OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

24.独りでも幸せでいることを学ぶ

<ダルシャン日誌より> 

質問:私は最近、彼と別れたのでとても悲しく、彼のことを考えずにはいられません。 


悲しみは、あなたをとても、とても豊かにする体験になり得る。あなたはそれに、取り組まなければならない。 

自分の悲しみから逃避するのは、簡単だ・・・そして普通は、あらゆる関係が逃避だ。人はただ、それを避け続ける。が、それはいつも根底にある・・・流れは続いているのだ。

関係の中ですら、それは何度も爆発する。そうなると、人は責任を相手に転嫁しようとしがちだが、それは的外れだ。それはあなたの淋しさ、あなた自身の悲しみだ。 

あなたはまだ、それと決着をつけていない。だから、それは何度も何度も爆発する。 

あなたは、仕事に逃げ込むことも出来る。別の何か、関係や社会やいろいろなこと、旅行などに没頭することで、逃げることも出来るが、そんなやり方では消えはしない。というのも、それは、あなたの存在の一部だからだ。 

人はみな、独りで生まれる・・・この世に独りで。両親を通って、それでも独りでやって来る。そして、人はみな独りで死ぬ。再び独りで、この世から去って行く。 

このふたつの孤独の間で、私達は自分を騙し、欺き続ける。勇気を持って、この孤独の中に入って行くがいい。初めはどんなに辛く困難に思えようとも、それは、とても大きな報いをもたらす。 

一度、あなたがそれと決着をつけたら、一度、あなたがそれを楽しみ始めたら、一度、あなたがそれを悲しみとしてではなく、沈黙として感じ始めたら、一度、あなたが逃避するすべはないと理解したら、あなたはくつろぐ。 

それに関しては何も出来ないのだから、それを楽しんだらどうかね?その中に深く入り込み、それを味わい、それが何であるかを見たらどうかね?なぜ、その必要もないのに恐れるのかね? 

もし、それはそこにあり続け、偶然ではなく実在する事実だとしたら、それを認めたらどうかね?その中に入り、それは何なのかを見たらどうかね? 

私達は、ただ周辺に立ったまま、それを避けようとし続けている。まさに最初から、私達はそれを毛嫌いしている。それは、社会的状況によるものだ。 

子供が生まれる・・・子供は常に無力で、自分では何も出来ない。子供の頃はずっと、長い無力な期間だ。子供はありとあらゆることを、小さなことを、人に頼らなくてはならない・・・母親に食事を、衣服を、入浴を。 

もし寒さを感じたら、泣かなくてはならない・・・誰かが、毛布を持って行かなければならないのだ。子供には何も出来ない・・・だから子供は、自分の幸福は他の人にかかっている、ということを覚える。 

が、このように感じるのも当然だ。というのも、子供は独りでいるといつでも、不幸に感じるからだ。服を濡らしてしまっても、濡れたままそこに横たわり何も出来ない。小石が皮膚の横にあっても、それを取り除くことさえ出来ない。 

そして、幼い子供にとっては、小石も小山のように感じられる。体と皮膚がとても繊細な為に、その子は苦しむ。何も出来ない、動くことさえ出来ない。 

だから子供は、自分の幸福は他の人にかかっている、ということを学ぶのだ。他の人達がいれば、子供は幸せだ。独りだと感じると、パニックに陥る。が、それは当然だ。子供は無力なのだ。 

子供の時期は過ぎ去るが、条件づけは残る。いつの日か、人はその条件づけを、落とさなくてはならない。 

もう、あなたは大人だ。もう子供ではない。あなたは独りでいられる・・・もう独りでも、幸福でいられる。ただ、条件づけが落とされなくてはならないだけだ。 

そして、これがその美しさ・・・一度、あなたが独りでも幸福でいるようになり始めたら、あなたは、関係を持つ能力が備わる。それ以前のあなたには、関係を持つ能力はない。 

というのも、独りでいて幸福を感じられない人が、どうやって関係の中で幸福でいられるだろう?まず第一に、幸福は、その人の中に存在しないのだ。 

だから私は、関係に反対しているのではない・・・私は大賛成だ。しかし関係を持てるようになる前に、あなたが存在しなくてはならない。 

もしあなたが、惨めなまま誰かと関係を持ったら、あなたは、さらに多くの惨めさを作り出すことになる。惨めさは、どんどん増すばかりだ。倍になるだけではなく、二乗して増えていく。 

