OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

103.親密になることへの恐れ

<OSHOの講話より> 

質問:私は男性と親密になり、完全にコントロールを失ってしまう恐れの中に、 
   どうしようもなく閉じ込められてしまっている、と感じます。 
   この野性的で自由な女性は、内側に閉じ込められています。 

   彼女がたまに出て来ると、ふつう男性は圧倒され、動転してしまうので、 
   彼女は引きこもり、危険は冒しませんが、完全に欲求不満に陥っています。 

   どうか親密になることの、この恐れについて、話していただけませんか? 


人類、その中でもとりわけ女性達は、多くの病に苦しんで来た。 
今に至るまで、すべてのいわゆる文明や文化は、心理的に病んでいた。 
そしてその病を、あえて認めようともしなかった。 

治療の最初のステップは、自分は病気だと認めることだ。 
男と女の関係性は、とりわけ不自然になって来ている。 

いくつかの事実を、覚えておかなければならない。 

まず第1に、男性には、たったひとつのオーガズムを得る能力しかないが、 
女性には、複数のオーガズムを得る能力が備わっていること。 
これが、途方もなく大きな問題を作り出して来た。 

彼らに結婚と、一夫一婦制が押しつけられていなかったら、 
何の問題も、生まれて来なかっただろう。 
それは、「自然」の意志ではなかったようだ・・・ 

2番目に、男性のセックスは局部的だ。 性器的だ。 女性はそうではない。 
彼女のセクシュアリティ、彼女の官能は、身体全体に広がっている。 

彼女の準備が整うまでには、より時間がかかる。 
そして、彼女の準備がまだ整ってもいないのに、男性は終わってしまう。 
彼女に背を向けて、いびきをかき始める。 

何千年もの間、世界中で何百万人もの女性が、自然の最大の贈り物・・・ 
オーガズミックな喜びを知らずに生き、そして死んで行った。 
それは、男性のエゴを守るためのものだった。 

女性は、時間をかけた前戯を必要とする。 
そうすれば、彼女の身体全体が、官能で打ち震え出す。 
だが、そうなると危険がある。 
複数のオーガズムを持つ彼女の能力を、一体どうしたらいい? 

科学的に見ればセックスは、そんなに深刻に捉えるべきものではなく、 
友人達も呼んで、彼女に全域に渡るオーガズムを与えるか、 
科学的なヴァイブレーターでも使ってみるべきだろう。 
だが、どちらにしても問題がある。 

もし科学的なヴァイブレーターを使えば、ヴァイブレーターは、 
女性が得られるだけ、たくさんのオーガズムを与えることが出来る。 
だが、いったん女性がそれを知ってしまったら・・・ 

そうなると、男性の器官はとても貧弱に見えるので、彼女はボーイフレンドよりはむしろ、 
科学的な道具であるヴァイブレーターを、選んでしまうかもしれない。 

もし何人か友人達が加わるのを許したら、社会的スキャンダルになってしまう・・・ 
乱交にふけっている、と。 

そこで、男性の見つけた一番簡単な方法は、 
自分が愛を交わしている間中、女性は動くことすらすべきではない、ということだ。 
彼女は、ほとんど死体のように、じっとしていなければならない。 

そして男性の射精は、あっという間だ・・・2分、長くて3分だ。 
2,3分では、女性は一体、自分が何を逃したのか、気づく間もない。 

生殖に関する限り、オーガズムは必要なものではない。 
が、スピリチュアルな成長に関する限りは、オーガズムは必要なものだ。 

なぜ、ほんの一握りの女性達しか光明を得なかったのか?と、 
私は、何度も何度も尋ねられて来た。 

様々な理由の中でも、もっとも重要な理由は、 
彼女達は、一度といえどもオーガズムを味わったことがなかったからだ。 
広大な空に向かった窓は、一度も開いたことがなかった。 
彼女達は生きて、子供を産み、そして死んでいった。 

東洋では今でも、オーガズムの何たるかを知っている女性を見つけるのは、とても難しい。 
私はとても知性的で、教育を受けた、文化的に高い女性達に尋ねて来た・・・ 
彼女達には、それが何であるか考えもつかない。 

実際、東洋の言葉には、「オーガズム」の訳語として使える言葉がない。 
それは、必要とされなかった。 
それはただ単純に、触れられなかったにすぎないのだ。 

そして男性は女性に、セックスを楽しむのは娼婦だけだ、と教えて来た。 
娼婦達はうめき、うなり、叫び、狂ったようになる。 
尊敬される婦人になりたければ、そんなことはするべきではない。 

だから女性は、緊張したまま、深いところでは、 
男性に利用された、という気持ちで、屈辱を感じている。 
多くの女性が愛を交わした後、夫がいびきをかき続けている間、すすり泣いたものだ、 
と、私に報告している。 

