OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

157.秘教グループ

<OSHOの講話より>  「未知への扉」 第8章: 秘教グループ       (1971年) 

質問:神智学者たちは、肉体を持ち、あるいは肉体すら持たずに存在するマスター(導師)たちの様々なグループについて語っています。現在、このようなグループはいくつあるのですか?こういった秘教グループとは何であり、またそれらは探究者たちや世界の動向にどのような影響を与えているのでしょう?どうか、こうしたマスターたちの秘教グループとあなたの関係を語ってください。 

霊的な知識が存在するには、むずかしいことがたくさんある。まず第一の困難は、それが的確には表現されえないものであるということだ。だから、たとえ誰かが知るに到っても、それを正確に表現することはできない。知られたものは容易に伝達されえない。誰かが何かを知っていて、それを知りたい探究者たちがいても、その知識を伝えることはできない。 

あなたがそれを知りたがり、それをあなたに語り聞かせる能力を持った誰かがいたとしても、それだけで伝達が可能になるわけではない。霊的な知識の本性自体が、あなたが表現しようとするやいなや表現しえないと感じてしまうものだ。それゆえに、それを表現するために、それを伝達するために、秘教グループが必要になる。 

秘教(エソテリック)グループとは、特定の知識のシステムを受け取るために、特殊な訓練を受けたグループのことだ。例えば、似たような例をあげよう。アインシュタインはよく、自分の意思を伝えることのできる相手は世界に6人にもみたないと言っていた。彼は数学的な知識について語っていたのであり、霊的な知識についてではない。だが、これは事実だった。アインシュタインが気軽に話しかけることのできた人物は、6人にもみたなかった。というのも、彼は通常の数学表記では伝達できないような数学上の頂点に達していたからだ。 

アインシュタインがその知識をあなたに伝えようとしても、あなたは耳にするだけで、理解はしない。ただ耳にすることは、理解することではないからだ。そして、あなたが理解しないときには、誤解してしまうおそれが大いにある。なぜなら、理解と無理解のはざまには、誤解という中間の現象が存在するからだ。自分が理解していないことをいさぎよく認めることのできる者などひとりもいない。だから、理解しないということが、無理解を指すとは限らない。十中八九、それは誤解を意味している。理解していなかったことをいさぎよく認めることのできる者などひとりもいないからだ。誰もが自分は理解していると言う。そうなったら、誤解がついてまわる。 

数学は秘教的知識ではないし、表現しえないものに関わるものでもない。それは5000年のあいだ、連綿として続いてきた。幾千もの頭脳が数学の訓練を受けている。世界中どこの大学でも教えている。どこの小学校でも教えている。実に多くの大学の、実に多くの学部が、多大な訓練、多量の知識を用いて数学を教えている。だが、それでもアインシュタインは言う。「私が知っていることを伝えられる相手は6人しかいない」と。このことを理解したら、霊的な体験を伝えることのむずかしさを理解できるようになる。 

秘教グループとは、特定のマスターとともに働くために、特別な訓練を受けたグループでもある。数千年を経て、ようやく仏陀のような人が誕生する。ブッダフッドという現象が稀なため、仏陀のような人が現れても、彼が意思を伝えることはむずかしい。仏陀はそこにいる。世界はそこにある。だが、それでは何も始まらない。仏陀は、直接意思を伝えることができない。それゆえに、秘教グループが、内輪のグループが訓練される。 

この訓練は、このグループが仏陀と世界をつなぐ媒体の役目を演じられるようにするためのものだ。特殊なグループが仏陀を理解するための特別な訓練を受け、それから仏陀を世界に通訳する。なぜなら、仏陀のような人と世界のあいだには巨大なギャップがあり、そのままでは仏陀はまったく理解されないからだ。 

ここでイエスに言及することは意味がある。イエスが受難に会ったのは、秘教グループが存在しなかったからだ。仏陀が受難に会わなかったのは、秘教グループが存在したからだ。イエスが磔(はりつけ)にあわねばならなかったのは、そのギャップが大きくて、ふつうの人々には彼を理解することができなかったからだ。人々はイエスを誤解した。それは起こるべくして起こった。なぜなら、イエスと一般大衆とのあいだに、グループがひとつも存在しなかったからだ。その二つのあいだには、媒体がなかった。そのためにイエスは受難に会った。 

インドでは、仏陀もマハヴィーラもそのような目には会わなかった。磔にあった者はひとりもいない。彼らにもイエスと同じ可能性はあったが、イエスだけが十字架にかけられたのは、彼のための秘教グループが存在しなかったためだ。誤解は避けられなかった。イエスが言ったことは、ことごとく誤解されてしまった。もちろん、イエスには弟子があった。だが、弟子たちは大衆のなかにいた。彼の直弟子たちはみな、いかなる秘教的訓練も受けたことのない大衆のなかからやって来た。 

ルカ、トマス・・彼らは農夫たちだった。彼らは平凡で教育を受けていない社会層からやって来た。彼らはイエスを愛した。彼らはイエスに共感した。だが、彼らもまたイエスを理解することができなかった。それゆえに、彼らは多くの場面でとても幼稚な質問をしている。例えば、イエスにこのように尋ねた弟子がいる。「神の王国における私たちの地位はどうなるのですか?あなたは神の脇に立たれるでしょうが、私たちはどこに立てばいいのでしょう?私たちの地位はどうなるのですか?」彼らは、イエスが神の王国という言葉で言おうとしたものを理解することができなかった。彼らはふつうの人々だった。 

だが、この秘教グループを突然つくりだすわけにはゆかない。仏陀は突然現れるが、グループを急造することはできない。だから、数千年にわたって霊的であり続けてきた国々には、継承としての、伝統としての秘教グループが存在する。そして、この種の出来事が起こるたびに、そのグループがワークを開始する。 

