OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

132.自然のブッダフィールド

<OSHOの講話より> 

質問:愛するOSHO。インドであなたと共にいると、世界の他のどこであなたと共にいるよりもはるかに強い感じを持ちます。講話であなたと共に坐っていると、世界のまさに中心にいるような感じがします。時にはホテルの部屋に坐って目を閉じているだけで、あなたのハートの鼓動と私のそれが同じリズムで打っているのを感じます。朝、散歩をしながら周囲の音に耳を傾けていると、それは他の場所では味わえないような深みにまで達します。ここでは瞑想が自然に、いかなる努力もなしに起こっているように感じられます。あなたのワークはインドでは異なっているのでしょうか?それともここは自然のブッダフィールドのようなものなのでしょうか? 

インドは単に地理的または歴史的な存在ではない。それは単なる国家、地域、ある特定の一地方ではない。それはそれ以上のものだ。それはメタファであり、詩であり、目には見えないがはっきりと触れることが出来るものだ。それは他の国々にはないような、ある一定のエネルギーフィールドとして脈動している。 

ほとんど1万年の長きにわたって、何千もの人々が意識の究極の爆発を経験して来た。彼らの波動は未だに生きているし、彼らの影響は今でもここの空気の中にある。あなたにはただ一定の知覚力が、この不思議な国を包み込んでいる目に見えないものを受け容れることが出来る、ある一定の吸収力が必要なだけだ。 

不思議なのはインドがたったひとつの探求の為に、真理の探究の為にあらゆるものを放棄したことだ。あなたもそれを知ったら驚くだろうが、インドでは偉大な哲学者達を、プラトンアリストテレストマス・アクィナス、カントやヘーゲルやブラッドリーやバートランド・ラッセルのような人達を1人も生み出して来なかった。インドは歴史上ただの1人も哲学者を生み出さなかったが、しかも真理を探究して来た! 

確かに先人達の探求は、他の国々でなされて来た探求とは大いに違っていた。他の国々では人々は真理について考えた。インドでは人々は真理について考えなかった。どうして真理について考えることが出来るだろう?あなたはそれを知っているか、知らないか、そのどちらかだ。考えることなんて出来ないし、哲学によって究明することは出来ない。それは全く馬鹿げた、虚しい試みだ。 

盲人が光について考えるようなものだ・・・何を考えることが出来ようか?彼は偉大な天才かもしれないし、偉大な論理学者かもしれない。だがそれは助けにならない。論理が必要な訳ではないし、才能が必要な訳でもない。必要なのは見る為の眼だ。光は見ることが出来るけれども、考えて分かるものではない。 

真理は出会うことは出来るが、考えて分かるものではない。だからインドには「哲学」に類似した言葉がない。私達は真理の探究を「ダルシャン」と言うが、ダルシャンとは出会うことだ。哲学は考えることを意味するが、思考は輪を描いて回る。それはぐるぐると輪を描くばかりで、決して経験という地点にまで行き着かない。 

インドは不思議なことに、その持てる全ての力を真理と出会って、真理になる為の集中的な努力に捧げた世界中で唯一の国だ。インドの歴史の中に偉大な科学者を見つけることは決して出来ない。才能のある人々がいなかった訳ではないし、天才達がいなかった訳ではない。数学はインドに起こったが、この国はアルバート・アインシュタインを生み出さなかった。国中の人々が奇跡的にも、客観的な探求に全く興味を示さなかった。他者を知ることはここでは目標ではなく、自らの自己を知ることが目標だった。 

1万年にわたって無数の人々が、このたったひとつの努力を営々として続けて来た。科学を、テクノロジーの発展を、富を、あらゆるものを犠牲にして。貧しさを、困窮を、病気を、死を受け容れて。しかしいかなる代償を払っても、決してその探求を棄てなかった・・・それはある種の「ヌースフィア」を、ある種のヴァイブレーション(波動)の大海を、あなたの周りに創り出した。 

少しでも瞑想的な心を持ってここに来たなら、あなたはそれとの接触を持つだろう。単なる旅行者としてここに来たなら、あなたはそれを見逃してしまう。あなたは遺跡を、宮殿を、タージ・マハルを、カジュラホを、ヒマラヤを見るが、インドを見ない。あなたはインドと出会うことなく、それを通り越してしまう。それは至るところにあるが、あなたは敏感ではないし受容的ではなかった。 

あなたは本当のインドでないものを、その骸骨にすぎない、魂ではないものを見る為にここにやって来た。あなたはその骸骨の写真を撮って、その骸骨の写真をアルバムに貼って、自分はインドに行って来た、インドのことはもう分かったのだと思う。しかし、あなたは自分自身を騙しているにすぎない。他にも精神的な部分がある。カメラはそれを撮ることが出来ない。あなたのこれまでの経験、あなたの教育はそれを捉(とら)えることが出来ない。 