女性は、ほとんど楽器のようなものだ。 
彼女の全身は、途方もない感受性を持っている。 
そしてその感受性は、呼び覚まされるべきだ。 
だからこそ、前戯が必要だ。 

そして愛を交わした後で、男性は眠ってしまうべきではない。 
それは醜く、非文明的であり、非文化的だ。 

あなたにそれほどの喜びを与えてくれた女性は、後戯をも必要としている・・・ 
ただ、感謝の気持ちからの。 

あなたの質問は、とても重要だ。 
そして今後、もっともっと重要になって行くだろう。 
この問題は、解決されなければならない。 

だが、結婚が障害になり、宗教が障害になり、 
あなたの持っている、古くて腐った概念が、障害になっている。 
それらは人類の半分を、喜びに溢れていることから妨げている・・・ 

そして、喜びの花となって開花すべきであった、彼女達の全エネルギーは、 
酸っぱく、毒に変わり、小言を言うことに、性悪女に変わってしまった。 
さもなければ、この小言と意地悪は、すべて消え失せていたはずだ。 

男と女は、結婚のような、契約関係にあるべきではない。 
彼らは、愛の関係にあるべきだ・・・ しかし、自由を保っているべきだ。 
互いに、何の貸し借りもあるべきではない。 

そして生は、より流動的なものであるべきだ。 
女性も多くの友人達と接し、男性も多くの女性達と接するということを、 
とにかく、ルールにするべきだ。 

だがこれは、セックスが遊びに満ちたものとして、 
楽しみとして、受け取られる時にのみ、可能だ。 
それは罪ではなく、楽しみだ。 

そしてピルが紹介されて以来、もう子供が出来るのではないかという不安はない。 
ピルに含まれている意味のすべてが、男性に開かれているとは、まだ言えない。 

過去においては、それは困難だった。 
なぜなら、愛を交わすということは、 
ますます子供が増える、ということを意味していたからだ。 
それは、女性を破壊して来た。 

彼女は、いつも妊娠していた。 
そして妊娠し続け、12人、あるいは20人という子供を産むのは、 
苦痛の経験以外の、何ものでもない。 

しかし未来は、まったく違うものになり得る・・・ 
そしてその違いは、男性から来るのではない。 

カール・マルクスが、労働者階級について、 
「世界の労働者階級が団結すれば、失うものは何もない・・・」 
と言ったように、すべてを得ることになる。 

彼は社会が、富める者と貧しい者の、ふたつの階級に分かれているのを見ていたのだ。 
私には社会が、男と女という、ふたつの階級に分かれているのが分かる。 

男性は、何世紀にもわたって主人であり続け、女性は奴隷のままだった。 
彼女は競りにかけられ、売られ、生きたまま焼かれた。 
なし得る限りの、あらゆる非人間的なことが、女性に対してなされて来た。 

女性の地位を変えるための唯一の方法は、男女の関係を変容させ、 
ある種の個人的所有権であるにすぎないがゆえに、絶対的に醜い、 
結婚という概念を落とすために、科学に全面的自由を許す以外に、ないように見える。 

人間は、所有され得ない。 彼らは、所有物ではない。 

そして愛は、ただ喜びに満ちた遊びであるべきだ。 

そして、もし子供が欲しければ、子供達は、社会に属するべきだ。 
そうすれば女性は、母親、妻、娼婦というラベルを貼られないですむ。 

これらのラベルは、剥がされるべきだ。

 

あなたはこう尋ねている。 

「私は男性と親密になり、完全にコントロールを失ってしまう恐れの中に、 
どうしようもなく閉じ込められてしまっている、と感じます」 

どんな女性も恐れている。 
なぜなら、もし彼女が、男性に対してコントロールを失ってしまったら、 
男性は圧倒され、動転してしまうからだ。  彼には手に負えない。 

彼の性能力は、とても小さい。 
なぜなら、彼は提供者であり、愛を交わしている間、エネルギーを失うからだ。 
女性は、愛を交わしている間、エネルギーを失わない・・・ 
それどころか、栄養を与えられたように感じる。 

さて、これらは考慮に入れるべき事実だ。 
何世紀にもわたって男性は、女性が自分をコントロールし、距離をおいて控えるように強制し、 
彼女との間にある距離をおいて、彼女があまりにも親密になり過ぎるのを、決して許さなかった。 
彼が、愛に関して語るすべては、牛の糞だ。 

「この野性的で自由な女性は、内側に閉じ込められています。 
彼女がたまに出て来ると、ふつう男性は圧倒され、動転してしまうので、 
彼女は引きこもり、危険は冒しませんが、完全に欲求不満に陥っています」 

