OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

62.「生」は小さなことからできている

<OSHOの講話より> 

質問:なぜ私は、特に自分の仕事で人に感心されたり、人から認められたりする必要を感じるのでしょうか?そのことで私は罠にハマっています・・・どうしても、それなしにはいられないのです。自分が罠にハマっていることは分かっているのですが、私はすっかりそれに捕まってしまって、抜け出せそうにありません。私が出口を見つけられるように助けて頂けますか? 


質問はケンドラからのものだ。人に感心されたり、認められたりしなければならないということが、誰もの問題であることを思い出さなければならない。 

私達の「生」の全構造が、人に認められない限り自分は無価値だと教えられて来ている。為す仕事が重要なのではなく、認められるということが重要なのだ。これが物事を逆さまにしている。 

為される仕事が重要であるべきだ・・・それ自体が喜びであるべきだ。人は認められる為ではなく、創造的であることの喜びの為に、その仕事を愛しているがゆえに、仕事をすべきなのだ。 

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホのように、社会が人を仕込むそのような罠から逃れることが出来た人は、極めてわずかしかいなかった。 

彼は絵を描き続けた・・・食べる物もなく、住む家もなく、着るものもなく、薬もなく、病みながら・・・しかし彼は描き続けた。たった1枚の絵も売れなかったし、誰からも認められはしなかったが、不思議なことには、そういう状況にありながらも、彼はなお幸せだった・・・ 

彼が幸せだったのは、自分が描きたいものを描くことが出来たからだった。認められようと認められまいと、彼の仕事には内在的な価値があった。 

33歳の時に、彼は自殺していた・・・それは不幸のせいでも、苦しみのせいでもなかった。そうではない。それはただ、彼がその為にほとんど1年をかけて来た最後の絵、ある日没の絵を描き終えたからだった。 

何十回と試みていたのだが、彼の望む基準には達せず、それを破り捨てていたのだ。その日没の絵を、彼はついに自分の望んでいたように描き上げることが出来た。 

彼は弟に、次のような手紙を書いて自殺した。 

「僕は絶望して自殺して行くのではない。僕が自殺するのは、今やもう生きることに意味がないからだ・・・僕の仕事は終わった。 

生計の道を見つけるのは難しかったが、そんなことは構わなかった。僕には為すべき仕事があったし、実現されるべきある潜在的な力があったからだ。それは開花した。だからもう、乞食のように生きることに意味はなくなった」 

「今の今まで僕は、そんなことを考えたこともなかったし、そんなものが視界を横切ったこともなかった。だが、今となってはそれしかない。僕は、僕の能力の限界まで花開いた。僕は成就した。 

だから今となっては、生計の手段を探し求めながら、この生を引き延ばすことは、ただただ馬鹿げたことに思われる。一体何の為に? 

だから僕に言わせれば、これは自殺ではない。そうではなくて、ただ僕が完成に、全休止に辿り着いたということ、そして喜んでこの世を去って行くということだ。喜びを持って僕は生きた。喜びを持って僕はこの世を去って行く」 

ほぼ1世紀後の現在、彼の絵はどれも1枚何百万ドルの価値がある。残っているのはわずか200枚の絵でしかない。彼は何千枚と描いたに違いない。だがそれらは誰ひとり気にする者もなく、滅び去った。 

今ではヴァン・ゴッホの絵を持っているというだけで、審美眼があるということになる。彼の絵が、その人に認知を与える。世間は一度として、彼の仕事にどんな認知も与えなかったが、彼は全然気にもしなかった。そしてそれこそが、人がものごとを見る目つきであるべきだ。 

そのことが大好きなら、その仕事をしなさい。人に認められることなど求めないことだ。もし人に認められるようなら、それを気軽に受け取っておきなさい。もし認められなければ、そんなことは考えないことだ。 

自分の満足は、その仕事自体の中にあるべきだ。そしてもし誰もが、自分の仕事を愛するというこの素朴な技を学んだら、どんなことであろうと、人から認められることなど求めずに、それを楽しむという技を学んだら、私達はもっと素晴らしい祝祭に満ちた世界を持てるはずだ。 

が、現状では、世間では人は惨めな型にはめ込まれて来た。人が為すことは、その人がそれを愛しているから、その人がそれを完璧に成し遂げたから良いのではなく、世間がそれを認めたから、それに褒美を与えたから、金メダルを、ノーベル賞を与えたから良いというのだ。 

