OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

57.今か、さもなければ永遠にない

<OSHOの講話より> 

質問:馬鹿げているように思われるかもしれませんが、世界の未来に関するこの全ての暗闇の中にいても、正直なところ、たとえ明日世界が終ろうとも私は気にしていません。そのことについて話して何になるのでしょうか?人類の抑圧されたマインドの中で、永遠に燃え続けるかのような、この巨大化してしまった破滅の炎に油を注ぐことに、意味はあるのでしょうか? 

もうたくさんです。「今か、さもなければ永遠にない」ということは分かります。それならば、今やってしまいませんか。さあ、踊りましょう! 

ヴィマール、「正直なところ、私は世界のことなんか気にしていません」と言うのはたやすい。だが、あなたのハートでそれを感じてごらん。世界というのは、あなたの外側にだけ存在するのではない。世界は、あなたの内側にも存在する。あなたが世界だ。 

そして次第に近づいて来るこの暗闇は、とても重要になって来た。だからあなたは「今」を選び、延期することを止める。それは本当だ・・・「今か、さもなければ永遠にない」・・・ 

だが世界には、今に生きている人々はほとんどいない。人々は、いつも昨日か明日に生きている。 

なぜ私は、どのような明日も全くなくなってしまう可能性が今度こそ来る、ということを強調しているのだろう? 

「明日は決してやって来ない」という古い諺(ことわざ)がある。だがこの古い諺は、ただの諺に過ぎなかった。そしてこの諺にも関わらず、明日はやって来続けた。 

それは明日としてやって来るのではないのかもしれない。いつも今日としてやって来ることになる・・・その意味では、諺は正しい。 

だが、今や状況は全く異なる。明日は本当にやって来ないかもしれない。私達はまさに、道の終わりにやって来たということを、あなたの存在の中に深く浸透させて欲しい・・・そして、踊り祝う以外に、何も残されていない。 

それを「今」やる為に、私はあなたの明日を完全に破壊している。私はあなたのマインドから、明日を取り去ろうとしている・・・あなたのマインドは、明日というものに深く巻き込まれている。 

たとえ「明日世界が終るかもしれないことは分かる」と、あなたが言ったとしても、深いところであなたのマインドは言い続ける。「何千もの戦争があった。それでも世界は生き延びて来た。もうひとつ戦争が起こったところで、大した違いはない」 

マインドは、言い訳を見つけるのがとても上手い。何かが破壊を防ぐだろうと。 

私は、破壊を防ぐべきではないとは言っていない。私が言っているのは、あなたのマインドの中に、延期する為の言い訳が残されるべきではない、ということだ・・・そうすれば、あなたの全エネルギーが「今」に集まる。未来に広がっていかない。 

もし全エネルギーをこのポイントに集中するなら、この瞬間はエンライトメント(光明)の瞬間になり得る。光明とは、あなたの意識がただ一点に集中した、ということ以外の何ものでもない・・・「今」そして「ここ」に。 

あなたは言う「もうたくさんです」そうではない、ヴィマール。人間のマインドを見ると、何も充分ではない。 

人々は、彼らの古い無意識なやり方で生きている・・・ブッダやキリストのような人々が、いつも世界の終わりを予言して来たけれども、世界はまだここにある、という望みを抱きながら・・・だが、今回は状況が全く異なる。 

私は、世界の終わりを予言している訳ではない。ただ、それを回避する可能性がなさそうだということが、あまりにも確かに、論理的にあまりにも確かになって来ている、ということだ。 

だが私の関心は、世界の終わりを回避することにあるのではない・・・もし回避することが出来るならば、それは回避されるだろう・・・私の関心は、あなたにハッキリと知らせることにある。 

世界の終わりを避けることは出来ないこと、そして、あなたのエネルギーを注ぎ込む為のいかなる未来もないこと、また、あなたの全エネルギーをこの瞬間に集めなければならないということを・・・ 

そして、全エネルギーが「ここ」と「今」に集められた瞬間、光の爆発が起こる。あなたは初めて、完全に自分自身・・・永遠の存在、不死の存在になる。それは何ら死について知らない。どのような暗闇にも決して出会ったことがない。 

あなたは言う。「それならば、今やってしまいませんか。さあ、踊りましょう!」 

だが、あなたのダンスはトータルでなければならない・・・というのも、あなたは踊りながら、依然として未来に思いを馳せることが出来るからだ。あなたは踊りながら、依然として明日もまた踊っているだろう、と考えることも出来るからだ。 

これが最後のダンスであるかのように踊りなさい。奔放に踊りなさい。何もためらうことなく。それがあなたの存在に変容をもたらし、そして、他の人々の変容の可能性をもたらすだろう。 

ある政治家が演説をし、そして言った。「有権者のみなさん、私達は現状を取り戻さなければなりません」ひとりの男が聴衆の中から叫んだ。「現状というのは何を意味するんだい?」 

その政治家は、稀に見る正直さで答えた。「実際は、それは『私達が置かれている混乱状態』を意味するラテン語です」 

表面では、全てが完全に上手くいっているように見える。だが深いところで、人類の無意識層には大きな混乱がある。あなたは、自分自身の無意識の悪夢にさえ気づいていない。が、人類はかつて、これほど苦しんだことはなかったほど苦しんでいる。 

