103.親密になることへの恐れ
<OSHOの講話より>
質問:私は男性と親密になり、完全にコントロールを失ってしまう恐れの中に、
どうしようもなく閉じ込められてしまっている、と感じます。
この野性的で自由な女性は、内側に閉じ込められています。
彼女がたまに出て来ると、ふつう男性は圧倒され、動転してしまうので、
彼女は引きこもり、危険は冒しませんが、完全に欲求不満に陥っています。
どうか親密になることの、この恐れについて、話していただけませんか?
人類、その中でもとりわけ女性達は、多くの病に苦しんで来た。
今に至るまで、すべてのいわゆる文明や文化は、心理的に病んでいた。
そしてその病を、あえて認めようともしなかった。
治療の最初のステップは、自分は病気だと認めることだ。
男と女の関係性は、とりわけ不自然になって来ている。
いくつかの事実を、覚えておかなければならない。
まず第1に、男性には、たったひとつのオーガズムを得る能力しかないが、
女性には、複数のオーガズムを得る能力が備わっていること。
これが、途方もなく大きな問題を作り出して来た。
彼らに結婚と、一夫一婦制が押しつけられていなかったら、
何の問題も、生まれて来なかっただろう。
それは、「自然」の意志ではなかったようだ・・・
2番目に、男性のセックスは局部的だ。 性器的だ。 女性はそうではない。
彼女のセクシュアリティ、彼女の官能は、身体全体に広がっている。
彼女の準備が整うまでには、より時間がかかる。
そして、彼女の準備がまだ整ってもいないのに、男性は終わってしまう。
彼女に背を向けて、いびきをかき始める。
何千年もの間、世界中で何百万人もの女性が、自然の最大の贈り物・・・
オーガズミックな喜びを知らずに生き、そして死んで行った。
それは、男性のエゴを守るためのものだった。
女性は、時間をかけた前戯を必要とする。
そうすれば、彼女の身体全体が、官能で打ち震え出す。
だが、そうなると危険がある。
複数のオーガズムを持つ彼女の能力を、一体どうしたらいい?
科学的に見ればセックスは、そんなに深刻に捉えるべきものではなく、
友人達も呼んで、彼女に全域に渡るオーガズムを与えるか、
科学的なヴァイブレーターでも使ってみるべきだろう。
だが、どちらにしても問題がある。
もし科学的なヴァイブレーターを使えば、ヴァイブレーターは、
女性が得られるだけ、たくさんのオーガズムを与えることが出来る。
だが、いったん女性がそれを知ってしまったら・・・
そうなると、男性の器官はとても貧弱に見えるので、彼女はボーイフレンドよりはむしろ、
科学的な道具であるヴァイブレーターを、選んでしまうかもしれない。
もし何人か友人達が加わるのを許したら、社会的スキャンダルになってしまう・・・
乱交にふけっている、と。
そこで、男性の見つけた一番簡単な方法は、
自分が愛を交わしている間中、女性は動くことすらすべきではない、ということだ。
彼女は、ほとんど死体のように、じっとしていなければならない。
そして男性の射精は、あっという間だ・・・2分、長くて3分だ。
2,3分では、女性は一体、自分が何を逃したのか、気づく間もない。
生殖に関する限り、オーガズムは必要なものではない。
が、スピリチュアルな成長に関する限りは、オーガズムは必要なものだ。
なぜ、ほんの一握りの女性達しか光明を得なかったのか?と、
私は、何度も何度も尋ねられて来た。
様々な理由の中でも、もっとも重要な理由は、
彼女達は、一度といえどもオーガズムを味わったことがなかったからだ。
広大な空に向かった窓は、一度も開いたことがなかった。
彼女達は生きて、子供を産み、そして死んでいった。
東洋では今でも、オーガズムの何たるかを知っている女性を見つけるのは、とても難しい。
私はとても知性的で、教育を受けた、文化的に高い女性達に尋ねて来た・・・
彼女達には、それが何であるか考えもつかない。
実際、東洋の言葉には、「オーガズム」の訳語として使える言葉がない。
それは、必要とされなかった。
それはただ単純に、触れられなかったにすぎないのだ。
そして男性は女性に、セックスを楽しむのは娼婦だけだ、と教えて来た。
娼婦達はうめき、うなり、叫び、狂ったようになる。
尊敬される婦人になりたければ、そんなことはするべきではない。
だから女性は、緊張したまま、深いところでは、
男性に利用された、という気持ちで、屈辱を感じている。