彼らは創造性の中に内在する価値を全て取り去り、無数の人々を破滅させた。なぜなら、何百万という人々にノーベル賞をあげる訳にはいかないからだ。そしてあらゆる人間の中に、人に認められたいという欲望を植え付けた。 

こうして誰ひとり、自分のやっている仕事を平和に静かに楽しみながらは出来なくなった。ところが生は、小さなことで出来ている。そういう小さなことに対しては褒美もなければ、政府から与えられる称号もなく、大学から与えられる名誉学位もない。 

今世紀の大詩人のひとり、ラビンドラナート・タゴールは、インドのベンガルに住んでいた。彼は自分の詩とその小説をベンガル語で出版した・・・だが誰ひとり彼を認める者はいなかった。 

それから彼は1冊の小さな本「ギタンジャリ」(音楽の捧げもの)を英語に翻訳した。そして彼は、その原本が翻訳書の持たない、かつ持つことの出来ない、ある美しさを持っていることを知っていた。というのは、そのふたつの言語、ベンガル語と英語は構造が異なり、表現方法が別だったからだ。 

ベンガル語はとても美しい。人が喧嘩をしている時でさえ、まるで素敵な会話でもしているように聞こえる。それは極めて音楽的な言語で、ひとつひとつの単語が音楽的だ。 

そういう特質は英語にはない。またそれを英語に持ち込むことも出来ない。英語は別の質を持っているからだ。 

だが彼は、それを何とか翻訳した。するとその翻訳が・・・それは原典に比べれば貧弱なものでしかなかったのだが・・・ノーベル賞を受けた。すると突然、インド中がそれに気がついた・・・ 

その本はベンガル語というインドの言葉のひとつで、手に入れることが出来たものだった。何年もの間、それに気がついた者などいなかったのだ。あらゆる大学が、彼に文学博士号を贈りたがった。彼が住んでいたカルカッタ大学が、むろん彼に名誉博士号を贈ろうとした最初の大学だった。 

彼は拒絶した。「あなた方は、私に博士号をくれようとしているのではない。あなた方は、私の仕事を認めようとしているのではない。あなた方が認めようとしているのは、ノーベル賞だ。 

なぜなら、あの本はもっとずっと素晴らしい形でこの国に存在していたのに、これまでその批評文を書く人すらいなかったのだから」と彼は言った。彼はどんな文学博士号も受け取ることを拒絶した。「それは私を侮辱するものだ」と、彼は言った。 

大作家であり、人間心理に対する大変な洞察家でもあるジャン・ポール・サルトルは、ノーベル賞の受賞を拒否した。 

「自分の作品を生み出している間に、私は褒美を充分に受け取った。ノーベル賞はそれに何ひとつ加えることは出来ない・・・逆にそれは私を引き下ろすものだ。 

人に認められることを求めている未熟な人にはいいかもしれないが、私は充分に年を取っているし、これまでに充分楽しんだ。私は、自分がしたことは全部大好きだった。それ自体が褒美だった。他の褒美など私は求めない。私がすでに貰ったもの以上によいものなどあり得ないのだから」と彼は言った。 

彼の言う通りだった。だが、この世には正しい人はごくわずかしかいない。この世は、罠にハマった間違った人達でいっぱいだ。 

なぜ人に認められることなど気にしなければならない?人に認められることを気にするということは、自分が自分の仕事を愛していない時にしか意味がない。 

そうであればそれには意味があるし、その代わりになるように思われる。自分はその仕事が嫌いで好きではないのだが、その仕事なら人に認められることになるし、評価もされ、受け入れて貰えると思うから、その仕事をするのだ。 

人に認められることを考えるよりは、むしろ自分の仕事のことを考えなさい。自分がその仕事を愛しているか?・・・そうだったら、それが目的のはずだ。 

もしその仕事を愛していないのなら・・・それなら、そんな仕事は変えることだ! 

親や教師は、常にあなた方が人に認められ、世間に受け入れられるように督励するものだ。これは人を自分の支配下に置こうとする極めてずる賢いやり口だ。

 

私は大学で何度も何度も「君はそういうことをするのを止めるべきだ・・・そんな質問に答えることなど出来ないと自分でよく知っているのに、君はそんな質問ばかりし続けている。そうやって、あの教授に恥ずかしい思いをさせている。 

君はあんなことを止めなくちゃいけない。そうでないとああいう人達は、仇を打つよ。あの人達には権力があるんだから・・・君を落第だってさせられる」と、言われたものだ。

「僕はそんなこと気にしませんね。僕は今質問をして、あの人達に、自分が何も知らないことを分からせてやるのが楽しいんです。あの人達は、ただ『私は知らない』と言うだけの勇気がないんですよ。 