これは、あなただけの話ではない。 
これは、すべての女性達の話だ。 
彼女達は皆、深い欲求不満の中で生きている。 

どこにも出口が見つからず、何が自分達から取り去られたかも知らずに、 
彼女達には、ひとつのはけ口しかない。 
教会で、寺院で、シナゴーグで、神に祈る彼女達の姿を見かける。 

だがその神もまた、男性至上主義者だ。 
キリスト教の三位一体では、女性のための場所はない。  
すべて男性だ・・・父と子と聖霊。 それはゲイ・クラブだ。 

神が、最初に世界を創った時、彼は、泥から男と女を創り、 
彼らに生命を吹き込んだ、という話を思い出す。 
神は、両者を平等に創った。  

しかし、世の中を見ると分かるだろう・・・ 
誰が世界を創ったにしろ、それはちょっと馬鹿げている。 

彼は、男と女を創り、彼らが眠るための小さなベッドを作った。 
ベッドはたった1人しか眠れないほど、小さなものだった。 
彼らは平等だったが、女性は言い張った・・・ 
彼女がベッドで寝て、彼が床で眠るべきだと。 

問題は、男も同じだった・・・彼は、床で寝たくはなかったのだ。 
興味深いことだが、世界の始まりの最初の晩は、枕の投げ合いだった。 
彼らは、神のところに行かねばならなかった。 

が、解決策は実に単純だ・・・ 
ただ、キングサイズのベッドを作ればいいだけだ。 
どんな大工だってやれたはずだ。 

だが神も男であり、他の男と同じように偏見を持っている。 
彼は、その女性を解体し破壊してしまった。 
それから彼はイヴを創ったが、今やもう女性は、男性と平等ではなくなった・・・ 

イヴは、アダムの肋骨の1本から創られたのだ・・・ 
それで彼女は、ただ男性に仕え、男性の世話をし、男性に利用されて来た。 

キリスト教徒は、ことのいきさつすべてを語ってはいない。 
彼らは、話をアダムとイヴから始める・・・ 
だが、イヴはすでに奴隷の地位に落とされている。 
そしてその日以来、女性達は何千というあり方で、隷属状態で生きて来た。 

経済的にも彼女は、独立することを許されて来なかった。 
教育という面でも女性は、男性と平等になるのを許されなかった・・・ 
平等になれば彼女は、経済的に独立することも可能だったからだ。 

宗教的にも彼女は、経典を読むことも、 
誰かが経典を読んでいるのに耳を傾けることも、許されて来なかった。 
女性の翼は、あらゆる方法で切られて来た。 

彼女に与えられて来た危害は、結婚だ。 
なぜなら男も女も、一夫一婦主義ではないからだ。 
心理的には彼らは、一度に複数の異性を愛することが出来る。 
それゆえに彼らの全心理は、その天性に背くように強いられて来た。 

そして女性は、男性に依存して来たために、 
彼女は、あらゆる種類の侮辱に苦しまなければならなかった・・・ 
なぜなら男性が主人で、所有者で、財布の紐を握っていたからだ。 

複数の人間を愛せる天性を満足させるために、 
男性達は、娼婦を作り出した。 娼婦は、結婚の副産物だ。 

そして、この醜い売春制度は、結婚が消えない限り、 
世の中から消えないだろう。 それは結婚の影だ。 

なぜなら男性は、一夫一婦制の関係に縛られたくないからだ・・・ 
それに、男性がものごとを起こす自由を持ち、金を持ち、教育を受け、 
すべての権力を握っている・・・ 彼が、娼婦を発明した。 

そして、女性を娼婦にすることによって、ひとりの女性を破壊することは、 
あなたのなし得る、もっとも醜い殺人行為だ。 

おかしな事実というのは、すべての宗教が、売春に反対していることだ・・・ 
ところが、彼らこそがその原因なのだ。 彼らは皆、結婚に賛成だ。 
が、彼らは、売春が結婚と共に生じた、という単純な事実が分からない。 

今や女性解放運動は、男性がかつて女性に対してやって来た、 
あらゆる馬鹿げたことを、真似しようとしている。 

ロンドンで、ニューヨークで、サンフランシスコで、男性の娼夫を見つけることが出来る・・・ 
これは新しい現象だ。これは革命的な一歩ではない。これは反動的な一歩だ。 

愛を交わしている最中に、コントロールを失わない限り、 
オーガズミックな経験を得ることは出来ない、という問題がある。 

だから、少なくとも私の人々は、女性というものはうなり、うめき、叫ぶものだ、 
ということを、もう少し理解するべきだ。 
なぜなら、それには彼女の全身が関わっているからだ・・・ 
トータルに関わっているからだ。 

それを恐れるには及ばない。 
それは、途方もなく癒してくれる。 
彼女は、そんなに意地悪ではなくなるし、小言も言わなくなる。 
なぜなら、意地の悪さになるすべてのエネルギーが、 
とてつもない喜びに、変容されているからだ。 