多くの女性が愛を交わした後、夫がいびきをかき続けている間、すすり泣いたものだ、
と、私に報告している。
女性は、ほとんど楽器のようなものだ。
彼女の全身は、途方もない感受性を持っている。
そしてその感受性は、呼び覚まされるべきだ。
だからこそ、前戯が必要だ。
そして愛を交わした後で、男性は眠ってしまうべきではない。
それは醜く、非文明的であり、非文化的だ。
あなたにそれほどの喜びを与えてくれた女性は、後戯をも必要としている・・・
ただ、感謝の気持ちからの。
あなたの質問は、とても重要だ。
そして今後、もっともっと重要になって行くだろう。
この問題は、解決されなければならない。
だが、結婚が障害になり、宗教が障害になり、
あなたの持っている、古くて腐った概念が、障害になっている。
それらは人類の半分を、喜びに溢れていることから妨げている・・・
そして、喜びの花となって開花すべきであった、彼女達の全エネルギーは、
酸っぱく、毒に変わり、小言を言うことに、性悪女に変わってしまった。
さもなければ、この小言と意地悪は、すべて消え失せていたはずだ。
男と女は、結婚のような、契約関係にあるべきではない。
彼らは、愛の関係にあるべきだ・・・ しかし、自由を保っているべきだ。
互いに、何の貸し借りもあるべきではない。
そして生は、より流動的なものであるべきだ。
女性も多くの友人達と接し、男性も多くの女性達と接するということを、
とにかく、ルールにするべきだ。
だがこれは、セックスが遊びに満ちたものとして、
楽しみとして、受け取られる時にのみ、可能だ。
それは罪ではなく、楽しみだ。
そしてピルが紹介されて以来、もう子供が出来るのではないかという不安はない。
ピルに含まれている意味のすべてが、男性に開かれているとは、まだ言えない。
過去においては、それは困難だった。
なぜなら、愛を交わすということは、
ますます子供が増える、ということを意味していたからだ。
それは、女性を破壊して来た。
彼女は、いつも妊娠していた。
そして妊娠し続け、12人、あるいは20人という子供を産むのは、
苦痛の経験以外の、何ものでもない。
しかし未来は、まったく違うものになり得る・・・
そしてその違いは、男性から来るのではない。
カール・マルクスが、労働者階級について、
「世界の労働者階級が団結すれば、失うものは何もない・・・」
と言ったように、すべてを得ることになる。
彼は社会が、富める者と貧しい者の、ふたつの階級に分かれているのを見ていたのだ。
私には社会が、男と女という、ふたつの階級に分かれているのが分かる。
男性は、何世紀にもわたって主人であり続け、女性は奴隷のままだった。
彼女は競りにかけられ、売られ、生きたまま焼かれた。
なし得る限りの、あらゆる非人間的なことが、女性に対してなされて来た。
女性の地位を変えるための唯一の方法は、男女の関係を変容させ、
ある種の個人的所有権であるにすぎないがゆえに、絶対的に醜い、
結婚という概念を落とすために、科学に全面的自由を許す以外に、ないように見える。
人間は、所有され得ない。 彼らは、所有物ではない。
そして愛は、ただ喜びに満ちた遊びであるべきだ。
そして、もし子供が欲しければ、子供達は、社会に属するべきだ。
そうすれば女性は、母親、妻、娼婦というラベルを貼られないですむ。
これらのラベルは、剥がされるべきだ。
あなたはこう尋ねている。
「私は男性と親密になり、完全にコントロールを失ってしまう恐れの中に、
どうしようもなく閉じ込められてしまっている、と感じます」
どんな女性も恐れている。
なぜなら、もし彼女が、男性に対してコントロールを失ってしまったら、
男性は圧倒され、動転してしまうからだ。 彼には手に負えない。
彼の性能力は、とても小さい。
なぜなら、彼は提供者であり、愛を交わしている間、エネルギーを失うからだ。
女性は、愛を交わしている間、エネルギーを失わない・・・
それどころか、栄養を与えられたように感じる。
さて、これらは考慮に入れるべき事実だ。
何世紀にもわたって男性は、女性が自分をコントロールし、距離をおいて控えるように強制し、
彼女との間にある距離をおいて、彼女があまりにも親密になり過ぎるのを、決して許さなかった。
彼が、愛に関して語るすべては、牛の糞だ。
「この野性的で自由な女性は、内側に閉じ込められています。
彼女がたまに出て来ると、ふつう男性は圧倒され、動転してしまうので、
彼女は引きこもり、危険は冒しませんが、完全に欲求不満に陥っています」
