OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

104.結婚して自由であることは可能か?

<OSHOの講話より> 

質問:結婚して、同時に自由であることは可能ですか? 

それは難しい。しかし不可能ではない。ただ少し理解が必要だ。2,3の基本的な真理が認識されなければならない。第1に、誰も他人の為に生まれてはいないということ。第2に、誰も人はこのようにあるべきだというあなたの理想を満たす為に、ここにいるのではないということ。 
第3に、あなたは自分自身の愛の主人(マスター)であり、自分の望む限りを与えることが出来るが、誰も奴隷ではないのだから、相手から愛を要求することは出来ない、ということ。 

もしこれらの単純な事実を理解したら、その時には、あなた方が結婚しているか結婚していないかは問題ではない。あなた方は一緒にいられる・・・互いの空間を許し合い、互いの独自性を決して妨害せずに。 

実際、結婚は時代遅れの制度だ。そもそも、どんな制度のもとで生きることもよくない。どんな制度も破壊的だ。結婚は、何百万という人々の幸せのほとんど全ての可能性を破壊して来た・・・それも、全てつまらないことの為に。そもそも結婚・・結婚のまさにその儀式は、いんちきだ。 

もしあなたが結婚を気楽に受け取れば、あなたは自由であり得る。もしあなたがそれを深刻に受け取れば、自由は不可能だ。結婚をまさにゲームのように受け止めなさい・・それはまさしくゲームだ。それは、あなたが生の舞台上で演じる役割だ。だがそれは存在に属したり、あるいは何らかの現実性を有する何かではない・・・それは虚構だというユーモアのセンスを少し持ちなさい。しかし人々は非常に愚かだから、虚構を現実として受け取り出しさえする。 

私は、人々が目に涙を浮かべて小説を読むのを見たことがある。小説ではものごとはとても悲劇的に進行するからだ。映画館で照明を消すのはとてもいい仕掛けだ。誰もが映画を楽しみ、笑い、泣き、悲しみ、幸せになれる。もし照明があれば、それは少し難しくなる・・・他人は何と思うだろう?と。それでいて彼らは、スクリーンには何もなく誰もいないことを完璧によく知っている。それは単に投影された絵にすぎない。しかし、彼らはそれをすっかり忘れてしまう。 
そして同じことが私達の生で起こっている。単純にユーモアとして受け取るべき多くのことを、私達はとても深刻に取っている。そしてその深刻さから、私達の問題が始まる。 

そもそも、なぜあなたは結婚すべきなのかね?あなたは誰かを愛する、誰かと暮らす・・・  それはあなたの基本的な権利の一部だ。あなたは誰かと暮らせる、あなたは誰かを愛せるのだ。結婚は天国で起こる何かではない。それはここで起こる。ずる賢い聖職者を通して・・・。しかし、もしあなたが社会の一員としてゲームに加わりたくて、独立し、他の人から遠ざかっていたくないなら、あなたの妻やあなたの夫に、この結婚はただのゲームだということを明確にしなさい。 

「これを深刻に受け取らないでください。私は結婚する前と同じように独立しているでしょうし、あなたもまた結婚する前と同じように独立しているでしょう。私もあなたの生を邪魔しませんし、あなたも私の生を邪魔しないように。私達は2人の友人として、喜びを分かち合い、自由を分かち合いながら共に生きて行きましょう・・・でも、お互いに負担にならないようにしながら。そして春が去り、ハネムーンが終わったと感じた時はいつでも、振りをし続けるのではなく、私達はとても愛し合ったとお互いに言えるほど誠実でいましょう・・・そうすれば、いつまでもお互いに感謝していられるし、愛の日々は私達の思い出の中に、私達の夢の中に、素晴らしいものとして残るでしょう・・・ 

でも、春は終わりました。悲しいけれど、私達の道は別れるべきところに来ました。もう、一緒に暮らすのは愛の徴ではないからです。もし私があなたを愛しているなら、私の愛があなたにとって苦痛になったのを知った時、私はあなたのもとを去るでしょう。もしあなたが私を愛しているなら、あなたの愛が私に拘束をもたらすのを知った時、あなたは私のもとを去るでしょう」 

愛は生においてもっとも高い価値を持つ。それは愚かな儀式に貶(おとし)められるべきではない。そして、愛と自由は共に歩む・・・あなたはひとつを選んで、もう一方を残すことは出来ない。自由を知っている人は愛に満ちている。そして愛を知っている人は、いつでも喜んで自由を与える。もしあなたが、自分の愛している人に自由を与えられないなら、いったいあなたは誰に自由を与えられるのかね?自由を与えることは、信頼すること以外の何ものでもない。 

自由は愛の表現だ。だから、あなたが結婚しているかどうかにかかわらず、いいかね、全ての結婚は偽物だ・・・社会的な都合のよさにすぎない。結婚の目的は互いに自分達を閉じ込め、自分達を束縛することではない。その目的は、あなた方が互いに成長するのを助け合うことだ。しかし、成長には自由が必要だ。そして過去においては、全ての文化が、自由がなければ愛は死ぬことを忘れてしまっている。 

OSHO:The Rebellious Spirit、#8より (日本語版「ニュー・ウーマン誕生」めるくまーる社)