アショカ王は、いまもなお存在しているグループをつくりだした・・9人のグループだ。1人が死ぬと、そのつど別の者が彼に取って代わる。こうして、そのグループは依然継続している。1人が死ぬたびに、残された8人の者たちが彼に代わる1人を選ぶ。彼は残りの8人によって訓練され、こうして9人のグループは存続してゆく。人は変化するがグループはもとのままだ。このグループは今もなお存在している。 

なぜなら、仏陀の再誕が待ち望まれているからだ。彼はいつでも来ることができる。仏陀がそこにいても、あなたがたは突然グループをつくりだすわけにはゆかない。なぜなら、この秘教のアデプト(奥義体得者)たちのグループは、長い訓練や鍛練を通してつくりだされるものだからだ。この訓練は偶発事ではない。このグループは、十全に訓練されたグループだ。誰もが訓練を受ける。これは突発的な出来事ではない。それゆえに、この9人のアショカ・グループは今もなお続いている。 

グループはいく度となく始められた。それが長く続き、やがて衰退してゆくこともある。ほんのしばらく継続し、すぐに消滅してしまうこともある。というのも、きわめて多くの困難があるからだ。多大な困難がある!だが、このアショカの秘教グループは、今もなお存続している。というのも、その存続を助けるいくつもの条件がそなわっているからだ。

ひとつには、それが決して大衆そのものには直接接触しないことだ。それは両者のあいだにもうひとつ別のグループを擁している。グループ自体は、常に知られることなく隠されている。あなたがたがそれについて知ることも、それがどこにあるかを知ることも決してない。このグループに参入する者はみな・・秘儀を伝授されるその瞬間、あなたがたの世界から消える、完全に消える。そうなったら、あなたがたは彼については何ひとつ知ることができない。そうなれば、グループは誰にも知られずに存続することができる。 

このグループは、たくさんの鍵やたくさんの手法を携えている。こうした鍵や手法を通して、それは様々な仕方で働きつづけている。これは、成員が肉体の中にあるグループだ。彼らは、私たちと同じように生きている。だが、一度誰かがそのグループのメンバーになってしまったら、別の生で、再び彼が、その9人の1人に選ばれることはありえない。彼は次の生では、グループと大衆のあいだの環として働くようになる。これが、9人のまわりにもうひとつ別のサークルを、より大きなサークルを形成する。 

なぜなら、ひじょうに多くの人々が、そのメンバーの一員だったからだ。彼らは、仏陀を直接知っている。彼らは、秘教のアデプト(奥義体得者)たちを直接知っている。彼らはたくさんの経験を積んでいるので、大衆のなかにとどまりながら、グループと共にワークを継続することができる。しかし、彼らはメンバーにはならない。このグループの誰かが地上に生まれないとき、つまり、彼が肉体を持たないとき・・彼が肉体をまとわない状態にとどまる場合にも・・彼らは、依然ワークを継続してゆく。 

肉体を持たないアデプトたちは大勢いる。彼らはワークを続けている。神智学者たちは、彼らを「大師たち」と呼んでいる・・クート・フミ大師のように。これらは架空の名前だが、彼らは、特定の人格や個性、今なお働きつづけている肉体を持たない魂について言っているのだ。 

クート・フミ大師(9人のアショカ・サークル最古の奥義体得者のひとり)が、神智学運動の全体をつくりだした。彼らは、来たるべき仏陀の再誕が可能となるような状況をつくりだそうと試みていた。仏陀は、「私は2500年後、再び生まれ、その名は『マイトレーヤ』となるであろう」と語っていた。ゴータマブッダのように光明を得た人は、2500年後に、誰が光明を得るかを知ることができる。だから、仏陀は予言した。そして、この出来事のために、9人のアショカ・サークルは何世紀にもわたって働きかけてきた。 

今や時は近づいた。神智学運動は、その出来事のための準備にすぎなかった。しかし、それはつまずいた。その実験は失敗した。彼らはマイトレーヤが降臨する「乗り物」をつくりだすため、3,4人の人々を実験した。だが、その実験は失敗に終わった。何かが欠けていた。時には成功の間際になって、それを妨げる何かが起こったりした。(最後に補注あり) 

クリシュナムルティを「乗り物」にさせる用意ができていた、完璧な用意ができていた。準備は周到に整えられていた。彼は、マイトレーヤが降臨できるように、自らを明け渡して空っぽになるべく壇上に登った。だが、最後の瞬間に、彼は自らを明け渡すことを拒んだ。こんな事態になるとは、彼の周囲の誰ひとり思ってもみなかった。クリシュナムルティが最後の段階でしくじり戻ってくるという気配など微塵もなかった。だからこそ、彼は、この後退現象が起こった後、生涯にわたり、40年間絶え間なく「個」を強調し続けている。彼は言う。「個であれ!」と。 

これには意味がある。準備の全体が、人の個性を喪失することにあったからだ。さもなければ「乗り物」にはなれない。「あたかもあなたがいないかのようになりなさい!あなたを『超越した力』に全面的に明け渡すのだ」だが、彼はジャンプするほんの間際に、明け渡しを拒絶した。すべての準備は整っていた。もうあと一歩で、マイトレーヤは世界に登場していただろう。しかし、最後の一歩を踏むことができなかった。彼は戻ってきた。彼は「私は私自身だ」と言った。彼の哲学全体が「明け渡すな、信じるな、弟子になるな」となったのはそのためだ。このことはすべてたんなる結果にすぎない。それはただの理由づけであり慰めだ。 

