OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

44.パワートリップを超えて

<OSHOの講話より> 

質問:普通の人達が権力者達のパワートリップを超えて、ハート、愛、心遣いのある世界を本当に築きあげる為にはどうしたらよいのでしょうか?そういった世界は、果たして可能なのですか?それとも私は、あなたを見つけた時から、私の人生に入り込んで来ている気づきや喜びや至福を感謝し続ければよいのですか?コメントをお願いします。 

人々が権力志向になるのを止める唯一の方法は、あなた自身からそれを始めることだ。何故なら、誰もが無意識の中に、何がしかの権力への欲望を持っているからだ。 

インドの偉大な皇帝のひとり、シャー・ジャハンは・・・彼は妻の為に最も美しい墓、タージ・マハールを造った・・・自分自身の息子に捕まり、投獄された。そして息子が皇帝になった。 

彼の名前はオーラングゼーブといった。彼はインドがかつて知った最悪の皇帝のひとりだ。しかし時として、三流の人間ですら意味深い洞察をすることがある。 

オーラングゼーブは側近にこう言った。「父が牢獄から手紙を書いて寄こした。一日中、牢獄で坐っているのは退屈だということだ。自分の生徒になってくれる子供を30人ばかり与えてくれれば、大いに嬉しいのだが、と書いてある」 

オーラングゼーブはこう付け加えた。「これはまさに権力への渇望だ。自分の王国を失ってしまった彼は、今度は30人の子供が欲しいと言っている。彼らを支配し、しつけたいのだ」 

この発言には洞察がある。教師になる人々、説教師になる人々、政治家になる人々、彼らはみな様々な方法で権力を求めている。あなた方の神でさえも、彼らと大して変りがない。 

神が彼らと違う筈はない。何故なら、神はあなた方の創造物、あなた方の投資なのだから。神には、あなた方のマインドのあらゆる因子が含まれている。神はどこにも存在しない。神を描いたのは、あなた方だ。 

聞いた話だが・・・ある幼い子供が絵を描いていた。ものすごい速さで描いていた。父親はそれを見るとこう尋ねた。「何でそんなに急いで描いているんだい?」少年は答えた。「僕は、父なる神様の絵を描いているんだよ」 

父親は言った。「だけど、どうしてお前に神様の絵が描けるんだい?お前は神様に会ったことはないだろう。神様に会ったことのある人はひとりもいないんだよ」 

少年は言った。「心配しないで。僕の絵が仕上がれば、神様がどんな風なのかみんな分かるよ!」あなた達の神々は、この子供の絵と何ら変わらない。 

神はアダムとイヴを罰した。何故だろう?自分に背いたからだ。これは権力への渇望だ。もしそうでなければ、愛そのものである神は、彼らを許すことが出来ただろう。 

だが神は、ふたりをエデンの園から追放し、そして神に背いたという罪悪感を彼らに負わせた。しかし、神はふたりに説明することが出来なかったのだろうか?もう一度、機会を与えられなかったのだろうか? 

普通の父親でさえ、子供が背いたからといって、彼らを家から追い出したりはしない。神にはもう少し慈悲を期待したいものだ。 

それにアダムとイヴは何に背いたのか?彼らは知恵の木の実を食べただけだ。それが悪いことだとは思えない。知恵は罪ではない。実際、知恵を罪とするなど、この神の態度は実に気違いじみている。 

この神は、永遠の命の実を食べることを彼らに禁じた。何という父親だろう。何という神だろう。本当は、彼はこう言うべきだった。「この2本はエデンの園の中でも一番優れた木だ。好きなだけこのりんごを食べていいんだよ」 

妙な話だ。りんごの木が知恵の木だなんて!「そして永遠の命の木の実も、お腹いっぱい食べなさい」そう言っていたらば、アダムとイヴが背くことは絶対になかっただろう。 

この芝居の中に罪を犯した者がいるとすれば、それは神だ。アダムとイヴではない。そしてアダムとイヴは反逆した訳ではない。本当は、彼らは神をエデンの園から追放すべきだった。神を放り出すべきだった。 