そうすれば、何も恥ずかしい思いなんかしなくていいんです。だけどあの人達は、自分は何でも知っている、という振りをしたい。僕はそれが面白いんです。 

僕の知性も研ぎ澄まされてゆきますよ。試験なんて、誰が気にするものですか?あの人達は、僕が試験を受けなければ落第なんかさせられません・・・誰がそんなもの受けに行くものですか。 

もし彼らが僕を落第させられると思っているのなら、僕は試験なんか受けに行かないで、同じクラスに残ってやります。彼らはもう1年、僕と顔を合わせなければならないという恐怖で、僕を合格させてしまいますよ!」と、私は言った。 

そして彼らは全員私を合格させたし、私を合格させるようにもした。それは、彼らが私を厄介払いしたかったからだ。 

彼らの見るところでは、私は他の学生達まで駄目にするからだった。というのは、過去何世紀もの間、何の疑問もなく受け入れられて来たことを、他の生徒達まで質問し始めたからだった。 

私が大学で教えていた時にも、同じことが今度は別な角度から起こって来た。今度は私は学生達に、彼らが集めて来た知識は全て借り物であり、彼らが何も知らないのだということに対して、注意を向けるような質問をしていた。 

私は彼らに、自分は彼らの持っている学位などは問題にしないということ、自分が問題にするのは、君達が持っている本当の経験だと告げた・・・ 

ところが彼らには、本当の経験など何もなかった。彼らはただ時代遅れの、とうの昔に間違っていることが証明されているような本の知識を繰り返しているだけだった。 

今度は学校当局が「もし君がずっとこんなやり方を続けて、学生達をかき回すようなら、君は大学を追われることになる」と言って私を脅した。 

「これは不思議だ・・・学生だった時、私は教授達に質問をすることが出来なかった。今度は私が教授で、学生達に質問することが出来ないとは!となると、この大学は一体どんな機能を果たしているんですか? 

大学とは、問いがなされ、探求が始まるところであるべきだ。解答は本の中で見つけるのではなく、生と存在の中で発見されなければならない」と私は言った。 

「あなた方は、私を大学から追放出来るでしょう。しかしいいですか、あなた方が私を追放するというその理由にしているその同じ学生達が、この大学を全部焼き払ってしまうことになりますよ」 

私は学長に、「あなたは私のクラスに来て様子を見た方がいい」と告げた。 
学長には信じられなかった・・・私のクラスには少なくとも200人の学生達がいた・・・それも座席がないものだから、彼らはそこら中に・・・窓の上や床の上に・・腰掛けていた。 

「これはどういうことだ?あなたには10人しか学生がいないはずだが・・・」 

「この学生達は聴講生です。みんな自分のクラスを辞めて来たんですよ。みんなここにいる方が好きなんです。このクラスは対話なのです。私が彼らより偉い訳ではないし、誰に対しても私のクラスに来ることを拒否したりは出来ない。 

私の学生であろうとなかろうと、そんなことは問題じゃない。やって来て私の講義を聴くというのなら、その人間が私の学生です。実際のところ、あなたは私に講堂の使用を許してくれるべきですよ。この教室は私には小さ過ぎる」 

「講堂だって?というと、大学中が講堂に集まるというのかね?そうなったら他の教授達は何をしたらいいのかね?」と学長。 

「そんなことは彼らが考えたらいい。首でもくくりに行くんですね。あの人達はずっと昔にそうしているべきでしたよ。学生が自分の講義を聴きに来ないというだけで、充分明らかなことだ」 

教授連中は腹を立てたし、学校当局も腹を立てていた。が、ついには彼らも、非常に気が進まぬながら、私に講堂を明け渡さなければならなかった。無理やり学生達にそうさせられたのだった。 

彼らは「おかしいじゃないか。哲学にも宗教にも心理学にも何の関係もない学生達が、どうしてそんなところに行かなきゃならないんだ?」と言っていた。 

多くの学生達が学長にこう言った。「止められないんですよ。僕達は哲学や宗教や心理学が、あんなに人の関心をそそる、面白いものであり得るなんて知らなかったんです。知っていたら選択していましたよ。 

ああいうのはお硬い勉強で、本の虫みたいな連中だけが勉強するもんだって思ってたんです。面白い人間が、そんな勉強をしているところなんか見たことがなかったのでね。 

だけど、あの人の授業があんまり面白いもんだから、自分の科目に失敗したところで、どうってことないやって気になってしまって。僕達が今していることは、それ自体は決して間違ってはいないので、これを変えるつもりがないってことだけはハッキリしてますね。」 