彼は、40年間絶え間なく、その踏まれなかった最後の一歩から働きかけつづけている。彼はまだ、その外に出ていない。そこには悔恨がある。傷がある。最後の瞬間に、彼は明け渡すことができなかった。こうして、神智学はクリシュナムルティにおいて失敗し、その運動は生気を失った。その運動は、この出来事の具現のために存在していたからだ。それは意味を失った。家は建てられたが、主人は、決してそのなかに住むようにはならなかった。こうして、クリシュナムルティマイトレーヤの「乗り物」になることを拒絶して以来、神智学は無意味なものになってしまった。それは、いまだに遺物のように続いてはいるが、今や本質的なものは何ひとつ存在していない。 

この運動全体は、アショカの9人のアデプトたちによって創始された。彼らは、今もなお働きかけている。様々な方法で、働きかけつづけている。実のところ、私たちが知っている歴史の背後には、私たちがうかがい知ることさえできないような歴史が存在している。歴史には、もっと深遠な部分がある。私たちが歴史として知る周辺部は、真の出来事ではない。私たちのいわゆる歴史の背後には、もうひとつの歴史が続いている。私たちがそれについて何ひとつ知ることのない、より深い歴史が・・

 

例えば、「ヒトラー」・・彼のファシズム、彼の行動の全貌、彼の何かを為そうとする死にもの狂いの努力を取り上げてみよう。その背後に、秘められた何かが存在することを察知している者は誰もいない。ヒトラーの行動は、間違った方向に向いてしまった運動、意図されたものに背いてしまった試みだった。当初、ヒトラーは別の力のたんなる「乗り物」だった。 

今では、彼がドラマの本当の主役ではなかったことを示す所見がある。彼は道具にすぎなかった。彼は使われていただけだ。誰か別の者が、彼の背後で働いていた。別の力が彼を使っていた。彼は狂っていた。彼は殺戮者だった・・こうしたものは、彼の自我(エゴ)の現れだった。彼は、自らの自我を、偏見を、狂気を、棄て去ることができなかった。そして、彼はおのれの自我を、彼を通して働きかけようとしていた力に明け渡すことができなかった。それゆえに、その試みは失敗に終わった。それは意図されたものに背いてしまった。 

ヒトラーの「鉤十字」の選択を見るがいい。アドルフ・ヒトラーの党のシンボルであるこのスワスティカは、ある特殊な奥義体得者たちのスクールに属する最古のシンボルだ。インド最古のグループのひとつは、ジャイナ教だ。スワスティカは彼らのシンボルだ。だが、それはヒトラーが用いたシンボルと正確に同じものではない。ヒトラーのスワスティカのデザインは、逆さになっていた。ジャイナ教のスワスティカは時計まわり、ヒトラーのスワスティカは反時計まわりだ。 

この反時計まわりのスワスティカは、破壊のシンボルだ。時計まわりのスワスティカは、大いなる創造のシンボルだ。ナチスは、3年がかりでシンボルを捜した。なぜなら、シンボルはただの象徴ではないからだ。もし、より深い伝統のなかからシンボルを取り出すなら、そのときシンボルは環になる。そこで、アーリア民族の最古のシンボルを発見するために、ヒトラーによってチベットに人が派遣された。そのシンボルによって、秘められた多くのものに接触できることが知られていたからだ。 

こうして、スワスティカが選ばれた。だが、それは逆さになっていた。そのシンボルを発見した人物、ヘッセンホフが、シンボルは逆さに使用するべきだ、とヒトラーに進言したのだ。彼は、多くの秘教グループと接触していた人物のひとりだった。だが、彼は混乱していた。彼は二つのものを捜し求めていた。まず第一に、ひじょうに古いシンボル、そして第二に、新しくつくりかえることのできるシンボルを。このために、スワスティカが選ばれ、逆さにして用いられた。それがこのような形で存在したことはそれまで一度もなかった。しかし、このために、事態はまったく別の様相を呈した。 

世界中の秘教的知識に触れている人々は、このシンボルの逆用のために、ヒトラーが自滅してしまうことを知っていた。彼は狂い、自滅的な力と交信するだろう、と。ヒトラーの哲学の背後にある概念は、すべて秘められたスクールで授けられた。彼らはヒトラーを、ちょうど神智学者たちや秘められたグループがクリシュナムルティを使ったように使った。ヒトラーが、ある時点まで、ある瞬間まで勝利しつづけたのはそのためだ。彼は勝つ一方で、負けを知らなかった。状況はまさに驚異的だった。彼は何に対しても勝つことができた。まるで彼にとって、敗北はありえないかのように見えた。だが、ある時点を過ぎると、あらゆることが逆転しはじめた。この逆転はなぜ起こったのだろう? 

ナチズムに対抗する連合軍側がヒトラーを打ち破ったというのは、歴史の真相ではない。それは外面的な現象にすぎない。ヒトラーは、ある秘教グループに利用されていた。この試みは、そのグループによって為された最も自暴自棄的な努力のひとつだった。この秘教グループは、何世紀にもわたって働きかけつづけてきたが、思うように人類を救うことができなかった。そのために、彼らは、人類が地球上で自滅する前に、人類を救おうとする最後の絶望的な試みをおこなった。以前、彼らは、聖者たちや権力を持たない人々、心の清い人々を通して働きかけた。今や、彼らは、アドルフ・ヒトラーを使い、世界が崩壊する前に全世界を掌中におさめて、ある教えを人類に授けようとした。 

だが、ちょうどクリシュナムルティが最後の瞬間にグループから飛び出したように、ヒトラーもグループの手を離れてしまった。こうして、ヒトラーの凋落が始まった。これは戦争史上の奇跡であり、まさに未曾有の出来事だった。ヒトラーはいかなる戦略家の助言も聞き入れようとしなかった。進撃や攻撃に際しても、将軍たちの助言は一切取り上げようとしなかった。参謀たち全員の助言にすら逆らって、自分の意のままに行動し、軍を動かしたものだ。それでもなお彼は勝利した。馬鹿げた移動、意味をなさない進撃・・戦争のことを少しでも知る者なら、誰もこのような行動を取ろうとはしない。しかし、ヒトラーはそのような作戦をとって3年間勝利しつづけた。 