人類は、かつてなかったほど絶えず動き続けている。人類は「寛ぐ」という言葉を忘れてしまった。「トータル(全面的)」という言葉を忘れてしまった。「強烈さ」という言葉を忘れてしまった。 

そしてこういった素晴らしい質は全て、あなたの瞑想が、あなたの存在の革命となる為に必要となる。それは道徳の問題でも、品性の問題でも、美徳の問題でもない・・・ 

宗教は、何千年もの間、これら全てのことと関わって来た。そして彼らは、人を変容させることで、上手くいったためしがない。これは全く異なったアプローチ、異なった次元のものだ。エネルギーの次元、そしてエネルギーの集中だ。 

ちょうど原子力というものが、小さな原子が電子、陽子、中性子といった、自らの構成要素へと分裂する爆発であるように・・・それは目には見えない。が、爆発は非常に大きい。だから、長崎とか広島のような大きな都市を破壊してしまう・・・ 

これとまさに同じことが、生きている細胞の内側での爆発として起こる。原子力は外側にあり破壊的だ・・・外向きで破壊的だ。 

あなたの存在の内側のエネルギーである、内なる細胞が一度爆発したなら、それは原子力と同等の質、同じような途方もない力を持っている・・・だが、それは創造的だ。 

それは連鎖的な反応だ。あなたの内側のひとつの細胞が爆発する。それから他の細胞が連鎖的に爆発を始める。生全体が、光のフェスティバル(祝祭)になる。あらゆる行為がダンスになる。あらゆる動きが、この上ない喜びとなる。 

私が言いたいのは「暗闇は未来とは何の関係もない」ということだ。それは、あなたと関係がある。もしあなたが「未来」という考えを完全に落とせるなら、あなたの光明はすぐにも起こる。 

それに、未来という考えを落とすのにはよい機会だ。というのも、未来そのものがなくなっているからだ。 

だが、あなたのマインドのほんの片隅にさえ「多分、これも方便だろう」という考えを置いて欲しくない。これはあなたを、今までと同じ古いままの無気力な人間にしようとするマインドの策略だ。 

マインドはずる賢い。あなたは朝早く起きようとして、目覚まし時計を用意する。そしてアラームが鳴る・・・マインドはとても賢い。あなたは教会にいて、教会の鐘が鳴っているというような夢を見始める。 

かわいそうな目覚まし時計は、それ以上何も出来ない。マインドは夢を作った。そして、あなたが眠り続けるのを可能にした。 

古い宗教は、基本的にひとつのことを主張して来た。それは未来だ。あなたはこのことに気づくべきだ。この生における未来ということだけでなく、この生の後についてまでも・・・ 

彼らの全ての計画は、あなたの全エネルギーを、死んだ後の遥か彼方の楽園での来世の計画の為に取っておくことにあった。この策略は上手くいった。これは、人類の生の本質そのものを取り去った。 

人々は、ただ楽園に住むことを待っていた。この場所、この地球は、ちょうど駅の待合室のようになってしまった。 

みんなが汽車を待っている。でも汽車は決して来ない。そして人々は時刻表を調べ続ける。彼らは待合室を改善しようとはしない。というのも、それは単なる待合室だから・・・特にインドでは。 

私は、とてもたくさんの旅をして来た・・・ほとんど何百もの待合室を・・・そしてどういう訳で人々が、自宅にいる時とは違った風に振る舞うのかを見て来た。 

彼らはバナナを食べ、待合室の至るところにバナナの皮を投げる・・・結局、それは待合室だ。彼らはそこで生活する訳ではない。彼らの乗る汽車が来れば行ってしまう。 

待合室はとても汚れている。洗面所はどうしようもない。誰も、これ以上汚れないように気を配っている者はいない・・・というのも、みんなの目は未来を向いているからだ。彼らは時刻表を調べている。そして、汽車が来たら行ってしまう。 

全ての宗教上の経典は、世界は待合室に過ぎないと言う。あなたの本当の家は、遥か遠くの雲の上にある。そこには本当の生活がある。ここは、ただ待つ為にある。 

私は宗教的な考え方の、全てのパターンを変えようとしている。私はあなたに言いたい。「ここ」があなたの家だ。まさに「この瞬間」こそが、あなたの楽園だ。 

それは、全てあなた次第だ。あなたが全面的に踊るには、徳を必要としない。全面的に踊るのに学ぶ必要はない。全面的に踊るのに、信心深くある必要はない。 

全面的に踊る為に必要なことは、この瞬間だけのリアリティを受け容れるということだ。

私達は次の瞬間のリアリティを、それがやって来たなら受け容れるだろう。だが私達は、それを待ってはいない。 

全ての宗教は、あなたに待つことを教えて来た。私は、あなたに生きること、愛すること、踊ること、歌うことを教えている・・・だから、待ってはならない。OK.ヴィマール? 

OSHO,The Hidden Splender より抜粋