隣近所のことを、気にすることはない・・・ 
もし彼らが、あなたのうめき声を、うなり声を気にするとしたら、 
それは、彼らの問題だ。 あなたの問題ではない。 
あなたは、彼らを妨げてはいない・・・ 

あなたの愛を、紛れもないお祭りにしなさい。 
それを、当て逃げ事件にしてはいけない。 
踊り、歌い、音楽を奏でなさい。 

セックスを、頭の作業にしないこと。 
頭でのセックスは、真正ではない。 
セックスは、自然に起こるものであるべきだ。 

状況を創り出しなさい。 
あなたの寝室は、寺院と同じくらい聖なる場所であるべきだ。 
寝室では、他に何もしないこと・・・歌い、踊り、戯れなさい。 

自然に生じたこととして、愛がひとりでに起こったら、 
あなたは生理が、瞑想の一瞥を与えてくれたことに驚くだろう。 

そして、気が狂ったようになる女性を、心配するには及ばない。 
彼女は、気が狂ったようにならなければならない・・・ 
彼女の身体全体が、まったく違う空間に入っている。 
彼女は、コントロールを保てない。 

もし彼女がコントロールすれば、彼女は、死体のままでいるだろう。 
何百万という人々が、死体と愛を交わしている。 

もっとも美しい女性、クレオパトラについての話を聞いたことがある。 
彼女が死んだ時、古いエジプトの儀式にのっとって、死体は3日間埋葬されなかった。 
彼女はその3日間、強姦され続けた・・・死体をだ。 

私は最初、これを知った時、驚いてしまった。 
一体どんな男が、彼女を犯したのだろう?と。 
だがしばらくした後、私はおそらく、 
それは、そんなにおかしな事実ではなかったのだろう、とも感じた。 

すべての男性は、女性を死体に貶(おとし)めている。 
少なくとも、彼らが愛を交わしている間は・・・。 

キリスト教の宣教師達が、東洋に来た時、彼らは自分達が、 
たったひとつの体位しか知らなかったことに気づいて、驚いたものだ・・・男が上。  

男が上だと、男性により可動性があり、 
女性は、彼の下で、死体のように横たわっているからだ。 

男が上になるのは、非文化的だ。 女性の方が脆(もろ)い。 
しかしなぜ、男性が上になるのを選んだかといえば、 
そうすることで、女性を支配下に置いておけるからだ。 

野獣の下に潰されて、美女は支配下に置かれるはめになる。 
女性は、目を開けることさえ出来ない。目を開けるのは、娼婦のようだからだ。 

彼女は、貴婦人のように振る舞わなければならない。 
この男が上になるという体位は、東洋では「宣教師の体位」として知られている。 

男女の関係における大いなる革命が、行く手に待ち受けている。 
世界中、先進国には、どうやって愛するかを教える施設が存在している。 
動物達でさえ愛し方を知っているのに、人間は教わらねばならないとは、不幸なことだ。

その教えの基本は、前戯と後戯だ。 
そうすれば愛は、この上もない聖なる体験になる。 

あなたは「男性と親密になり、完全にコントロールを失ってしまう恐れ」を落とすべきだ。 
馬鹿は馬鹿で、恐れさせておきなさい。馬鹿が恐れたかったら、それは彼のすることだ。

あなたは、自分に真正で、自分に対して真実でいるべきだ。 
あなたは、自分に嘘をついている。 自分をだましている。 自分を破壊している。 

もし男性が圧倒され、動揺して、部屋から裸で逃げ出すとしても、何の害がある! 
ドアを閉めなさい。隣近所の人々全員に、この男は気が狂っている、と知らせてやりなさい。 

しかしあなたは、 
オーガズミックな体験を持つことの出来る自分の可能性を、コントロールする必要はない。 
オーガズミックな体験は、溶け合いの、エゴのなさの、マインドのなさの、時間のなさの体験だ。 

これが道を見い出すための、あなたの探求の、引き金になるかもしれない。 

あなたはどんな男性もなしに、どんなパートナーもなしに、マインドを落とすことが出来るし、 
時間を落とすことが出来て、自分自身でオーガズミックな喜びの中に、入って行くことが出来るようになる。 

これを私は、真正な瞑想と呼んでいる・・・  

心配するには及ばない。  
ゲーム全体を楽しみなさい・・・ 遊びに満ちていなさい。 

もし、ひとりの男性が圧倒され、動揺してしまったら、他にも何百万という男性がいる。

いつの日かあなたはきっと、気の触れない、気違い男を見つけることだろう! 

OSHO:The Razor’s Edge   (「ニュー・ウーマン誕生」めるくまーる社より)