彼の側近たちはみな、ヒトラーが何かもっと大きな力の「乗り物」にすぎないことを知っていた。そうでなければ、これは説明がつかない出来事だった。命令を下すとき、いつも彼は顕在意識のなかにいなかった。これは最近になって、ようやく知られるようになった事実だが、命令を下すたびに、ヒトラーは忘我状態に入っていた。彼の目は閉じられていた。彼は震えはじめ、汗を流し、やがて、声が完全に変質してしまう。そして、別の声が命令を下した。しかし、彼が没落しはじめたその日から、彼自身の声が命令しはじめた。その時点、その瞬間から、彼は二度と忘我状態を経験することはなかった。働きかけていた秘教グループとのある接触が失われたからだ。 

今や、ヒトラーと彼の生涯を研究している人々はみな、この現象がたんに政治的なものではなかったことを感じ取っている。ヒトラーという人物自体、ただの政治狂、ただの狂った政治家ではなかった。というのも、彼の為すことは、どれもみなまったく政治的ではなかったからだ・・彼のアプローチ全体がだ。彼のもとに留まった者たちは、彼の人格が分裂していることを感じていた。ふだんのヒトラーは、人には想像もつかないほど平凡だった。魔力を持たない、ごくふつうの人間だった。しかし、乗っ取られ、憑依されると、彼の人格はすっかり変わってしまった。 

この背後には誰がいたのだろう?その背後にはある秘教グループがいた。その秘教グループは、あることを為そうとしていた。だが、グループの手を離れたとき、ヒトラーはすべての力を失った。その最後の日々、彼はごく平凡な人間だった。そして、ヒトラー接触を失った、その時点より、彼のやること為すことすべてが裏目にでた。それ以前は、何をやっても、いつもことはヒトラーに有利に展開していた。 

私があなたがたに話してきたあの同じグループ・・アショカの9人・・が、状況全体の背後にひかえていた。彼らは全世界を獲得しようとしていた。人は、背後にある何らかの力によってワークを始めたのに、自分ではそれに気づいていないといったことがよくある。ことが首尾よく運んでいても、目的を達成しているのは別の者であることにあなたは気づいていない。成功しているのは自分だという意識のために、あなたの自我は強められる。そして、あなたのエゴが強くなりすぎて、どんな力に対しても耳を傾けようとしなくなる瞬間がやってくる。これはよくあることだ。 

秘教グループは、先ほど私があなたがたに話したように、本来、継続するものとして機能している。それゆえに、少しでも必要があれば、ある秘教グループが手を貸すためにそこに現れる。そして、彼らはさまざまな方法で援助することができる。 

日本がドイツと親密になったのは、たんなる偶然ではない。それは、この9人のグループのせいだ。これは隠された事実だ。ヒトラーの背後で働きかけていた秘教グループは、仏教徒のグループだった。仏教国である日本がヒトラーの側に立つように感化されたのはそのためだ。ヒトラーが勝利しているあいだ、東洋全体が高揚感に包まれていた。東洋全体が、内的にはヒトラーとともにあった。それは、彼の背後で働きかけていたグループが、東洋のグループだったからだ。 

偶然に起こることなど何もない。すべての背後には、因果の連鎖がある。秘教グループの第一の仕事は、仏陀のようなマスターが誕生するたびに、マスターの媒体となって、手を貸すことだ。これらの秘教グループのもうひとつの仕事は、ひとたび得られた知識を保存することだ。仏陀は至高なるものを達成した。だが、誰がそれを保存するのだろう?あるものを書物にして残すのは、保存ではない。なぜなら、知識には生きた血が通っているが、書物には生きた血が通っていないからだ。 

書物に残せるのは言葉だけであって、知識ではない。知識を保存できるのは生きた人間だけであって、書物ではない。というのも、書物というものは、もう一度解釈しなければならないが、誰が解釈するというのだろう?それを読み解き、正しく解釈できる者がいれば、その人は書物など使わなくても、そのメッセージをあなたに伝えることができる。だが、書物に頼っている者たちは、それを正しく解釈することができない。 

どの書物を読んでも、とにかく自分がまだ知りもしないことは読み取れない。読み取ることができるのは自分のことだけであり、それ以外のものではない。たとえあなたが仏陀の「法句経」を読んでいても、読んでいるのは仏陀の「法句経」ではない。それはあなたの「法句経」だ。もはやあなたが創作者になり代わる。そうなったら、あなたの深さが仏陀の言葉の深さを限定してしまう。あなたは自分自身を超えられないために、自分自身を超えたものは何ひとつ垣間見ることができない。 

それゆえに、知識・・微細な知識、根源的な知識、究極の知識・・が得られても、それを書物にして残すことはできない。書物にして残せるのは、誤解されようのないありふれた知識、ふつうの学校で教育を受け、身につけることのできるありふれた知識だけだ。言葉がわかれば、あなたはそれを知ることができる。だが、至高の知識は、このような形では保存できない。それは、ただ生きた人間を通してのみ保存することができる。秘教グループは、まさにそのためにある。そうすることで、知識はひとりの生きた人間から、もうひとりへと直接伝達される。それは、ただの機械的な伝達ではなく、ひとつのアートだ。 

