを、あなたの祝福を広げるだろう。これをあなたの愛する人たちに広げるだろう・・ 

それから、あなたはこれをもっと他の人たちにも、それほど愛していない人にも、無関心な人にも、そして次第にあなたが嫌っている人にも広げるだろう。徐々にあなたは自分の催眠を解いていく。徐々にあなたは愛の子宮をもう一度、あなたの周りに創り出していく・・ 

エゴは憎しみ、敵意、苦しみとともに創られる。もしエゴを落としたいなら、もっと愛に満ちた感じを創り出さなければならないだろう。あなたが愛する時、エゴは消え去る・・愛の中であなたはこう言うだろう。「あなたもまた大切だ、私だけでなく」・・もし愛がもっと深くなったら、あなたはこう言うだろう。「あなたは私よりも更にもっと大切だ。もし1人しか生き残れない状況になったら、私はあなたに生き残って欲しい」・・そしてもしこれが広がり続けたら、それがマイトリー・ババナの中にあって広がり続けたら、だんだんあなたは消え始める。あなたがそこにいないまま・・まったく沈黙したまま、エゴもまったくなく、中心もなく、ただ純粋なスペースのまま・・時が過ぎるだろう。 

幸せは無限のスペースを創り出す働きをしている。全体が入り込めるほどあなたの中にスペースがある時、初めてあなたは幸せになれる。マイトリー・ババナは、とてつもない助けとなる。 

OSHO, The Beloved より抜粋