そしてこう言う。「あなたはもう必要ありません。時代遅れなんですよ。とっとと失せてください!これからは私達が、ここの面倒を見ていきます」 

だがアダムとイヴは非常に純朴な、無垢な人達だったに違いない。神は、彼らを三流のフォード車に乗せて追放した。彼らは罪を受け入れた。 

そしてキリスト教徒達は、未だにその罪の中に生きている。6000年も経ったのに、未だにキリスト教徒は罪の中に生まれて来る。これは神の権力への渇望だ。 

そして聖職者は、それが自分の権力への渇望へとぴったり符合することを見い出している。聖職者は、神と完全に歩調を合わせている。 

彼は、あなた方に罪悪感を感じさせる。自分は罪人だと感じさせる。それによって彼は、あなた方を支配するようになる。 

ほんの数日前、カトリック法皇は、世界中のカトリック信者達に、自分から神に直接懺悔してはいけないと告げた。何故、直接ではいけないのか?今や直接神に懺悔することは、罪になってしまった! 

彼らは、司祭達に懺悔しなければならない。全てが正しい経路を通らなければならない。これらは、全て権力への渇望だ。人々が神に懺悔するようになれば、司祭達は用無しだ。そして最終的には、法皇も用無しとなる。 

しかも司祭に懺悔しているカトリック教徒は、権力を渇望する人々が巡らしている陰謀に気がついていない。彼らは、司祭に懺悔することで神の許しを得ることが出来る、と教えられている。それで彼らは告白する。 

ところがその為に、彼らは次第に司祭達に隷属するようになる。何故なら、彼らが自分達の罪や犯罪を全て知ってしまうからだ。彼らはカトリックの教団を去ることが出来ない。

彼らにも分かっている。司祭は、自分についてあまりにも多くのことを知っている。今や、彼らは司祭達の手の内にある。こういったことは単なる政治的な策略だ。 

私は、インディラ・ガンディを知っていた。彼女は私の思想に深い興味を持っていた。私達は何度か会った。彼女は私に言った。「私の権力は、何個かのファイルにもとづいているんです」私は言った。「分かりませんね。一体、何を言いたいんですか?」 

彼女は答えた。「私は、自分の競争者となる政治家ひとりひとりについての、彼らに不利になるような情報のファイルを持っているんです。そして相手もそれを知っています。私は直ちに、公衆の前で、法廷で、彼らのことを暴露することが出来ます。そうすれば彼らは、総理大臣になるどころか、鉄格子の中に入らねばなりません」 

今ではそのファイルは、彼女の息子のラジヴ・ガンディの手の中にある。彼は政治などやったことはないが、そのファイルがあれば充分だ。老政治家達は口をつぐんでいる。自分達が捕まって、事実が暴露されるかもしれないことを、よく知っているからだ。彼らはあらゆる犯罪を犯して来た。 

あなた達は驚くだろう・・・インディラ・ガンディの息子、サンジャイ・ガンディが事故に遭って亡くなった時・・・彼の乗った飛行機は、インディラ・ガンディの家のすぐ側、ほんの2ブロック離れた所に墜落した・・・。 

インディラ・ガンディは現場にすぐ駆けつけた。母親が駆け付けるのは当り前だと、あなた方は思うだろう。自分の息子が亡くなったのだから。しかし、まず彼女はこう尋ねた。「彼はいくつかの鍵を持っている筈です。鍵はどこですか?」 

彼女は、サンジャイ・ガンディの為に駆け付けたのではなかった。それは鍵の為だった。何故なら、そのふたつの鍵は、インドのあらゆる政治家達についての不利な情報がぎっしり詰まったファイルを開ける為のものだったからだ。 

実のところ、彼女はサンジャイ・ガンディが亡くなったことで、むしろほっとしたようだった。サンジャイ・ガンディは、彼女をいつも悩ませていた。それは国中の者達がよく知っていることだった。 

証人もいる。一度彼が、インディラ・ガンディを平手打ちにしているのが目撃されている。それは毎日のことだった。彼らはひっきりなしに喧嘩をしていた。 

何故なら、彼は全てのファイルを手に入れようとしていたからだ。とうとう安らぎを保つ為に、彼女は彼に鍵を与えた。彼の死は、彼女にとってはほっとするものだった。鍵は彼女のところへ戻った。 