ひとつ、とても秘教的な話をしてみよう・・泥棒の達人についての仏教の話だ。その男はひじょうに腕のたつ、盗みの名人で、誰も彼を捕らえることができなかった。その男は家に押し入るたびに、必ず盗みの達人が入ったしるしとなるものを何か後に残したものだ。彼の技は知れわたり、もし彼がある家に押し入って、別の家に入らなければ、その別の家の者たちが嫉妬を覚えるほどだった。というのも、その盗みの達人が入るのは、自分の腕前を発揮する価値のある家に限られていたからだ。 

国王までもが、彼に会いたがっていた!その泥棒がやろうとすることは、すべて事前に通告されていた。彼が、誰かから盗もうとするときには、まずその盗みにまつわる噂が拡がった。盗まれる人は、それとなく、もうすぐ盗みの達人がやって来ることを知らされた。「好きなように手配するがいい。いずれにせよ、これこれしかじかの日時に、盗みは行われる」と。それでも、泥棒は決して捕まらなかった。 

やがて彼が歳を取ると、息子が尋ねた。「もうあなたは歳なのに、私はあなたの技のイロハも知りません。私に手ほどきをしてください」父は言った。「それはとてもむずかしい。盗みの技は科学ではない。それは技術的な知識ではない。おまえが、生まれながらの泥棒でもない限り、教えることはできない。そうでないかぎり不可能だ。それは芸術としての要素がきわめて高い。それは創造的な芸術なのだ。私はそれを生きてきた。盗みは、私にとって悪事ではなく、私の魂だった。とにかく、どんなことになるかやってみよう」

ある晩、彼は息子についてくるように命じた。彼らは王宮に行った。父は壁をぶちぬいた。齢は65か70に達していたにもかかわらず、その手は少しも震えていなかった。一方、その息子は若くたくましかったが、寒い夜だというのに、汗をかいていた。彼は震えていた。父は言った。「なぜ震えているのだ?おまえはただそばで見ていればよい。盗むのは私だ。おまえは立ち会っていればいい。どうして震えているのだ?」だが、震えを止めようとすればするほど、ますます震えは大きくなった。ところが、父親は、まるでわが家にいるかのように仕事を続けていた。 

彼らは侵入した。父は扉の錠を開け、息子になかに入れと命令した。息子がなかに入ると、父は扉に鍵をかけ、続いて、家中の者が目を覚ましてしまうほどの物音をたてた。そして彼は、息子を押入れのなかに鍵をかけて閉じ込めたまま、逃げ出した。家中の者たちが泥棒を捜しはじめた。その少年のなかで何が起こったか想像できるだろう!父親は家に帰った。寒い夜だった。彼はベッドに入り、くつろいだ。 

2時間経つと、息子が駆け込んできた。彼は父親の毛布をひきはがすと、こう言った。「あなたは、危うく僕を殺すところでした!これが私を訓練するやり方だと言うのですか?」父親は彼を見つめてこう言った。「そうか、戻ってきたか?よろしい!ことの経緯は話さなくてもよい。そんなことはどうでもいい。細かなことは気にしなくてもよい。戻ってきたか?それはよかった。技は伝えられたのだ」 

息子は口もききたくなかったが、それでもこう言った。「とにかく、あなたは危うく僕を殺すところだったんですよ!ひとり息子に、あなたは何てひどいことをするんです!」父親は言った。「何が起こったのか話してごらん。おまえが何をしたかではない。私が扉に鍵をかけたあと、何が起こったかを話すのだ」 

息子は言った。「僕は別人になってしまいました。死が目の前にあったのですからね!あんなエネルギーが湧いてくるのを感じたのは初めてです。すべてが風前のともしびでしたよ・・生か死か。僕は、ものすごく注意深くなっていました。あんなに注意深くなったことは一度もありません。僕の感覚は完璧に冴えわたっていました。なにしろ、一瞬一瞬が貴重だったんです。こちらを取るかあちらを取るかで、すべてが決まってしまうところでしたからね。 

そのとき、女中が蝋燭を手にして扉のそばを通り過ぎたのです。『何が起こったのか?』という父さんの訊き方は正しいですよ。「僕」がそれをやったとは言えませんからね。でも、とにかく僕は、なかに猫がいるような物音を立てました。彼女は錠をはずし、扉を開けて、蝋燭の明かりでなかをのぞきました。僕が何かをやったとは言えませんね。それは起こったのです。僕はしゃにむに蝋燭を吹き消し、彼女を押し倒し、走りました。「僕」が走っているとは言えないような力で駈け出していました。走ることが起こったのです。「僕」はいませんでした。僕は完全に消えていました。活動している力だけがあったのです。 

彼らは後を追ってきました。僕が深い井戸の傍らを通ったとき、またもや何かが起こったのです。「僕」がやったとは言えません。でも僕は、思わず石を拾って井戸に投げ込んでいました。そのために、彼らはみな井戸を取り囲み、泥棒が落ちたと思いました。そのおかげで、僕は今ここにいられるのです」 

だが、父親はぐっすり眠り込んでいた。彼は話を聞いてさえいなかった。朝になると彼は言った。「細かなことはどうでもよい。技とは、語り聞かせることができず、実地の体験と、親しい交わりを重ねることで示すより他にないものだ」

 

至高の知識を伝達したり保存したりすることは可能だ。ときとして、こうした秘教グループは、特定の人物に知識を受け取る力が備わるのを待ちながら、何世紀にもわたって知識を保存していることがある。例えば、マハヴィーラには5万人の僧侶たちがいたが、彼が生きているあいだに、全員が光明を得られたわけではない。ひじょうに多くの者たちが道のどこかに取り残された。マハヴィーラは二度とこの世に現れることがない。だが、道のどこかにいる者たちには、さらなる知識が提供されねばならない。誰がそれを提供するのだろう? 