これは、あなただけの話ではない。
これは、すべての女性達の話だ。
彼女達は皆、深い欲求不満の中で生きている。
どこにも出口が見つからず、何が自分達から取り去られたかも知らずに、
彼女達には、ひとつのはけ口しかない。
教会で、寺院で、シナゴーグで、神に祈る彼女達の姿を見かける。
だがその神もまた、男性至上主義者だ。
キリスト教の三位一体では、女性のための場所はない。
すべて男性だ・・・父と子と聖霊。 それはゲイ・クラブだ。
神が、最初に世界を創った時、彼は、泥から男と女を創り、
彼らに生命を吹き込んだ、という話を思い出す。
神は、両者を平等に創った。
しかし、世の中を見ると分かるだろう・・・
誰が世界を創ったにしろ、それはちょっと馬鹿げている。
彼は、男と女を創り、彼らが眠るための小さなベッドを作った。
ベッドはたった1人しか眠れないほど、小さなものだった。
彼らは平等だったが、女性は言い張った・・・
彼女がベッドで寝て、彼が床で眠るべきだと。
問題は、男も同じだった・・・彼は、床で寝たくはなかったのだ。
興味深いことだが、世界の始まりの最初の晩は、枕の投げ合いだった。
彼らは、神のところに行かねばならなかった。
が、解決策は実に単純だ・・・
ただ、キングサイズのベッドを作ればいいだけだ。
どんな大工だってやれたはずだ。
だが神も男であり、他の男と同じように偏見を持っている。
彼は、その女性を解体し破壊してしまった。
それから彼はイヴを創ったが、今やもう女性は、男性と平等ではなくなった・・・
イヴは、アダムの肋骨の1本から創られたのだ・・・
それで彼女は、ただ男性に仕え、男性の世話をし、男性に利用されて来た。
キリスト教徒は、ことのいきさつすべてを語ってはいない。
彼らは、話をアダムとイヴから始める・・・
だが、イヴはすでに奴隷の地位に落とされている。
そしてその日以来、女性達は何千というあり方で、隷属状態で生きて来た。
経済的にも彼女は、独立することを許されて来なかった。
教育という面でも女性は、男性と平等になるのを許されなかった・・・
平等になれば彼女は、経済的に独立することも可能だったからだ。
宗教的にも彼女は、経典を読むことも、
誰かが経典を読んでいるのに耳を傾けることも、許されて来なかった。
女性の翼は、あらゆる方法で切られて来た。
彼女に与えられて来た危害は、結婚だ。
なぜなら男も女も、一夫一婦主義ではないからだ。
心理的には彼らは、一度に複数の異性を愛することが出来る。
それゆえに彼らの全心理は、その天性に背くように強いられて来た。
そして女性は、男性に依存して来たために、
彼女は、あらゆる種類の侮辱に苦しまなければならなかった・・・
なぜなら男性が主人で、所有者で、財布の紐を握っていたからだ。
複数の人間を愛せる天性を満足させるために、
男性達は、娼婦を作り出した。 娼婦は、結婚の副産物だ。
そして、この醜い売春制度は、結婚が消えない限り、
世の中から消えないだろう。 それは結婚の影だ。
なぜなら男性は、一夫一婦制の関係に縛られたくないからだ・・・
それに、男性がものごとを起こす自由を持ち、金を持ち、教育を受け、
すべての権力を握っている・・・ 彼が、娼婦を発明した。
そして、女性を娼婦にすることによって、ひとりの女性を破壊することは、
あなたのなし得る、もっとも醜い殺人行為だ。
おかしな事実というのは、すべての宗教が、売春に反対していることだ・・・
ところが、彼らこそがその原因なのだ。 彼らは皆、結婚に賛成だ。
が、彼らは、売春が結婚と共に生じた、という単純な事実が分からない。
今や女性解放運動は、男性がかつて女性に対してやって来た、
あらゆる馬鹿げたことを、真似しようとしている。
ロンドンで、ニューヨークで、サンフランシスコで、男性の娼夫を見つけることが出来る・・・
これは新しい現象だ。これは革命的な一歩ではない。これは反動的な一歩だ。
愛を交わしている最中に、コントロールを失わない限り、
オーガズミックな経験を得ることは出来ない、という問題がある。
だから、少なくとも私の人々は、女性というものはうなり、うめき、叫ぶものだ、
ということを、もう少し理解するべきだ。
なぜなら、それには彼女の全身が関わっているからだ・・・
トータルに関わっているからだ。
それを恐れるには及ばない。
それは、途方もなく癒してくれる。
彼女は、そんなに意地悪ではなくなるし、小言も言わなくなる。
