OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

43.世界中の政治家へ

<OSHOの講話より> 

私は政治家ではない。私は生まれてから一度も投票したことはないし、これからも投票するつもりは全くない。2匹のチンパンジーが別々の旗を持っていたとしても、そのどちらかを選ぶことに何の意味があるだろうか?チンパンジーチンパンジーだ。 

彼らは宗教に、宗教的な人々に深い敬意を払わなければならない。というのも、ひとつだけ確かなことがあるからだ。宗教的な人は選挙に立候補しようとはしないし、宗教的な人は自分に投票するように求めたりはしない。基本的に、彼には自分のエゴを満たし、劣等感を包み隠そうとする欲望がない。その静けさの中、その安らぎの中、その至福の中で、彼は究極の優越性を知った。もはやそれ以上のものはないし、それよりも高いものはない。彼は寺院になった。彼の存在の中には神がある。 

政治家は戦争を糧にし、暴動を起こしてそれを食い物にし、動乱を食べて生きている。そういったものが彼の栄養になる。ヒットラーはその自伝に書いている。「敵がいない限り偉大な指導者にはなれない。もしも敵がいなかったら、祖国が危機にさらされているという作り話をでっち上げるのだ。というのも、恐れを抱いている人々は簡単に奴隷にすることが出来るからだ。人々が恐れるようになったら、彼らは簡単に政治家の言うことを聞くようになる」 

ヒットラーは正気な人間ではなかったが、時にはきわめて意味深い言明をしている。「もっとも偉大な人類の指導者は戦争下に生まれる」と彼は言った。大きな戦争がない限り、偉大な指導者になることは出来ない。偉大な指導者になるという欲望を満たす為には、何百万人もの人々を殺さなければならない。 

彼の言っていることは正しい。平和な時には、人々は言いなりにならなくてもいい。指導者を神のように崇めて、その言葉を神の掟として聞かなくてもよい。 

政治家は、あらゆる手を尽くして国民を恐れさせる。「中国がインド国境に核兵器を集めているのは事実だ、パキスタンがインド国境に軍隊を集結させているのは事実だ」とインドの政治家は主張し続けている。パキスタンでは「インドは国境に軍隊を集結させている」と政治家達は主張し続ける。中国では「インドは核兵器の準備を進めている」と政治家は主張し続ける。議会では、政治家達は「我々の側では何もしていない」と言っている。だが、それは全くの嘘だ。 

中国の指導者は、常に自分達の人民を恐れさせておかなければならない。インドの指導者は、常に自分達の国民を恐れさせておかなければならない。パキスタンの指導者は、常に自分達の国民を恐れさせておかなければならない。 

あなた方が恐れるだけ、彼らは権力を握る。あなた方を恐れさせれば恐れさせるほど、一層彼らは強大な権力を握ることが出来る。国外に関しては嘘をでっち上げ、国内でも同じことをし続けている。ヒンドゥ教徒とイスラム教徒の争いに油を注ぎ、ヒンドゥ語圏と非ヒンドゥ語圏の争いを助長している。どんなことでもいい、どんな些細なことでもいいから、国民が争い続ける限り、彼らは権力の座に留まることが出来るからだ。争うことを止めたら、彼らの権力もなくなってしまう。これは醜いゲームだ。 

OSHO,The Hidden Splendor より抜粋(1976) 

私達の関わりは、全て毒を持つものになってしまった。そして、私達の存在の周りに集まった、この何世紀ものあらゆるゴミを改めるには、大いなる革命が必要だ。だが、それは可能だ・・可能なだけでなく、あらゆるものごとには限度があるのだから、それは起こらなければならない。私達が、何千年もの間抱えて生きて来たこの狂気の沙汰は、極限に達している。 

この狂気ゆえに、私達は核兵器を開発した。どんなものであれ戦争が起こったら、それは全てを破壊するものになるだろうことを充分承知の上で・・負ける者はいないし、勝つ者もいない。それでも、国は核兵器を製造し続けている。貧しい国、国民を養うことも出来ない貧しい国ですら、このレースに参加したがる。破壊を目的とした軍備に何十億ドルも費やしたがる。 