マハヴィーラはもはやこの世には現れない。聖典類も理に合わないから当てにできない。誰かがそれを解釈しなければならないが、その解釈が解釈する者の理解力を上まわることがない以上、それは意味のあることではない。特定の意識状態に達した者たちに鍵を手渡せるよう、この鍵を保存しているグループがあるにちがいない。さもなければ、こうした人々は道に迷うか、いたずらに無益な苦闘をしなければならなくなる。あるいは、新しいマスターを探さなければならない。 

だが、マスターを代えるたびに、彼は一から始めなければならない。なぜなら、古いシステムのものは、何ひとつ新しいシステムには使えないからだ。この道のものは、何ひとつあの道では使えない。どの道にも、独自の有機的統一がある。モハメッドの道で意味を持つものも、マハヴィーラの道では意味をなさない。仏陀の道で意味を持つものも、イエスの道では意味をなさない。だから、もし誰かが仏教の道からイエスの道にやってきたとしたら、その人は新たに始めなければならない。過去世での努力のすべてが投げ捨てられてしまう。それはよくない、まったくの浪費だ。 

それゆえに、マスターがそこにいないときには、こうした秘教グループが知識を保存する。そうすれば、この知識がマスターとして機能しはじめる。だが、知識は生きた人間によってのみ保存することができる。アショカ・サークルの9人は、それぞれが特殊な鍵を携えた奥義体得者(アデプト)だ。各人が全部の鍵を持っているわけではなく、ひとりひとりが別の鍵のスペシャリストだ。グループが9人で構成されているのは、仏陀が9つの扉、9つの鍵、9つの知識について語ったからだ。 

だから、各人は、それぞれただひとつの鍵に関する奥義のみを体得している。彼はひとつの扉にのみ精通している。その扉から入りたい者は、彼の助けを受けることができる。仏陀は9つの扉に通じることができたが、この9人は9つの扉に通じることはできない。だが、扉はひとつあれば充分だ。ひとつの扉のひとつの鍵を知るだけでいい。9つの扉全部から入る必要はない。あなたが中に入るには、扉がひとつあればいい。 

それゆえに、この9人の奥義体得者たちは、それぞれがひとつの鍵を携えている。おのおのがひとつの扉、ひとつの瞑想の道に精通している。必要があるたびに、しかるべき者が手を貸す。その助けは直接的なものであるかもしれないし、間接的なものであるかもしれないが、いずれにしても彼が手を貸す。 

いつであれ、新しいブッダ(覚者)、光明を得た新しい人がやって来ると、このグループが下地を準備する。彼らは、人々が彼に耳を傾け、彼を理解するように準備する。もしこうした下地が用意されなければ、人々が彼を理解するのを助けるグループが存在しなければ、マスターはひとり残らず十字架にかけられてしまう・・磔(はりつけ)にあってしまう。 

他にも別の方法で働きかけている秘教グループがある。ときとして人類は、かつて知られていたことを忘れてしまうことがある。『死者の書』・・エジプトの書物・・のある箇所には、「無知とは忘却にすぎない」と記されている。かつて知られていた何かが忘れ去られている。ある意味では、新しいものなど何もない。何かが忘れ去られているにすぎないのだが、あなたが再びそれを知るに到るときには、それは新しいもののように見える。鍵を保存する秘教グループが存在しないために、多くの鍵が失われることがよくある。 

ときには、グループがそこにあっても、その知識の伝授を受ける準備ができている者がひとりもいないことがある。そうなると、秘教グループは、保存する以外になすすべがない。だが、保存すらも不可能になることもある。保存することは容易なことではないからだ。9人のグループのひとりが死んで抜けた場合、彼の代わりを見つけるのは必ずしも容易ではない。交替が選挙によって行われるわけではないからだ。それは民主的ではない。知識は、民主主義を頼りにはできない。無知だけがそれを頼りにする。知識というものは、いついかなるときも専制的だ。原子力委員会の代表を選挙によって決めるわけにはゆかない。そんなことをすれば、自ら墓穴を掘ることになる。 

知識は常に専制的だ。それは絶対に下からは来ない。それは必ず上から来る。この違いをはっきり見るように。下からやって来るものはすべて無知からやって来ざるをえない。例えば、政治は無知の最たるものだ。それは下から来る。最低の者が最高の者を選ぶ。だが、最高の者とは何を指すのだろう?最低の者が最高の者を決める。だとしたら、最高の者は最低の者よりもなお低くなるはずだ。民主主義では、指導者とは、追従者の追従者に他ならない。知識はそんなものを当てにはできない。知識は常に上から授けられ、それゆえに専制的なものとなる。 

秘教グループは鍵を保管し、知識を保存している。だが、誰かが特定の知識のシステム、特定の奥義を受け取る能力を持つやいなや、その鍵は引き渡される。誰かの準備が整うまで、グループは待つ。何世紀にもわたって待たねばならないこともある。グループのひとりが死んだ場合、補充することはひじょうにむずかしい。補充は選択によって決められるものではない。グループの残りの8人のメンバーは、能力のある人物を見つけださなければならない。だが、能力のある人物ですら、訓練を受けて初めてグループに参入することができる。 

ときには、グループはひとりの人物に何生にもわたって働きかける。そうしてはじめて、その人はメンバーに取って代わることができるようになる。だが、もし誰も見つからない場合には、鍵は失われ、この秘教グループの手では二度と見つけられなくなる。それは仏陀のような人が現れるまで二度と見いだすことができなくなる。秘教グループにできるのは、ただ保存し、伝達することだけであり、発見することではない。発見はグループの能力を超えている。こうして、多くの鍵が失われる。たくさんのグループがワークを続けてきた。そして、多くは今なおワークを継続している。 