なぜなら、意地の悪さになるすべてのエネルギーが、
とてつもない喜びに、変容されているからだ。
隣近所のことを、気にすることはない・・・
もし彼らが、あなたのうめき声を、うなり声を気にするとしたら、
それは、彼らの問題だ。 あなたの問題ではない。
あなたは、彼らを妨げてはいない・・・
あなたの愛を、紛れもないお祭りにしなさい。
それを、当て逃げ事件にしてはいけない。
踊り、歌い、音楽を奏でなさい。
セックスを、頭の作業にしないこと。
頭でのセックスは、真正ではない。
セックスは、自然に起こるものであるべきだ。
状況を創り出しなさい。
あなたの寝室は、寺院と同じくらい聖なる場所であるべきだ。
寝室では、他に何もしないこと・・・歌い、踊り、戯れなさい。
自然に生じたこととして、愛がひとりでに起こったら、
あなたは生理が、瞑想の一瞥を与えてくれたことに驚くだろう。
そして、気が狂ったようになる女性を、心配するには及ばない。
彼女は、気が狂ったようにならなければならない・・・
彼女の身体全体が、まったく違う空間に入っている。
彼女は、コントロールを保てない。
もし彼女がコントロールすれば、彼女は、死体のままでいるだろう。
何百万という人々が、死体と愛を交わしている。
もっとも美しい女性、クレオパトラについての話を聞いたことがある。
彼女が死んだ時、古いエジプトの儀式にのっとって、死体は3日間埋葬されなかった。
彼女はその3日間、強姦され続けた・・・死体をだ。
私は最初、これを知った時、驚いてしまった。
一体どんな男が、彼女を犯したのだろう?と。
だがしばらくした後、私はおそらく、
それは、そんなにおかしな事実ではなかったのだろう、とも感じた。
すべての男性は、女性を死体に貶(おとし)めている。
少なくとも、彼らが愛を交わしている間は・・・。
キリスト教の宣教師達が、東洋に来た時、彼らは自分達が、
たったひとつの体位しか知らなかったことに気づいて、驚いたものだ・・・男が上。
男が上だと、男性により可動性があり、
女性は、彼の下で、死体のように横たわっているからだ。
男が上になるのは、非文化的だ。 女性の方が脆(もろ)い。
しかしなぜ、男性が上になるのを選んだかといえば、
そうすることで、女性を支配下に置いておけるからだ。
野獣の下に潰されて、美女は支配下に置かれるはめになる。
女性は、目を開けることさえ出来ない。目を開けるのは、娼婦のようだからだ。
彼女は、貴婦人のように振る舞わなければならない。
この男が上になるという体位は、東洋では「宣教師の体位」として知られている。
男女の関係における大いなる革命が、行く手に待ち受けている。
世界中、先進国には、どうやって愛するかを教える施設が存在している。
動物達でさえ愛し方を知っているのに、人間は教わらねばならないとは、不幸なことだ。
その教えの基本は、前戯と後戯だ。
そうすれば愛は、この上もない聖なる体験になる。
あなたは「男性と親密になり、完全にコントロールを失ってしまう恐れ」を落とすべきだ。
馬鹿は馬鹿で、恐れさせておきなさい。馬鹿が恐れたかったら、それは彼のすることだ。
あなたは、自分に真正で、自分に対して真実でいるべきだ。
あなたは、自分に嘘をついている。 自分をだましている。 自分を破壊している。
もし男性が圧倒され、動揺して、部屋から裸で逃げ出すとしても、何の害がある!
ドアを閉めなさい。隣近所の人々全員に、この男は気が狂っている、と知らせてやりなさい。
しかしあなたは、
オーガズミックな体験を持つことの出来る自分の可能性を、コントロールする必要はない。
オーガズミックな体験は、溶け合いの、エゴのなさの、マインドのなさの、時間のなさの体験だ。
これが道を見い出すための、あなたの探求の、引き金になるかもしれない。
あなたはどんな男性もなしに、どんなパートナーもなしに、マインドを落とすことが出来るし、
時間を落とすことが出来て、自分自身でオーガズミックな喜びの中に、入って行くことが出来るようになる。
これを私は、真正な瞑想と呼んでいる・・・
心配するには及ばない。
ゲーム全体を楽しみなさい・・・ 遊びに満ちていなさい。
もし、ひとりの男性が圧倒され、動揺してしまったら、他にも何百万という男性がいる。
いつの日かあなたはきっと、気の触れない、気違い男を見つけることだろう!
OSHO:The Razor’s Edge (「ニュー・ウーマン誕生」めるくまーる社より)