科学的な計算によると、今世紀末までに25ヶ国が核クラブに加わるだろうということだ・・ 
核兵器を持っている国は、今のところ5ヶ国に過ぎない。今世紀末までに加わるであろう残りの20ヶ国の内、インドはそのひとつだ。パキスタンもそうだ。この国だけで5億の人々が世紀末までに死ぬかもしれないのに、そのことには誰も関心を抱いていない。あなた方の政治家達は核兵器を製造する為に、もっとウラニウムを、もっと物資を手に入れることに関心があるのだ。 

あなた方は驚くだろうが、この国の半数の人々は飢えている、腹を空かせたまま眠りにつく。何とか1日に1食、口に入れることが出来たら本当に運がいい。が、インドは原子力核兵器を生み出す為に必要な軍事物資をさらに購入する為に、小麦を差し出そうとしているし、第3次世界大戦の準備を整えようとしている。問題は、誰か個人が狂っているということではなく、人類全体が狂っているということだ。 

これが限度だ。これ以上は耐えられない。地球規模の殺人の為の状況を生み出している、こうした愚か者達のせいで、私達は自殺するしかないのか、それとも私達が過去全体・・
その制度、その教育、その生き方、宗教を信仰する、その在り方・・を変えるしかないのか、そのどちらかだ。私達が全面的な革命の準備を整えない限り、人間は救われない。 

私の希望は、人間はどんなに狂っても、それでもなお生きたいと思うだろうということにある。人間の生きようとする意志だけが、残された唯一つの希望だ。私達は、生きる意志にもっと火を注がなければならない。私達は、世界中に野火を放たなければならない・・
もっと多くの生の為に、もっと多くの愛の為に、もっと多くの歌の為に、もっと多くの音楽の為に・・そうすれば、こうした政治の、科学の、さらにその他の狂人達と、人類が自殺を共にすることなど不可能になる。 

それは全て、世界中の膨大な人類次第だ。もし彼らが、ただ「私達は生きる決心をしたし、この世界をもっと美しくする決心をした。そして、戦争をなくす為に国家を解消させることに決め、戦争と差別の原因は宗教にあるのだから、その宗教をも解消させることに決めたのだ」と言いさえすれば・・そのような奇跡が起こらない限り、人間の歴史は、その最終章に来ている。 

OSHO,The Rebel より抜粋(1989)  

世界中の政治家達が、あらゆる時代を通してやっていることは、たんに非人道的で醜い。だがその理由、その根本的な理由は、彼らが根深い劣等感を抱いていることにある。そして彼らは、そうではないということを証明しようとする。「見てごらん、私にはこれだけの権力があり、これだけの人々の運命を左右し、これだけ多くの核兵器を持っている。ただボタンを押すだけで、地球全体を破壊出来る」 

他者への権力は破壊的だ・・常に破壊的だ。より良い世界では、野望を抱く人々、他者より価値があること、他者より先んずることを望む者は、精神療法の対象となるべきだ。ただつつましく、シンプルで自然であること・・他者と比較しないこと・・なぜなら誰もがユニークであり、比較することは不可能だからだ。 

どうやって、バラの花をマリーゴールドと比較出来る?どうやってどちらが優れ、どちらが劣っていると言える?それぞれが美しく、それぞれが花開き、陽光の中、風の中、雨の中で踊り、それぞれの生をトータルに生きている・・ 

全ての人間はユニークだ。誰かが優れ、誰かが劣っているということはない。そうだ、人はそれぞれ異なっている。ひとつ覚えておいて貰いたい。さもなければ、あなたは私を誤解するだろう。私は、コミュニスト共産主義者)が考えるように、全ての人は平等だと言っているのではない。私はコミュニズム共産主義)には全く反対だ。その理由は単純だ。コミュニズムの原理全体が、心理学とあらゆる心理学的研究に対立しているからだ。

