OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

65.愛と信頼の違い

<OSHOの講話より> 

質問:愛と信頼の違いについて話して頂けますか?私には、私達とあなたの関係の中では、信頼の方が愛よりも大きな意味を持っているように思われます。私が「OSHO、あなたを愛しています」と言う時、私は他の恋愛関係によって色づけされ、また定義されるようなある感覚のことを、光明を得ていない私の状態によって限界づけられる、ある感覚のことを話しているのです。私はあたかも、自分のあなたに対する愛が何を意味しているのか、自分が理解しているかのように話します。 

「OSHO、私はあなたを信頼しています」と言う時、私は「必要なことは何でも私になさってください。私が想像してもいない、そして想像することも出来ないような場所へ私を導いてください。私はあなたのものです」と言っているのです。信頼とは、それが自分の理解を超えたものに対してさえ開かれている、という理解を包含しているように思われます。 

愛とは、光明を得ていない愛とは、いくぶん攻撃的な、外向きのものでもあるようです。その「私」は、ひとつの実体としての自己を非常に意識しています。一方信頼は・・その光明を得ていない姿においてさえ・・・その中に全面的な手放しの質を持っているように思われます。その「私」は、ただ言葉としての必要からそこにあるに過ぎません。なぜなら、信頼している人は、自分自身が消えてしまうかもしれないことを認めているのですから。 


これはマニーシャの質問だ。これは質問では全くない。質問者本人が見事に解答している。彼女は、まさに私が言ったであろうことを正確に言っている。そしてそれこそが、私がみんなに望んでいることだ。やがてみんなが自分が何かの質問をした時に、まさに私がそれに答えるように、自分自身でそれに答えられるような理解に到達していることだ。 

確かに、信頼は愛より高い価値を持っている。信頼においては愛は暗黙に前提されているが、愛においては信頼は暗黙の前提ではない。みんなが「OSHO、私はあなたを信頼します」と言う時には、そこに愛があるのが分かる。だが愛していると言う時には、信頼は何も関係ない。実際、あなた方の愛は、非常に疑り深く、実に信頼しておらず、非常に恐れに満ち、常に警戒し、自分が愛している人を見守っている。 

恋人達は、ほとんど探偵のようになる。彼らはお互いにスパイし合う。もし信頼の一部としてやって来るなら、愛は美しい。そして信頼には常に愛がある。なぜなら、愛なしに信頼はあり得ないからだ。だが愛は信頼がなくてもあり得る。そして信頼のない愛は醜い。それは内側深くに、嫉妬と疑いと不信の全てを秘めている。 

「私はあなたを愛している」と言う時、それが明け渡しではないこと、自分が解体することに対する準備が出来ている、ということでないことも確かだ。それは未知なる、そして決して前もって知られることのない空間へ連れて行かれることに対する準備ではない。「私はあなたを愛している」と言えば、その人は同じままであり、またそこにはある種の攻撃性がある。 

人類の始まり以来、至る所で、そしてあらゆる時において、女性が自ら進んで「私はあなたを愛している」と言って来なかったのはその為だ。女性は、男が「私はあなたを愛している」と言うのを待った・・・それは、女性のハートがその攻撃性を感じていたからだ。だが男性のハートはもう少し堅い。男はその攻撃性を感じない・・・実際は、男はそれを楽しむ。 

だが人が「私はあなたを信頼します」と言う時は、それは深い明け渡し、自らを開いた受容性だ。それは自らと宇宙に対して「たとえこの人が私を地獄に連れて行くとしても、もう私はいいのです。私はこの人を信頼します。それが私には地獄に見えるとしても、それは私の見間違いに違いありません。この人が、私を地獄に連れて行くことなどあり得ないのですから」と、宣言することだ。 

信頼においては、人は常に自分の誤りを見つける。愛においては、人は常に自分が愛している相手の誤りを見つける。信頼においては、人は常に口に出しては言わぬながらも、謝罪しているのだ。「私は無知です。私は眠っており、無意識です。何か間違ったことを言ったり、間違ったことをしたりする可能性があります。ですから私には、慈悲をかけてください。慈悲の目を向けてください」と。 

信頼とは、実に多くのものを意味している。それは大変な宝だ。 

人が「私はあなたを愛している」と言う時、そこには微妙な独占欲の底流がある。口に出して言われることはなくても、それは理解される。「もう私はあなたのもの、他の誰もあなたを愛すべきではない」と。 

信頼においては、自分が信頼しているその人を独占するという問題はない。逆に人は「どうぞ私を乗っ取ってください。エゴとしての私を壊してください。私が消えて、あなたの中に溶け込むのを手伝ってください。あなたと一緒に行くことに逆らいはしませんから」と、言っているのだ。 