例えば、西洋の薔薇十字会は、類似したグループのひとつだ。このグループは、何世紀にもわたってワークを続けてきた。実のところ、それはキリスト教のグループではない。それはキリスト教徒よりもさらに古い。薔薇十字会は、「薔薇色の十字」という秘教グループの一派だ。「十字」は、本来はキリスト教のシンボルではない。それはキリストよりもまだ古い。 

キリスト自身、エッセネ派として知られる秘教グループから秘儀の伝授を受けた。だから、キリスト教の祝祭日・・例えば、復活祭やクリスマス・・は、どれもみなキリストよりも古い。キリスト教は古代の伝統を取り入れただけだ。イエス自身、ある秘教グループの一員であり、そのグループから、後に彼が大衆に伝えようとした多くのことを伝授された。このグループは、イエスのために下地を準備しようとしたが、間に合わなかった、うまく機能することができなかった。 

周知の通り、イエスに先立ち、洗礼者ヨハネが現れて、3,40年にわたり、ただひとつの教えだけを説きつづけた。「私はただの先駆けだ。まことの人はまだやって来ていない。私は、ただ下地を用意するために来ただけだ。まことの人がやって来れば、私は消える」ヨハネは、40年間、ヨルダン川の畔に留まり、人々に洗礼をほどこした。彼の後に来る「まことの人」の名において、あらゆる人に洗礼をほどこし、あらゆる人にイニシエーションを授けていた。 

人はみな、「誰が来ることになっているのですか?」と尋ねつづけた。国中が、やって来るその人のことで湧き立っていた。その人の名は、洗礼者ヨハネにすら知られていなかった。彼もまた待たねばならなかった。洗礼者ヨハネは、エッセネ派に属していた。そして、キリストは、過去世においてエッセネ派のグループに入門したことのある重要人物のひとりだった。ついにイエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けるためにやって来た。そして、イエスが洗礼を受けたその日を最後に、洗礼者ヨハネは、永久に姿を消してしまった。ヨルダン川でイエスに洗礼を授けたヨハネは、まもなく姿を隠し、二度と現れなかった。 

ヨハネが消えると、人々のあいだで「まことの人がやって来た」という噂が広まった。洗礼者ヨハネは、40年間絶え間なく、人々に語りつづけていた。まことの人がやって来たら、「私は彼に最後の洗礼を授け、姿を消す」と。そして、洗礼者ヨハネは消えた。それゆえに、洗礼はキリスト教に先行し、キリストの前まで遡る。洗礼が先にあり、キリスト教はその後で始まった。この洗礼者ヨハネは、特殊な秘教グループ「エッセネ派」に属していた。 

たくさんのグループがある。だが、メンバーの誰かが死に、彼に代われる者がひとりもいないときには、いつもむずかしいことになる。そうなったら、失われた環が生じてしまう。その教えのいたるところで、環が欠けてしまう。そして、環が欠けると、ギャップを埋めることができないために、そのグループの助けを得られなくなる。 

今やキリスト教にはギャップがある、無数にある。その教えのいたるところにギャップがある。一部が失われると、イエスのような人が再び誕生するまで、それを補充することはできない。だが、その出現は予測できない。前もって手筈を整えておくことはできない。計画を立てることはできない。だが、秘儀の伝授を受けた探究者のグループならば、計画的につくりだすことができる。そうすれば、そのグループを使いこなせる者がいつ現れても、彼はそのグループを使うことができる。 

これらの秘教グループは、この地球にのみ関わっているのではない。今や、科学者たちでさえ、地球外の少なくとも5万の惑星には生命が存在するはずだという見解に同意している。もっと多いかもしれないが、それ以下ではありえない。ふつうの確率法則にてらしてみても、少なくとも5万の惑星に生命が存在することだけは疑いようがない。だから、秘教グループは、もうひとつ別のワークを担っている。それは、ある惑星の知識を別の惑星の知識と結びつけることだ。 

そのワークは少々むずかしい。というのも、私たちはすべてを知り尽くしているわけではないからだ。私たちは、かつては知られていた何かを見失っているかもしれない。あるいは、あるもののごく一部を知りつつあるにすぎないかもしれない。だが、別の惑星には、私たちが持っている知識よりももっと深遠な知識が存在しているかもしれない。現在、別の惑星には別のブッダがいるかもしれない。 

秘教グループは、宇宙のどこかに存在する異なる知識の体系を結びつける内なる環(リンク)として働いている。それゆえに、失われた環は、別の惑星から補充することもできる。そして、実際、そうしたことはいつも起こっている。 

何かが失われていて、その環を再び見いだす人物を地上に降臨させることができない場合には、そのつどその知識を別の惑星から補充することができる。その知識は、必ずどこか別の場所に存在している。秘教グループは、全宇宙に存在するあらゆるものと交信することができる。このワークは、ある者が大学から未開の集落を訪れるのに等しい価値を持っている。未開集落の者たちは何も知らない。大学の人間は知っている。この人は、知識を受け取れるよう未開人を訓練することができる。そうすれば、知識の源泉との接触を失わないまま、未開人に知識を伝えることができる。これはあくまで譬え話だ。 

だが、この惑星は、他の惑星の生命体の訪問を何度も受けてきている。彼らは地上におびただしい標識を残している。ときとして彼らは、この惑星のとあるグループのもとに多くの知識の鍵を残していった。その後も、こうしたグループはワークを続けている。このように、秘教グループは惑星間のものだ。だが、何かが失われているために、書物によってそれを理解することはできない。

 

それぞれの時代に応じた独自の手法が考案されねばならない。古い手法で真にあなたの役に立つものはない。あなたがたは変化してしまった。あなたがたの精神構造は変化してしまった。鍵は昔と少しも変わらないが、錠が変わってしまった。秘教グループは、錠の保管者ではなく、あくまでも鍵の保管者にすぎない。というのも、錠はあなたの内部にあるからだ。わかるだろう?錠はあなたのもとにある・・仏陀のもとでも、イエスのもとでもない。彼らは鍵を持っている。彼らは鍵を、たくさんの錠を開ける鍵を考案する。こうした鍵は秘教グループによって保存されうるが、その間に、錠は変化してゆく。 

