OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

105.母親になるということ

<OSHOの講話より> 

質問:母親になることについて話してください。 

母親になることは、この世でもっとも偉大な責任のひとつだ。 

実に多くの人々が精神分析医のカウチの上にいる状態だ。そして、実に多くの人々が精神病院に入っている。そして、実に多くの狂った人々が精神病院の外にいる。 

もし、あなたが人類の神経症に深く入って行ったら、あなたはつねに母親を発見するだろう。なぜなら、とても多くの女性が母親になりたがるが、彼女達はいかにして母親になるかを知らないからだ。 

ひとたび母親と子供の関係がおかしくなってしまうと、子供の一生は間違った方向に向かう。なぜなら、それは世界との子供の最初の接触、彼の最初の関係だからだ。 

他のすべては皆それとつながって行く。そしてもし、その最初の一歩が間違って踏み出されると、生涯が台無しになる。 

人は承知の上で母親になるべきだ。あなたは人類が受けることの出来る、もっとも偉大な責任のひとつを引き受けている。男性の方がその意味では少し自由だ。なぜなら、彼らは母親になることの責任を引き受けることが出来ないからだ。 

女性にはより多くの責任がある。だから母親になるがいい。だが女だからといって、母親になるのは当たり前だと捉(とら)えてはいけない・・・それは誤った考えだ。 

母性は偉大な芸術(アート)だ!あなたはそれを学ばなければならない。だからそれについて学び始めなさい! 

2、3のことを私はあなたに言いたい。最初に、決して子供をあなたのものとして扱ってはいけない。決して子供を所有してはならない。子供はあなたを通してやって来るが、あなたのものではない。 

神があなたを乗物として、媒体としてただ使っただけであり、子供はあなたの所有物ではない。愛しなさい。だが決して子供を所有してはならない。 

もし母親が子供を所有し始めたら、その時には彼の生は破壊される。子供は囚人になり始める。あなたは彼の個性を壊し、彼を物に貶(おとし)めてしまっている。 

物しか所有出来ない。家を所有することは出来る、車を所有することは出来る・・・人を所有することは決して出来ない。 

だからこれが最初のレッスンだ・・・その為に用意を整えなさい。子供がやって来る前に、あなたは彼を独立した存在として迎えることが出来ているべきだ。彼自身の権利において、ひとりの人物として、単にあなたの子供としてではなく。 

そして2つ目のことは、成人した人を扱うように子供を扱いなさい。決して子供を子供のように扱ってはならない。子供を深い尊敬をもって扱いなさい。 

神はあなたを主人(ホスト)として選んだ。神は客(ゲスト)としてあなたの存在の中へ入って来た。子供はとても壊れやすく、無力だ。子供を尊敬することはとても難しい。 

子供に屈辱を与えるのはとても簡単だ。屈辱はごく簡単に生じる。なぜなら、子供は無力で何も出来ないからだ。仕返しすることも、反抗することも出来ないからだ。 

子供を成人として、そして偉大な尊敬をもって扱いなさい。ひとたびあなたが子供を尊敬するようになると、あなたは自分の考えを彼に押しつけようとしなくなる。 

あなたはただ彼に自由を与える・・・世界を探検する為の自由だ。あなたは彼が世界を探検するにあたって、もっともっと力強くなるのを助ける。だが、決して彼に方向を与えたりしない。 

あなたは彼にエネルギーを与える、あなたは彼に保護を与える、あなたは彼に安全を与える・・・彼が必要なすべてを・・・だが、あなたは彼が世界を探検する為に、あなたの元から遠く離れて行くのを助ける。 

そしてもちろん、自由には間違いもまた含まれている。母親にとってそれを学ぶのはとても難しい。 

あなたが子供に自由を与える時、それはよいことをするだけの自由ではないからだ。悪いことをする自由、間違う自由もまた必要だ。だから子供を注意深く、賢くあらしめなさい。 

だが、彼にどんな戒律も決して与えてはならない・・・誰もそれらを守りはしない。が、人々は偽善者になる。 

だから、もしあなたが本当に子供を愛するのなら、ひとつのことを覚えておかなければならない。絶対に、絶対にいかなる方法であれ、偽善者になるように彼を助けたり、強制したりしてはならない。 

そして3つ目のこと・・・道徳に耳を傾けてはならない、宗教に耳を傾けてはならない、文化に耳を傾けてはならない・・・「自然」に耳を傾けなさい。 

自然であれば何であろうと・・・たとえそれが、時々あなたにとってとても難しいとしても、あなたにとってはとても居心地が悪いとしてもだ・・・なぜなら、あなたは自然に従って育てられては来なかったからだ。 

あなたの両親は、あなたを真の芸術、愛では育てなかった。それは偶発的なことに過ぎなかった。同じ間違いを繰り返してはいけない。何度もあなたはとても不安に感じるだろう・・・。 

たとえば、幼い子供が自分の性器で遊び始める。母親の普通の傾向は、子供を止めることだ。なぜなら、彼女はこれはいけないことだと教えられて来たからだ。たとえ彼女が何も悪いことではないと感じるとしても、そこに誰かがいれば彼女は少しきまり悪く感じる。

きまり悪く感じなさい!それはあなたの問題だ。子供とは何の関係もない。きまり悪く感じなさい。たとえそれで、あなたが社会において尊敬を失うことになるとしても、失いなさい。 

だが、決して子供の邪魔をしてはいけない。自然に自らの道を取らせなさい。自然が開いて見せようとしていることを、何であれ容易にする為にあなたはそこにいる。あなたは自然を監督するべきではない。あなたはただ助けとして、そこにいるべきだ。 

だから、この3つのこと・・・そして、瞑想し始めなさい。子供が生まれる前に、あなたは出来る限り深く瞑想の中に入って行くべきだ。 

子供があなたの子宮の中にいる時、あなたが何をしていようとも、すべて絶え間なく子供にヴァイブレーション(振動)として伝わる。 

もしあなたが怒れば、あなたの胃は怒りで緊張している。子供はすぐにそれを感じる。悲しい時は、あなたの胃は悲しみの雰囲気を持っている。すぐに子供は活気なく落ち込んで行くのを感じる。子供は完全にあなた次第だ。あなたの気分がどうあろうと、それが子供の気分だ。 

子供はまだ自立していない。あなたの風土が彼の風土だ。だから、もう争いはなしだ、もう怒りはなしだ。だからこそ、私は母になることは偉大な責任だと言っている。あなたは多くを犠牲にしなければならないだろう・・・。 

もしまさに最初から、怒り、憎しみ、衝突が子供のマインドの中に入れば、その時には、あなたは彼の為に地獄を引き起こしている。彼は苦しむだろう。 

そうであれば、子供を世界の中にもたらさない方がいい。なぜ子供を苦しみの中に連れて来るのか?世界は途方もなく苦しんでいる。そもそもこの世界の中に子供を産み落とすことは、とても危険なことだ。 

しかし、それでもあなたがそうしたかったら、せめてこの世界において、まったく違う子供をもたらしなさい・・・惨めではなく、少なくとももう少し世界が祝うのを助ける子供を。 

彼は世界の中に、もう少し祝祭をもたらすだろう・・・もう少し多くの笑いを、愛を、生を・・・ 

OSHO:God is Not for Sale、(1978)より     (「ニュー・ウーマン誕生」めるくまーる社)