OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

37.仮面を脱ぐ

<OSHO、ダルシャン日誌、サニヤシンとの面談より> 

質問:私達は関係性の喜びに対して、また痛みに対してどうすればもっとオープンになれるかを知りたいのですが。 

いくつかのことがある・・ひとつは、正直であること、真実であることから始めるといい。偽りや、仮面や、表面を取り繕うのをやめ始めなさい。そういうものはごく、ごく習慣になりやすい。だから必死でやめない限り、決してなくならない。 

すると、たくさんの痛みがやって来るだろう。たとえば、あなたが愛する人と一緒に歩いていて、美しい女性を見かけ、彼女に自分がその女性と彼女の美しさに惹かれる、と言うとする。その女性を自分のものにしたいという強い欲望が起こった・・その女性を手に入れるつもりだというのではないが、そういう欲望が起こっている、と。通常あなた達は、そういうことは自分の女性には言わない方がいいと感じる。たとえ彼女が、あなたのその現場を捕らえたとしても・・だが、あなたの目がそれを表す以上、彼女は何度も現場を見つけるだろう・・。 

美しくて魅力的なよその女性を見て、あなたの中に突然欲望が沸き起こったら・・しかも、それは無意識のことだ。今のところ、あなたにはどうしようもない。それは、起こるなら起こる。何か出来るとしても、それが起こってからで、その前ではない。だがそれが起こったのだから、それは起こったのだ。抑圧することは出来ても、他に出来ることはない。 
たとえその女性に見つかっても、あなたはそうではないという振りをしたい。そうじゃない・・自分は他のものを見ていたんだと。 

偽るのをやめなさい。そうすれば、あなたは痛みに対して傷つきやすくなる。そして、痛みに対して感じやすくなることから始めなさい・・というのは、誰もが喜びに対して開きたがって、痛みに対しては開きたがらないからだ。ところが算術は、痛みに対して開いて初めて、喜びに対しても開くことが出来るということだ。痛みに対して開いていないのに、喜びに対して開くことはあり得ない。 

この世で実に多くの人々が、それぞれ喜びを追い求めているのに、みんな苦痛の中にいるのはその為だ。それは、その人達が最初から誤った一歩を踏み出してしまったからだ。 

そして、彼女にも本当のことを言わせてあげなさい。彼女の真実を許してあげなさい。彼女に抑圧を強制してはいけない。自由を許してあげなさい。少しずつ、あなた達はそのことの苦い甘さを学ぶだろう。それは苦くもあり、また甘くもある。そして、あなたが痛みに対して自分を開くことが出来たら、誰も、あなたが喜びに対して開くのを妨げることは出来ない。あなたはそれを自分で稼いだのだ。痛みの中に入って行くことで、人は喜びの中にいる方法を稼ぎ、そして覚える。 

だから、少しずつ開くことから始めてごらん。そして、それを全部一挙にやり過ぎる必要はない。ん?それでは関係性を壊してしまいかねないからだ。同種療法(ホメオパシー)で進むといい。ゆっくりとだ。自分の本当の顔の小さな一部を見せるだけでいい・・一度に全部の顔を見せることはない。少しずつ仮面をずらして行きなさい。仮面がゆるくなるようにしなさい。 

そうすれば、少しずつ彼女の方も非常に幸せを感じるようになるだろう。それは、あなたがオープンになり始めると、彼女がオープンになるのも手伝うからだ。それは相互に働きかける。彼女がオープンになり、あなたは一層勇敢になる。 

そして、この開口が痛みをもたらす時、あなたは痛みに新しい質があるのが分かるだろう・・それは非常にリフレッシュするような質だ。それは、痛みに満ちてはいるが清めるような、痛みに満ちてはいてもそれだけの価値のあるものだ。それは何かを・・何らかの統合、何らかの明晰性をもたらす。あなたをより意識的にする。痛みは常に人を意識的にする。この真摯さは、結婚したカップルの通常の親密さとは違う、ある親密さをもたらす。 

だから私が言っているのは、痛みに入って行きなさいということだ。それは骨の折れる危険なことだ。何が起こるか分からないが、ひとつだけは確かだ・・痛みの中に入って行くことが出来れば、痛みがあなたからたくさんの不純なものを、あなたの中にある、たくさんの粗雑な要素を洗い流してくれるということ・・あなたをより繊細にし、あなたをより意識的にするということだ。 

そして痛みを通じて、あなたは喜びに対しても開くようになる。人が痛みを苦しむ準備が出来ている時、喜びを抑圧する必要はなくなる。私達が喜びを抑圧するのは、喜びに全面的に自分を占領することを許したら、それと共に痛みも入って来ると恐れているからだ。それはもう片側の部分だ・・同じコインのもう一方の側面、それがやって来る。だから、人々は喜びの中に全面的には入って行かない。彼らはごくごくゆっくりと入って行く。 

愛し合っている時でさえ、人々は自分を捨てない。コントロールの中に留まる。微妙な制御であり、遠隔操作ではあるが、彼らはそれを続ける。彼らは自分の手の中のどこかに、そのボタンを持ち続ける。何かがあまり遠くに行き過ぎて、境界を超えようとしていたら、彼らはそれを切る。彼らは決して最後の最後までは行かない。自分があまりにも喜びの中に入ってしまったら、痛みという禁止された領域に入ってしまうのではないかという恐怖・・それがそこにある。 

だから痛みから始めなさい。そして、もしあなたが痛みに対して開くことが出来たら・・だから泣きたいと思う時があったら、泣いたらいい!自分の女性の前で泣くことが出来ないとしたら、他のどこで泣くというのかね?教え込まれたナンセンスなど、すべて忘れなさい・・男は決して泣かないものだ、などと。もし男が決して泣かなかったら、彼は人間ではない。彼は非人間か、あるいは超人間かだろう。ただひとつ、人間ではないことだけは確かだ。 

時には声を出して泣くといい。自分の悲しみを、悲しさを分かち合いなさい。子供のように涙を流しなさい。そして、同じことを私はあなたのパートナーにも言っている。彼女も同じことをしなければならない。そうすれば少しずつ、あなた達は大いなる親密さが起こって来るのに気がつくだろう。それは社会とは何の関係もない。そして、その親密さの中でたくさんの幸せが起こる。あなた達は幸福の中に爆発するだろう。 

だが、痛みから始めなさい。そして常に覚えておきなさい。何ごとも、痛みから始めなければならないということを。一緒に瞑想して、あるがままのハートを開きなさい。間違っていることもあれば、腐っていることもあり、誰にも見せるに値しないような時もある・・だが、少なくとも自分が愛する人にだけは、それを見せるべきだ。そうすれば、あなたは彼女が全てを見せることも手伝うことになる。そして、全てのカードが開かれたら・・1枚のトランプも隠していなければ・・親密さはひとりでに起こる。 

それは危険なことだ!そこから何が来るかは、決して分からない。だがひとつ言えることは、何が来たとしても、それは美しいということだ。もしそこから別れがやって来るなら、それは美しい、より良いいわゆる結婚よりはもっと美しいものだ。もしそこから結婚がやって来るなら、それは途方もなく美しいものになるだろう。何であれ、親密さから出て来るものはいいものだ。それは、親密さがいいものだからだ。やってみてごらん。だが、それは苦しい道だ・・ 

OSHO、Got is Not for Sale より抜粋