他のどんな国に行っても・・・ドイツやイタリヤやフランスやイギリスや・・・あなたは何の問題もなくそこの人々と、そこの土地と、その歴史と、その過去と出会うことが出来る。だが少なくともインドに関しては、あなたは同じようにすることが出来ない。それを他の国々と同じカテゴリーに括(くく)ろうとした時には、あなたはすでに大事な点を見逃してしまっている。 

なぜならそれらの国々は、同じ霊的なオーラを持ってはいないからだ。それらはゴータマ・ブッダやマハヴィーラ、ネミナータやアディナータのような人々を生み出さなかった。それらはカビールやファリードやダドゥーのような人々を生み出さなかった。それらは科学者を生み出し、偉大な芸術家を生み出し、画家達を生み出し、ありとあらゆる才能ある人々を生み出した。だが神秘家はインドにしか生まれなかった。少なくとも今日まではそうだった。 

そして神秘家は全く異なった類(たぐい)の人間だ。彼は単なる天才ではないし、単なる偉大な画家や偉大な詩人ではない。彼は聖なるものの乗り物であり、聖なるものへの誘い、招待状だ。彼は聖なるものが入って来ることが出来る扉を開け放つ。そして何千年にもわたって、無数の人々が聖なるものへの扉を開け放って、それがこの国の大気を満たして来た。 

私にとってはこの空気が本当のインドだ。だがそれを知る為には、あなたはある一定の心の状態にならなければいけない。あなたは瞑想し静かになろうとしているので、本当のインドが自分と接触を持つようになるのを許すことが出来る。そうだ、あなたの言う通りだ。あなたはこの貧しい国で真理を見つけ出すことが出来るが、その同じやり方を他の国でやってみることは出来ない。この国は貧しさのどん底にあるが、精神的には極めて豊かな遺産を抱えているし、目を開いてその遺産を見ることが出来るなら、あなたは驚かずにはすまない。

 

ただひとえに意識の進化に深い関心を寄せて来た国は、多分この国より他にはない。他の国々はみなありとあらゆる事ごとに関心を寄せて来た。だがこの国はただひとえに、たったひとつの目標を抱いて来た。それは人間意識はいかにして聖なるものと出会える地点にまで進化することが出来るか、ということだ。いかにしたら人間と聖なるものとを近づけることが出来るか? 

しかもそれはたった1人の人間ではなくて、無数の人々がやって来たことだ。1日や1ヶ月や1年ではなくて、何千年にもわたって続けられて来たことだ。自然とそれはこの国の周りに、途轍もないエネルギーフィールドを創り出した。それは至るところにあって、あなたはただその用意が出来ていればよい。 

誰であれ真理に飢(かつ)えている人が、なぜかインドに興味を持つようになり、なぜか東方に向かうようになるのは偶然ではない。しかもそれは今日だけではなく、記録に残るかぎりの昔からそうだった。ピタゴラスは今から2500年前に、真理を求めてインドにやって来た。イエス・キリストもインドを訪れた。 

聖書には13歳から30歳までのイエスの記録が記(しる)されていない。それはほとんど彼の一生と言ってもいい。なぜなら彼は33歳で磔(はりつけ)にされてしまったからだ。だから13歳から30歳までの17年間が失われている。彼はどこにいたのか?そしてこの年月はなぜ聖書に記されていないのか?そのことは意図的に落とされた。なぜならそれはキリスト教が新しい宗教ではないことを、オリジナリティ(独創性)のある宗教ではないことを、キリストが言っていることは全てインドからもたらされたものであることを、暴露してしまうからだ。 

<略> 

彼がインドにやって来た時・・・彼が訪問したという記録は今でも残っている・・・仏陀は亡くなっていたけれど、仏教はまだ隆盛を極めていた。イエスはゴータマ・ブッダの500年後にこの地を訪れたが、仏陀は全国土がその中に溺れてしまうような、全国民が彼の慈悲という考え、許しという考え、愛という考えに酔っ払ってしまうような大嵐を創り出していた・・・。 

その17年間、イエスはエジプト、インド、ラダック、チベットと旅をして回った。そしてそれが彼の罪だった・・・彼はユダヤ教の伝統に異質の考えをもたらそうとしていた。しかもそれらはただ異質なだけではなく、伝統に全く反しているものだった。 

これもまた聞けば驚くようなことだが、彼は最終的にはインドで亡くなった・・・が、キリスト教の記録は一切その事実には触れていない。もしそれらが正しいのなら、つまり彼が復活したというのなら、その復活の後で何が起こったのだろうか?彼はどこに行ったのか?なぜなら彼の死については記録がないからだ。 

実際には、彼は復活などしなかった。彼は十字架の上で死ななかった。なぜならユダヤ式の磔刑(たっけい)は最も残酷なやり方で人を殺すからだ。人が死ぬには48時間近くもかかる。両手に釘が打たれて両足に釘が打たれて、血が一滴一滴と抜けてゆく。もしその人が健康なら・・・60時間以上生きながらえたという記録もあるが・・・普通は48時間近くかかる。イエスは6時間後に十字架から降ろされた。ユダヤ式の磔刑で6時間で死んだ人はいない。誰も死ぬことが出来ない。 

