OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

150.聖なるものは愛に根ざしている

<OSHOとのダルシャン(面談)より>        (1976年7月29日) 

OSHO・・・(16歳ぐらいのインド人の女の子に)これが君の名前だよ。マ・プレム・ディヴィア。 
プレムは愛という意味で、ディヴィアは神聖なという意味だ。聖なる愛・・・それを覚えておきなさい。それはただの名前であるべきではない。それはひとつの留意になるべきものだ。 

愛というのは神聖であり、それどころか愛だけが神聖であり、聖なるものに至るには愛以外の扉などないということ・・・。愛すれば愛するほど、あなたは神に近くなる。そして、もし完全に愛の中に溶け去ることが出来たならば、人は神とひとつになる。 

※OSHOは、人はあらゆるものを愛し敬意を抱くべきだと述べた。無生物に対してでさえも・・・なぜならば、人が何を愛するかは問題ではないからだ。問題は愛という姿勢にある、と。 

OSHO・・・愛はあなたに深みを与えてくれ、だんだんとあなたを変容させてゆく。他の寺院など全てニセ物だ。愛の扉を叩かない限り、あなたは空しくノックをしていることになる。そして人があなたに何をするにしても、あなたの愛をぶち壊すことだけは決して許してはならない。 

たとえもし誰かがあなたを騙したとしても、憎むことはない。騙させるがいい。それはその人の問題だ。けれども、あなたの愛は妨げられることなく持続する。誰かがあなたに嫌な顔をする。そんなことは問題じゃない。自分自身の行為の結果を刈り取るのは、その人だ。あなたがそのことを心配する必要はない。愛し続けるがいい。 

愛というのは、無条件であるべきものだ。それはどんな条件も設けるべきではない。人は「あなたがこれをしてくれたら初めて、あなたのことを愛してあげる」だとか、「もしあなたが私によくしてくれたら、もしあなたがビューティフルだったら、もしあなたがこれだったら、あれだったら」などと言うべきではない。それは愛をぶち壊しにしてしまうだろう。条件付きの愛など、全然愛ではない。だからして、愛をもっともっと無条件なものにして行きなさい。 

そして、この年齢でもし君がそれを理解することが出来たなら、君の一生が変容するだろう。変貌することだろう。今こそ何かを始めるのにふさわしい年齢だ。というのは、一度間違った道に踏み出してしまったら、それを変えるのはとても難しいからだ。多くのものがその中に投資されてしまうから・・・。 

今の今、君はちょうど世の中に入り始めようとしているところだ。君は様々な人間関係の中に入って行くだろう。友達や恋人を見つけることだろう。いろいろなものごとが、今これから育ち始めるに違いない。君は敷居のところに立っているのだ。 

だから、これを君の絶えざる瞑想にするがいい。愛は神聖だということ。そして、あらゆる聖なるものはみな、どこか愛に基づかざるを得ないのだということ・・・。愛は、大地が樹々に対してするのと同じような機能を持っている。あらゆる聖なるものは、愛に根ざしているのだ。 

「生命の歓喜・DANCE YOUR WAY TO GOD」(めるくまーる社)より