OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

42.チベット問題について

<OSHOの講話より> 

不幸なことに、チベットは暗黒のなかに堕ちてしまった。僧院は閉鎖され、真理の探求者たちは収容所で強制労働を課せられている。ひたすらひとつのポイントに働きかける気風をもつ世界で唯一の国、内界への探究に捧げられる知性のすべてとその宝が、共産主義者によるチベットへの侵略によって終わりを迎えつつある。 

 それに対して異を唱える者がいないとはなんと醜い世界だろう。それどころか、中国は大きく、強大なパワーを有しているので、中国よりも大きなパワーを有しているアメリカのような国でさえ、チベットが中国の一部であることを認めてしまっている。それはまったくのナンセンスだ。ただたんに中国の力が強大なために、誰もが中国の側につきたがっている。ソビエトでさえ中国の主張を拒否しないし、インドでさえ異を唱えない。チベットは実にすばらしい実験場だった。そしてチベットには戦うための武器もなく、戦うための軍隊も有していない。それは彼らの念頭に決してよぎらなかった。内なる巡礼こそが彼らのすべてだったのだ。 

 人間の実存を発見するためにこれほど集中的な努力が払われてきた場所はどこにもない。チベットでは、どの家族もその長男をどこかの僧院に送り出したものだ。彼はそこで瞑想し、目覚めの近くまで成長してゆく。少なくとも家族の一人が全身全霊を挙げ、1日24時間内なる実存に働きかけていることは、家族全員の喜びだった。彼らもまた働きかけてはいたが、食べ物や衣服や住処を作らなければならないので、すべての時間を捧げるわけにはゆかなかった。チベットではそれはむずかしいことだった。気候がとても厳しいので、チベットで暮らすのは並大抵のことではない。だがそれでもなお、どの家族もその長男を僧院に差し出したのだ。何百もの僧院があった……けれどもこれらの僧院をカトリック修道院などと比べてはならない。これらの僧院に肩を並べることができるものは世界中どこにもない。これらの僧院は、たったひとつのこと――あなたを目覚めさせることに関心を寄せていた。 

 時代が下がるにつれて、あなたのロータスが開花し、あなたがみずからの究極の宝、ダイヤモンドを見いだすことができるよう何千もの方便が編み出されてきた。これらは単なる象徴的な言語にすぎない。だが、チベットの破壊は、歴史に刻まれるべきだ。とりわけ人間がその気づきが多少とも増し、少しばかり人間らしさをもっているならば……。人の内に何かがあることを信じない物質主義者の手にチベットが落ちたことは20世紀最大の惨禍だ。あなたは物質にすぎず、意識は物質の副産物にすぎないと彼らは信じている。それは内なる体験を何ひとつ持ち合わせることのない、ただの論理的、合理的な哲学にすぎない。 

 共産主義者で瞑想をしている者など世界に一人も存在していないにも関わらず、みな口をそろえて内なる世界を否定するとは奇妙なことだ。内なる世界がなくして、どうして外なる世界が成り立ちうるかと考える者などひとりもいない。それらは共に存在している。分けることはできない。そして外なるものは内なるものを保護しているにすぎない。というのも、内なるものはとてもデリケートでソフトだからだ。だが、外なるものが受け容れられ、内なるものが否定されている。そしてたとえ内なるものが受け容れられることがあるとしても、内なる体験でさえ醜悪な目的で利用しようとするかくも汚い政治家たちに世界は支配されている。 

 つい先日知ったのだが、アメリカは今や兵士たちに瞑想の訓練をさせているという。神経衰弱を起こさず、発狂せず、恐怖を憶えることなく壕のなかで黙って身を横たえ、穏やかで冷静に正気を保ったまま兵士たちが戦えるようにするためにだ。瞑想は戦争にも利用しうるなどと思いつくような瞑想者などいない。だが、ひとたび政治家の手にかかるとあらゆるものが醜くなってしまう――瞑想ですらもが。今やアメリカの陸軍では瞑想を教えている。人々を殺している間、兵士たちがもっと平静さと落ち着きを保つことができるように。だが、アメリカに警告しておくが、君たちは火遊びをしている。瞑想がどのような働きをするのか君たちは正確に理解していない。こころが穏やかで、落ち着いてきたら、兵士たちは武器を捨て、人を殺すことをただ拒むことだろう。瞑想者は人を殺せない。瞑想者は破壊的にはなれない。だから彼らはいつの日にか驚くことだろう、兵士たちが戦い、戦争、暴力、殺人、何百万人の虐殺に対する興味を失っていることに。、もし瞑想の何かを味わってしまったら、それは不可能になる。そうなったら、彼は殺そうとしている外なるものを知ることになる。相手は兄弟なのだ。彼らはみな同じ大洋的な存在に属している。 

 もし人間に少しでも気づきがあるならば、チベットは解放されるべきだ。それはこの2000年の時を、何もすることなく、瞑想のなかにより深く入ってゆくことに捧げてきた唯一の国なのだ。そしてそれは全世界が必要としている何かを教えることができる。 

 だが、共産主義中国は、2000年間に生み出されてきたあらゆるものを破壊しようとしている。彼らのあらゆる方便、彼らのあらゆるスピリチュアルな風土が汚され、毒を盛られている。だが彼らは素朴な人々だ。彼らは自分自身を守ることができない。彼らは自分自身を守るものを何ももっていない。戦車もなければ、爆弾もないし、飛行機も、軍隊もない。2000年間、戦争を知ることなく暮らしてきた無垢な民族……チベットにたどり着くだけでも大仕事だ。彼らはまさに世界の屋根で暮らしている。最高峰の山々、万年雪が彼らの家だ。彼らを放っておいても、中国に失うものは何もない。むしろ、全世界が彼らの体験から益をうるだろう。 

 チベットは、人間の内なる探索に携わる実験施設として残しておかれるべきだ。ところが、チベットへのこの醜い侵攻に対して声をあげる国はどこにもない。そして中国は侵攻するだけでなく、チベットを併合してしまった。今や現代の中国の版図のなかにチベットは含まれてしまった。 

 私たちは世界は文明化したと考えているが、誰にも何の害も及ぼしていない無垢な人々が壊滅的な打撃を受けている。もし人間のなかに文明化したものが何かあるなら、あらゆる国が中国によるチベットの侵略に対して立ち向かうことだろう。それは物質による意識への侵略だ。それは物質主義による精神霊的な高みへの侵略だ。 

(『オーム・マニ・マドメ・フム』#1より)