あなたは私に訊ねている。「私達は、どうやったら人々がパワートリップへ入るのを止めることが出来るのでしょう?」 

あなた自身から始めなさい。支配するようなことをしてはならない。そして、誰かがあなたを支配することも許してはならない。個人であることの、全ての責任を負いなさい。 

そして、他の人達の個人である権利、完全に自由であることの権利をも尊重しなさい。誰の人生の邪魔をしてもならない。そしてまた、他人が自分の人生の邪魔をすることを許してもならない。 
注意深くありなさい。何故なら、エゴは非常に巧妙だから。エゴのやり方は常に極めて巧妙だ。自分が何かのやり方で、妻、子供、召使い達にパワーを振るわないように、注意深くありなさい・・・。 

あなたは上司に対するのと全く同じように、自分の召使いを扱うだろうか?それが出来ない限り、あなたはパワートリップを捨て去ることは出来ない。全ての人を尊敬しなさい。上司は自分の仕事をしているし、召使いも自分の仕事をしている。 

だが実際には、部屋の中に入って来てもあなたは見向きもしない。「やあ」と声を掛けようとさえしない。召使いは召使いに過ぎない。注意を向ける必要はない。ところが上司が部屋に入って来れば、あなたは立ち上がる。がたがた震えて神経が高ぶる。どこが違うのか? 

あなたの召使いも、上司と同じようにひとりの人間だ。彼らを同等に扱い、ひとりひとりの個人を尊重しなさい。彼らの職務は、二義的なものだ。 

これこそ、このコミューンで大切なことだ。掃除をする人もいる。セラピストもいる。が、コミューンの中では何の違いもない。セラピストは特別には扱われない。掃除をする人が、三流のことをやっていると見なされることはない。 

夕方、その働きを終えた後、あなたは教授や理事や掃除夫達が抱き合っているのを見る。彼らがみんなで抱擁しているのを。ディスコでみんなが踊っているのを目にする。それはそうであるべきだ。 

誰もがコミューンに貢献している。誰もが絶対的に必要とされている。本当のところ、私達は教授がいなくても生活出来る。しかし、掃除夫がいないと困る。彼の役割りはずっと重要だ。 

ほんの少し敏感でいるだけで、あなたは誰のことも、いかなる方法でも支配しなくなる。幼い子供達に対してさえ・・・彼らは不幸にして、あなたの側にいなければならない。彼らのことも尊重しなさい。 

そうすれば、子供達も全ての人を尊重することを学ぶだろう。そして、彼らは誠実さ、個人性、一種の結晶化、大きな精神的強さを得る。そして彼らは、権力を求めることを絶対にしなくなる。 

内側の深いところに劣等感を感じている人々だけが、権力を求める。だから、どんな人にも劣等感を植え付けてはならないし、自分自身もいかなる形であれ、自分が劣っていると感じてはいけない。 

全ての人がユニークだ。ただ私は、みんなが等しいと言うことは出来ない。それは、このコミューンの基本的な姿勢に反している。 

共産主義は、精神的なものを無視した哲学だ。ひとりとして同じ人間はいない。そうだ、全ての人間がユニークだ。平等は必要ない。必要なのは独自性だ。 

あなたの独自性を表現しようとしてみなさい。他の人達が、独自性を表現するのを手伝いなさい。 

そしてまず、自分の中の劣等感を破壊し、それから自分の妻、子供達の劣等感を破壊しなさい。そして隣人、友達の劣等感も・・・この炎を広げなさい。 

将来、いつか必ずそういった日がやって来るだろう。そこに人々はいるが、権力に飢えている者はいない。権力に飢えていることは、単にその人に精神療法が必要なことを示しているに過ぎない。 

世界中の政治家、世界中の大統領や首相達、国王や女王は、精神療法を必要としている。彼らが再び人間に戻る為には、それが必要だ。 

権力を求めないような雰囲気を創り出すことは、可能だ。世界中には100万人ものサニヤシンがいる。そういった雰囲気を創り出しなさい。地球の隅々まで、この思想を広めなさい。 

私達は、そういったパワートリップをする人々の支配下で、何千年間も生きて来た。苦しみと惨めさ以外は、何ひとつ起こらなかった。 

私があなた達に示しているのは、あなたのハートから歌が溢れ、踊りが生まれて来るような道だ。しかも、何の理由もなしに。ただ踊りたいから踊る・・・ちょうど木々が踊るように、風と共に、陽光の中で踊ることは、実に喜びに満ちている。 

人類は、まだ文化を身につけていない。文明はまだ起きていない。私達は、文明が起こる為の土壌を造らなければならない・・・そして、私達が文明を創る!いいかね? 

OSHO,From Boundage to Freedom より抜粋