愛とは、絶えざる奮闘、闘いだ。それは要求する。「私はあなたを愛している」とは、「あなたも私を愛さなければならない。実際、私があなたを愛しているのは、ただあなたに私を愛して貰いたいからに過ぎないのだから」という意味だ。それはただの取り引きに過ぎない。 

だからそこに恐怖がある。「あなたは他の誰も愛すべきではない。また誰もあなたを愛すべきではない。私は自分の愛に誰も仲間なんかいらないし、自分の愛を、人と分かち合いたいなんて望まないから」と。 

人間の無意識のマインドは、愛をあたかもひとつの量であるかのように、愛には一定の量があるかのように考え続ける。私が誰かを愛したら、もうその人間は、その愛の量全てを所有しなければならない。私が他の何人かの者を愛そうものなら、その一定の量がその人達にも配られ、自分の手に入るのは全部ではなくなる、と。 

それゆえに、そこに嫉妬が、探り合うことが、不平が起こって来る。そして愛という美しい言葉の陰で、あらゆる醜いことが起こり続ける。 

信頼においては、闘うというような問題はない。それは本当の明け渡しだ。みんなが「OSHO、私はあなたを信頼します」と言えば、それは「今のこの瞬間から、あなたについての私の闘いは終わりました。もう私はあなたのものです。あなたは何でも望むことをなさってください。あなたは私を殺してもいいのです。それでも私は抵抗したりはしません。なぜなら私はもういないのですから。もうあなたにお任せします。どんなことでも、あなたが正しいと思われることをなさってください」という意味だ。 

また信頼は、人と競うというようなものではない。だからそこに嫉妬はない。あなたが私を信頼しても、何百万という人間が私を信頼することが出来る。実際は、より多くの人が私を信頼すればするほど、それだけあなたは幸せになる。それほどたくさんの人が私を信頼していることが、あなたには嬉しいのだ・・・愛ではそうはいかない。 

だが信頼においては、愛の中の美しいものは全て、暗黙に前提されている。「OSHO、私はあなたを信頼します」と言う瞬間、その人は「私はあなたを愛しています」とも言っている。だが今度はその信頼ゆえに、もはやその「私」は存在せず、ただ愛だけが存在している。そしてエゴのない愛は、問題を生み出すこともない。 

「たくさんの人達があなたを愛することが出来ます。そして、より多くの人があなたを愛すれば愛するほど、私はそれだけ幸福になります」と。これは信頼ゆえに起こることだ。

信頼とは、おそらく人間の言葉の中でもっとも美しい言葉だ。そして信頼は極めて真理に近い。だから、もしそれが全身全霊のものであれば、まさにこの瞬間にもあなたの信頼は解放になり、革命になる。 


質問:OSHO、この世でもっとも痛みに満ちた経験とは、あなたに腹を立てるということです。これは質問ではありません・・・再びあなたを愛することが出来ると感じている、純粋な喜びの表現に過ぎません。 

その通りだ!これはチェタナからのものに違いない!私に腹を立てるというのは、もっとも難しいことのひとつだ。ヴィヴェーク、お前に聞いてみたらいい。彼女は私の為に、私の安全の為に何度も苦しんだからね。そして私には分かるのだが、彼女が腹を立てたとしても、それは私に対してではない。だがその時は、彼女はその怒りの為にひどく苦しむ。あなた方は私を非常に愛している・・・私に対して腹を立てることなど考えることも出来ない。 

だが時には、その味わいもいいものだ。そうすれば、それはあなた方が将来こんなスペースに入って行かなくてもいいようにしてくれるだろう。もちろんヴィヴェークにとっては、それは難しい。私が絶え間なく警察や、刑務所当局や、政府に酷い目に合わされ、ひとつの場所から別の場所へと追い立てられているものだから、今では彼女は、絶え間なく悲しんだり心配したりしている。そしてそれを妨げる為に、自分に出来ることが何もないのを彼女は知っている。 

こういう悲しみが全部集まって、ときとして怒りに変わることがある。今となっては彼女は、そういう政府に腹を立てる訳にもいかない。彼女が腹を立てられる相手は、私しかいない。だがそうなると、私に腹を立てるということは本当に難しい。それはほとんど不可能な仕事だ。そしてそれを通り抜けなければならない者は、その地獄をよく知っている。

だがそのことにも、ひとついいことがある・・・いつでも、たとえ最悪の状況の中にも、何かいいことはあるものだ・・・それは永久に続くものは何もないということだ。人はそれから出て来ることになる。その時、人は途方もない自由と喜びと理解を感じるのだ。 

OSHO,Beyond Psychology より抜粋