誰も優れていない、誰も劣っていない、だが誰も平等でもない。人々はただユニークであり、比較することは出来ない。あなたはあなたであり、私は私だ。私は、自分の可能性を生にもたらさなければならないし、あなたも、自分の可能性を生にもたらさなけらばならない。私は、自分自身の実存を発見しなければならないし、あなたも、自分自身の実存を発見しなければならない。 

神秘家としての力を持つことは、全く良いことだ。他者に対して、権力を持つことをほんの少しでも望むことは、醜く、吐き気を催し、悪臭に満ちている。 

OSHO,From Bondage to Freedom より抜粋(1989) 

男は、戦争しか生み出さなかった。この3000年の間に5000の戦争だ・・生は、ただ争う為だけのものだろうか?生は、ただ殺人、殺戮、強姦の為だけのものだろうか?歴史全体が、殺人に満ち溢れ、あなたは殺人者達を偉人と呼ぶ。アレキサンダー大王だ・・小さな殺人者は投獄され、死刑を言い渡される。そして、大きな殺人者は英雄になる。 

その原因は、生に何かを貢献することから、女性が完全に隔離されて来たからだ。さもなければ、これほど多くの戦争は起こらなかっただろう。戦争に興味がある女性はひとりもいない。それはただ、女性の本質に反している。女性は愛に興味があり、美しい家に興味があり、そしてその周囲の美しい庭に興味がある。 

女性は小さなことに興味があるが、これら小さなことが、生に生きる意味を与えるのだ。女性は、核兵器や核ミサイルを作ることに興味はない。女性は、男達がやっていることが理解出来ない。彼らは気が狂っているのだろうか? 

人類の半分が飢餓で死に瀕しているというのに、全て男性である政治家、全て男性である将軍達は、核兵器の山を築いている。彼らはすでに必要以上に持っている・・全世界を700回以上破壊するのに充分な量だ。地上の全ての生き物・・木々、鳥、動物、人間、生きとし生けるもの全て・・を700回以上破壊出来る量を所有している。それでも、さらに山を築いている。 

人類の半分が飢餓で死に瀕しているというのに、これを正気と呼ぶのだろうか?それは、男性だけが世界に貢献して来た為に起こった。男性は女性の慈悲を持っていない。彼は、男性の頑固さしか持っていない。男性は、女性の柔らかさが世界情勢に寄与することを許さない。 

私達には、バランスの取れた生が必要だ。そこでは、男性と女性が等しく貢献する。生はより平和に満ち、より愛に満ち、より喜びに満ちたものになるだろう。それは大いなる祝祭になる。そしてその祝祭において、私の希望は、あなた方がありきたりのつまらない楽しみを超えて、宇宙的な至福、サッチタナンド・・つまり、真実、意識、至福に到達することにある。 

OSHO,Sat Chit Anand より抜粋(1989) 

人類は、戦争を終えてしまった。私達は、新しい平和の時代に入ろうとしている。これまで平和は一度もなかった。歴史は、戦争と、戦争への準備、というふたつの時代に分けることが出来るだけだ。これまで平和は一度もなかった。核兵器は不幸に見えるが、戦争そのものの姿を変えてしまったという意味で、実は幸運なのだ。戦争とは、勝者があり敗者がある時にのみ意味がある。それはエゴゲームだ。 

だが核兵器は、ゲームそのものを破壊してしまった。今や、誰ひとり勝者はなく、誰ひとり敗者はない。全ての人が破壊される。戦争は、全ての意味をなくしてしまった。戦争が、地球規模の自殺を意味するなら、それは起こらないだろう。政治家達は、それについて語り続けるだろう・・彼らは、語り続ける他はない。なぜなら、彼らの権力は戦争ゆえにあるからだ。戦争は不可能だということが明らかになったら、誰が政治家や彼らの核兵器のことを気にかけるだろう。 

彼らは、戦争の可能性について語り続ける・・サミット、新しい提案・・それら全ては、全く無意味になってしまう。彼らは、同時に別のことが起こっていることに気づいていない。 

OSHO,Socrates Poisoned Again After 25 Centuries より抜粋(1988) 

(和尚タイムズ・インターナショナル 97号)