それはポンテオ・ピラトが企(たくら)んだことだった。彼はユダヤ人ではなかった。彼はローマ人の総督だった。なぜならユダヤローマ帝国支配下にあったからだ。そして彼は、この無垢な若者を殺そうなどとは夢にも思っていなかった。彼はこの醜くむごたらしいドラマの役割を演じることに罪悪感を感じていた。彼の署名がなければこの若者が殺されることはなかった。 

それにこれは政治的な問題だった。というのもユダヤ人の多数派は、こぞって狂ったようにイエスを追い回していたからだ。何としても彼を磔にしようとしていた。ポンテオ・ピラトは厄介な立場に追い込まれていた。もしこの男をほうっておいたら、彼はユダヤ人の全国民を敵に回してしまう。それは政治的に上策とは言えない。この男を殺してしまったら、彼は全国民の支持を得られるだろうが、それは彼自身の良心に傷をつけてしまう。何ひとつ悪いことをしていない無実の男を、政治的な状況ゆえに殺してしまったということで。 

それで彼は弟子達と図って、金曜日の磔を出来るかぎり遅らせようとした。なぜなら金曜日の夕方に日が沈んでしまえば、ユダヤ人達は全ての仕事を止めてしまうからだ。そして土曜日は彼らの聖なる祝日なので、一切の仕事がなされない。磔刑は金曜日の朝に行なわれるはずだったが、それは延期された・・・官僚主義というのは何でも延期することが出来る。 

エスは午後になって磔にされた。そして 日没前には、体から多くの血が流れて弱っていたので意識を失ってはいたけれど、まだ生きている彼を降ろさねばならなかった。それから彼の体が横たえられている洞窟の前の番兵は・・・。ユダヤ人達は休日が終わったらまた彼を磔にするつもりだったが、この番兵はローマ人だった。だからこそ弟子達がイエスを連れ出して、ユダヤの外に逃がすことが出来たのだ。 

なぜイエスはインドに来ることを望んだのだろうか?それは彼が若者の時代に、何年間もインドに滞在していたからだ。彼は霊的なものを、宇宙的なものを、究極のものをじっくりと味わっていたので、またここに帰って来たいと思った。彼は傷が癒えた後で、インドに戻って来て120歳まで生きた。 

彼の墓が今でもカシミールにある。墓碑銘はヘブライ語で書かれている・・・インドにユダヤ人はいないのに、碑文には「ヨシュア」と書かれている。それはヘブライ語のイエスの名前だ。「イエス」はヨシュアギリシア語読みだ。「偉大なる師、ヨシュアがここに来て」・・・その後に時間が、日付が記されていて・・・「弟子達と共に静かに暮らし、長く、120歳まで生きて、自らを『羊飼い』と呼んでいた」と書いてある。 

その為にこの土地は「羊飼いの村」と呼ばれるようになった。今でもそこに行けば、その村は残っている。パハルガムという名前だ。それはヒンドゥ語で「羊飼いの村」を意味する。彼はさらに成長出来るように、ここに留まることを望んだ。彼は少数の人々と、ここに留まることを望んだ・・・彼らが成長することが出来るように、そして静かに暮らすことが出来るように。 

そして彼はここで死ぬことを望んだ。なぜならいかに生きるかを知っているなら、ここに暮らすことは素晴らしかったし、いかに死ぬかを知っているなら、ここで死ぬことにはこの上もない意味があったからだ。いかに生きるかのアートが探し求められて来たように、インドにおいてのみ、いかに死ぬかのアートが探し求められて来た。それらはどちらも同じひとつのプロセスの一部だ。 

さらに驚くべき事実は、モーゼもまたインドで死んだということだ。モーゼの墓とイエスの墓は同じ場所にある。多分イエスは偉大な師であるモーゼの近くを選んだのだろう・・・。インドにはモーゼの墓もある。やはりその墓の碑文はヘブライ語で書かれていて、4000年にわたって子孫から子孫へと、ユダヤ人の家族がこれらふたつの墓の世話をして来た。 

なぜ彼はインドに来ることを望んだのだろうか・・・ただ単に死ぬ為に?そう、それもまた秘密のひとつだ。ブッダフィールドで、人間のものだけでなく聖なるものの波動もある場所で死ぬことが出来たら、あなたの死そのものが祝祭に、解放になる。 

そして過去何千年にもわたって、真理を求める者達が世界中からこの土地にやって来た。この国は貧しいし、この国には何ひとつ差し出すべきものはないが、感受性のある者にとってはこの世で一番豊かな場所だ。だが、その豊かさは内なるものだ。 

あなたの言っている通りだ。もう少しオープンになって、もう少し寛いで、もう少し手放し(レット・ゴー)の状態になれたなら、この貧しい国はあなたに人間として、得ることが出来る最大の宝物を与えてくれるだろう。 

OSHO:The OSHO Upanishad,#21(日本語版、OSHOタイムズ、73号より)