認められることに逆らい、受け入れられることに逆らい、学位に逆らって・・・だが、結局は私は大学を去らなければならなかった。 

それは彼らの脅迫の為ではなくて、何千人という学生達が私の助けを得ることが出来ても、それは浪費だということを私が認めたからだ。 

私は世間の何百万という人の助けになり得る。小さな大学にこだわり続ける理由がどこにあるだろう?全世界が私の大学であり得る。が、みんなも想像がつくと思うが、私は非難されて来た。 

それこそが、私が受けた唯一の認知だ。私はありとあらゆるやり方で、間違った伝えられ方をされて来た。人に反対して言われ得る言葉で、私に言われなかったものはない。人に反対して為されることで、私に対して為されなかったことはない。 

これが認知だと思うかね?だが私は自分の仕事を愛している。あまりにもそれが好きなものだから、私はそれを仕事とすら呼ばない。私はただ、それを自分の道楽と呼ぶだけだ。

そして世の中で認められている、何らかの意味で私の目上に当たる人達は、みんな私に「あなたがしていることは、この世であなたに、どんな尊敬も与えることにはならないだろう」と私に告げた。 

しかし私は言った。「私は決してそんなものを求めない。それに尊敬なんてものを貰っても、私にはどうしたらいいか分からない。そんなものは食べることも出来ないし、飲むことも出来ない」と。 
ひとつ基本的なことを学びなさい。何であれ自分がやりたいことを、自分が大好きなことをやって、決して人に認められようとなど求めないことだ。 

それは乞食のやることだ。どうして人の認知を求めたりしなければならないのか?どうして人に受け入れられたがらなければならない? 

自分の内面を深く見下ろしてごらん。もしかして、自分のやっていることを好きではないのかもしれない。もしかして、自分が間違った道にいると恐れているのかもしれない。 

人に受け入れられれば、自分が正しいと感じる助けになる。人に認められれば、自分が正しい目的に向かって進んでいると感じさせてくれる。 

問題は、自分自身の内なる感じだ。それは外側の世界には何の関係もない。それになぜ人に頼る?そういうことを全て人に頼れば・・・自分自身が人に頼るようになってゆくのだ。 

私はノーベル賞など受けるつもりはない。世界中の国々から、あらゆる宗教からやって来る、こういう非難全ての方が、私にとってはもっと価値がある。 

ノーベル賞を受け取るということは、私が何かに寄り掛かることを意味する・・・そうなれば私は自分自身を誇りにするのではなく、ノーベル賞を誇りにすることになる。 

今現在、私には自分しか誇れるものはない。他に私が誇りに出来るものなど何もない。 

このようにして人は個人になるのだ。そして完全な自由の中に、自分自身の足で立って、自分自身の源泉を汲み上げて生きている個人として在るということが、人間を本当に中心を持った、大地に根を生やした存在にする。それこそが、その人間の究極の開花の始まりだ。 

いわゆる認められた人々、名誉ある人々が一杯に詰め込んでいるのは、がらくた以外の何ものでもない。だが彼らが一杯に詰め込んでいるがらくたは、世間が彼らに求めているがらくたであり・・・また世間も彼らに褒美を与えることで、それに報いている。 

自分自身の個性という感覚をいくらかでも持っている人間は、他の人間がそれをどう思うかなど全く考慮することなく、自分自身の愛によって、自分自身の仕事によって生きる。

自分の仕事が価値があればあるほど、それが何らかの尊敬を受ける可能性はそれだけ少なくなる。そしてもし自分の仕事が天才の仕事であるなら、その人は自分の生涯でどんな尊敬も受けることはないだろう。 

その人は生きている間は非難される・・・それから2,3世紀経ってから、その人の銅像が作られ、その人の本は尊敬されるようになる・・・なぜなら、その人が現在持っている知性を人類が身に付けるようになるには、まず2,3世紀はかかるからだ。そのギャップは大きい。 

白痴達に尊敬されたら、人は彼らの作法に従って、彼らの期待に従って行為しなければならない。 

病んだ人類に尊敬される為には、人は彼ら以上に病まなければならない。そうすれば彼らは、その人を尊敬するだろう。 

だがそうやって、何を手に入れることになるのか?自分の魂を失って、しかも何ひとつ得るものはない。 

OSHO:Beyond Psychology より抜粋