彼も惨めだし、あなたも惨めだ。彼は独りでいられない。あなたは独りでいられない。だから、あなた方は互いに依存し合う。 

そして、誰かに依存するといつでも、あなたは、決してその彼を許せない。彼はあなたを依存させる。彼はあなたに無力感を与える。彼は勢力を持ち、あなたを支配する。 

だから、奥深くで恋人達はみな、自分の愛する人に対抗し、その人を憎む。というのも、誰も奴隷であることを愛せはしないからだ。あなたは、自由しか愛せない。 

しかし自由があり得るのは、幸福でいる自由があり、まったく独りでも幸福でいられる時だけだ。誰もいなくても、その時でもあなたは楽しみ、踊り、歌うことが出来る。それはまさに、あなたの存在の質そのものになる。 

そうなったら、あなたは関係を持つことが出来る・・・そうなったら、あなたの幸福が関係を持つ。あなたの音楽が関係を持つ。もちろん、あなたの歌や踊りが関係を持つ。 

もちろんあなたの幸福は、どんどん増えていく。あなたの持っているものはすべて、関係の中で増える。もし惨めさを持っていたら、惨めさがますます増えていく。もし幸せを持っていたら、幸せがどんどん増えていく。 

関係の中で、あなたは、何百万通りにも映し出される・・・あなたが映し出されるのだ。

そしてもうひとつ・・・もしあなたが不幸だったら、あなたは、常に不幸な人と関係を持つ。私達には、波長が似ていると感じる人を選ぶ傾向がある。幸福な人には、幸福な相手を選ぶ傾向がある。そして惨めな人は、惨めな人にしか選ばれない。 

たとえあなたが、幸福な人を選んだとしても、彼の方は、あなたが幸福でない限り、あなたを選びはしない。なぜ彼が、面倒なことに巻き込まれなくてはいけないのかね?誰が地獄に行きたがるかね? 

だから、これが私の提案だ。相手を選んで関係に入って行く前に、独りでも幸福でいることを学んでごらん。さもなければ、あなたは間違った相手を選んでしまう。そして間違った人同士の間に、関係はあり得ない。 

それこそ、世界中で起こっていることだ。人々は幸福を求めて関係を持つが、まさに正反対のことが起こる。さらなる惨めさ、さらなる涙、さらなる悲痛、さらなる苦悩。 

だから、瞑想を始めなさい。悲しく感じたらいつでも、静かに坐って、悲しみがやって来るのを許すがいい。それから逃げようとしてはいけない。出来る限り悲しくなりなさい。それを避けてはいけない・・・ 

それをひとつ、覚えておくことだ。泣き叫び、嘆き悲しむ・・・それをすっかり味わい尽くすがいい。死ぬほど泣くがいい・・・大地に身を投げ、転げまわる・・・ 

そして、それが自然に消えていくに任せる。それは消える。というのも、誰も永遠に同じムードではいられないからだ。 

それが去って行ったら、まるで重力がすべて消え、無重力で飛ぶことが出来るかのように、あなたの重荷が降りる、重荷がすっかり降りる。その時こそ、自分自身の中に入る瞬間だ。 

まず、悲しみをもたらしなさい。普通の傾向としては、それを許さずに、何らかの方法や手段を見つけて、自分の目を他へそらそうとしがちだ・・・ 

レストランに行ったり、プールに泳ぎに行ったり、友人に会ったり、本を読んだり、映画を観に行ったり、ギターを弾いたり・・・とにかく時間をつぶし、注意がどこか他へ向くように、何かをする。 

これを覚えておくべきだ・・・悲しみを感じたら、機会を逃してはいけない。扉を閉めて座り、世界中がまさに地獄であるかのように、出来る限り悲しみを感じるがいい。その中に深く入って行くがいい・・・その中に沈み込むがいい。 

ありとあらゆる悲しい考えが、あなたの中に浸透するのを、すべての悲しい感情が、あなたをかき回すのを、許すがいい。そして泣き叫び、嘆き悲しみ、言いたいことを言いなさい・・・大きな声で言いなさい。何も心配することはない。 

だからまず最初に、2,3日悲しみを生きてみるがいい。そして2番目に覚えておくべきことは、その悲しみの勢いが消えるやいなや、あなたはとても穏やかで、安らぎを感じるということだ・・・まるで嵐の後のように。 

その時こそ静かに坐り、ひとりでにやって来る沈黙を、楽しむがいい。それは、あなたがもたらしたのではない。 

あなたは、悲しみをもたらしていた。悲しみが消えると、その後に続いて、すぐに沈黙が定まる。 

その沈黙を聴くがいい。目を閉じるがいい。それを感じなさい・・・まさにその手触りを感じなさい・・・その香りを。 

そして、もしあなたが幸福に感じたら、歌い、踊るがいい。 

OSHO:Be Realistic:Plan for a Miracle 
(OSHOタイムス日本語版、83号。1996年5月1日発行より)