OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

48.愛の神に明け渡す

<OSHOの講話より> 

質問:ガールフレンドと私は、いろいろな時期に、お互いに愛し合って来たように思います。私達は、それぞれに充分には出会っていません。お互いに明け渡したいと思うことは、間違っているのでしょうか? 

最初に・・・あなた方は、お互いに明け渡すことは出来ない。あなた方は、愛に明け渡すことは出来る。しかし、お互いに明け渡すことは出来ない。 

もしあなたがお互いに明け渡したいと思うなら、困難に向かうことになる。これは、恋人達が犯す最大の過ちのひとつだ。そして、ほとんど全ての恋人達がこれを犯す。 

彼らは、明け渡しはお互いになされなければならないと思っている。そうすると、明け渡しの名の元で、微妙な支配が始まる。明け渡しはお互いにではなく、愛の神になされなければならない。 

さもなければ困難が、多くの困難があるだろう。どうやってあなたは、あなた自身を彼女に明け渡し、そしてどうやって彼女は、彼女自身をあなたに明け渡すのかね? 

彼女はあなたの中に、千とひとつの欠点を見い出し、あなたは彼女の中に、千とひとつの欠点を見い出す。人は何か完璧なものにのみ、明け渡すことが出来る。 

明け渡すということはとても難しいことであり、あなたが愛の中にいる時には、なおさら難しくなる。何故なら愛の中にいる時、あなたは他の人とあなたを、対等のものとして受け入れているからだ。 

あなたはマスターに明け渡すことは出来る・・・あなたは仏陀やキリストのところへ行って、明け渡すことは出来る・・・何故ならまさに最初から、あなたはそれらの人を高いものとして受け入れてしまうからだ。明け渡しは、より易しい・・・すでに明け渡しへの道は出来ている。 

しかし、あなたが女性と恋に落ちる時、そしてある女性があなたと恋に落ちる時、あなた方は、お互いを対等に受け入れる。愛の中でこそ、対等であることは受け入れられる。 

さて、自分と対等の人に明け渡すことは、とても難しい。だから、困難や不必要な衝突があるのだ。もし明け渡そうとしても出来ない時、あなたはそのことに罪悪感を感じてしまう。 

この明け渡しという考えの為に、あなたは、あなたの恋愛全体を駄目にしてしまう。その時、実に微妙なゲームが始まる。明け渡しの名の元で、あなたは支配を始める。彼女の方も支配を始める。 

そして女性というのは、明け渡しを通して支配するということにおいては、素晴らしく賢明だ。彼女らはあなたの足に触れ、その手をあなたの首に回してしまう。 

これには理由がある。何故なら女性はより優しく、より繊細なので、彼女の支配の仕方というのもデリケートなものとなる。男性が支配しようとする時、彼はただ攻撃的に、暴力的になり、大声を出したりする。 

女性が支配しようとする時、彼女は叫んだり泣いたりする。しかし、彼女は支配しようとしていない、などとは考えないことだ・・・その涙は支配する為のものだ。そしてもちろん、彼女はより上手いやり方で成功する。 

何故なら、男性はそれと戦うことは出来ないからだ。もしその女性が彼を打つのなら、彼は戦うことが出来る・・・彼はもっと強く打つことが出来る。彼はより筋肉質で、より大きな体を持っているのだから。 

だから女性は、非暴力の方法を通り抜けなければならない。非暴力の方法・・・女性の最も古くからのやり方は、ほとんどこれだ。彼女はあなたを支配したい。しかも、あなたが回避出来るようなやり方を通してではなく・・・。 

あなたは、彼女のやることを回避することさえ出来ないのだ。さて、もし彼女が泣いている時に、あなたが本当に彼女を打ち負かしたいなら、あなたはもっと大きな声で泣かなければならない。それはあなたには出来ない。難しい。 

だから、あなたは明け渡さなければならない。ところが女性は、泣くことを通して支配しようとしているようには見えない・・・それがその美しさだ・・・しかし、それは微妙な支配なのだ。 

初めに、最も基本的なことがある。それは、お互いに明け渡すという点から考えるのではなく、2人が共に、愛に明け渡すということだ。その時、あなたは彼女に何も言うことは出来ないし、彼女もあなたに何も言えない。 

そうすれば、あなたが誰かの影になる必要もなくなる。あなたは、あなた自身のままだ。彼女は、彼女自身のままだ。実際、愛の神に明け渡すことによって、あなたは本当にあなた自身になり、彼女も本当に彼女自身になる。 

あなたが本当に独立していて、彼女に支配されることを心配していない時、またあなたが、彼女に明け渡しているのではなく、愛の神に明け渡している時、その時あなたは、あなた自身を全面的に開くことが出来る。 

何故なら、その時には彼女の存在が、あなたと共に在るかないかという問題はないからだ。 

この考えを強調させて欲しい。あなたが愛の神に明け渡す時、その時は、彼女があなたと共にいるか、あなたの元を離れるか、あるいはあなたが彼女の元を離れるか、彼女と共にいるかは、それほど大切なことではなくなる。たったひとつ重要なのは・・・愛は留まる・・・ということだ。 

あなたの明け渡しは神に対してであり、彼女に対してではない。そして彼女の明け渡しは、愛に対してであり、あなたに対してではない。だから唯一の問題は、愛を裏切らないということだ。 

恋人を代えることは出来る。しかし、愛は留まる。一度、あなたがそれを理解したら、何の恐怖もなくなる。 

私はあなたに、代えなければならないと言っているのではない・・・その必要はない。しかし、これは絶対に理解されなければならない。恋人は代えることが出来る。しかもなお、愛は裏切られないということだ。 

あなたは依然として愛している・・・他の何か、何か他の表現、何か他の形を・・・しかしあなたは、なおも愛しているし、彼女もなお愛している。愛はあなたを、あまりにも幸福にしたので、あなたはそれを裏切ることが出来ない。 

一度これが理解され、当然のこととして受け取ることが出来たら、その時、あなたは全面的に開くことが出来る。そして、まさにその開くことの中で、あなたはひとつになる。 

ふたりの人間が開いている時、彼らはふたつではない。ふたりの閉じた人間だけが、ふたつなのだ。ふたりの開いた人間は、ふたつではない。そして、そこには満ち足りたものがある。それが、全ての恋人達が探し求めているものだ。 

OSHO:For Madmen Only より抜粋