あなたは、仏陀が開けた同じ錠ではない。寸分違わぬ同じ鍵では役に立たない。もし同じ鍵がそのまま使えるならば、どんなに無知な者でもその鍵を利用できる。そうなったら、知恵はいらない。誰でもそれを利用することができる。私があなたに鍵を授け、あなたはすぐに錠を開けに行くことができる。あなたに知恵はいらない。これが鍵で、あれが錠だ・・それだけでことは足りる。だが、錠が絶えず変化してゆくために、鍵がいつも錠に合うように古い鍵から新しい鍵を考案できる賢明なグループに、鍵を手渡さなければならない。 

錠は変化しつづけてゆく。それらは決して同じではない。だから、たんに生命を失った鍵を保管するというのではなく、錠に少しでも変化の兆しが現れたなら、いつでも鍵を変えてゆく科学に通じていなければならない。その知識は秘教グループによって保存される。錠が知られていないため、その知識を書物に残すことはできない。錠は変化する。変化しつづけてゆく。書物には、こうした錠の可能性、錠の組合せを網羅することはできない。

錠は変わりつづけてゆく。条件が変わり、教育が変わり、文化が変わり、あらゆるものが変化する。だから、錠の形は変わってゆく。どう保管しても、鍵は、常にある意味で不完全なものとなり、錠に合わなくなってゆく。それゆえに、鍵はそれを変える力を持った生きた賢者のグループに手渡されなければならない。秘教的知識と顕教的伝統の違いがそこにある。 

顕教的伝統は、いつも錠に一切注意を払うことなく鍵を持ち歩いている。顕教的伝統は古い鍵について語りつづける。その鍵では錠が開かなくなっていることには決して気づかない。だが、顕教的伝統は平凡な人々・・つまり、キリスト教会のメンバーのような人々から成り立っている。教会は鍵を伝えている。彼らはこの鍵がイエスの時代に多くの扉を開けたことを知っている。その知識は正しいし、情報も間違ってはいない。確かに、この鍵は多くの錠を開けたことがある!それゆえに、彼らはその鍵を伝え、その鍵を崇めている。 

だが、今やその鍵ではどんな錠も開かない。ところが、彼らには別の鍵を考案することができない。彼らには鍵を考案する余裕がない。鍵をひとつしか持っていないので、彼らはそれを崇めつづける。それで錠が開かない場合には、その責任は錠の側にある。だとしたら、錠に欠陥があるにちがいない。どこかおかしいのは錠であって、鍵ではない、というわけだ。 

顕教的伝統は、いつも錠を非難して鍵を崇めている。秘教グループは、決して錠を非難したりはしない。秘教グループはいつも鍵を変える。ヴァチカンは鍵を伝えている・・彼らは鍵を持っていて、それを崇めつづけている。だが、キリスト教にも内輪の秘教グループがある。そして、いつもこうなるのだが、秘教グループは、顕教グループと対立してゆく。なぜなら、顕教的伝統はいつも、有効なのはその鍵だけだと主張するからだ。あなたのために鍵があるのではなく、鍵のためにあなたがあるわけだ。 

あなたはこの鍵で錠が開けられるように振る舞わなければならない。鍵を変えるわけにはゆかない。あなたが変わらなければならない。もし誰かが「我われは、鍵を変えることができる」と言おうものなら、彼は異教徒と見なされてしまう。彼は異端者と見なされてしまう。そうなったら、彼は戯言を口にしたかどで殺されるしかない。「彼は鍵を・・イエス仏陀やマハヴィーラが私たちに授けてくれた鍵を変えてしまった。この鍵を変えることは断じて許されない」 

それゆえに、何かを見いだしているマスターが、真正のマスターがいるときには、必ず二つの流れが派生する。ひとつの流れは顕教的伝統を形成する。それは目に見える教会であり、法王やシャンカラチャリアがいる正統派だ。正統派は、常に同じ鍵を主張する。たとえ鍵が、どの錠も開けられなくても、それが無効だとは決して考えない。だが、そうだとしたら、そんなものは鍵でも何でもない。 

鍵とは、ある錠を開けて初めて鍵と言える。錠のひとつも開けられないなら、それを鍵と呼ぶのは誤りだ。それはまさに言葉の上の誤りだ。そんなものは鍵でも何でもない。それで錠が開いたとき、はじめてそれは鍵になる。たんにポケットに入れて持ち歩くだけでは鍵ではない。それは鍵の可能性を秘めているだけだ。錠を開けたとき、それは現実の鍵になる。どの錠も開かなければ、鍵の可能性すらなくしてしまう。 

だが、目に見える教会は、いつも鍵にこだわっている。なぜなら、その鍵は真正のマスターによって授けられたものだからだ。だが、真正なマスターはみな、内輪のサークルをもつくりだす。内輪のサークルは鍵を携えているだけでなく、状況に応じてその鍵を変える知識も携えている。この内輪のサークルは、必ず外側のサークルと対立してゆく。というのも、外側の者たちは、内側の者たちが自分たちの力もわきまえずに、マスターが授けてくれた鍵を変えようとしていると考えるからだ。「そんなことをするなんて、おまえたちは何様だ?どうしておまえたちに鍵が変えられよう?」 

例えば、イスラム教のスーフィーたちの幾人かは秘教的知識を携えていたが、イスラム教徒たちは彼らを殺害した。マンスールは、鍵が多様な変化をとげることについて語っていたために、殺されてしまった。秘教グループは、常に錠に関心を寄せ、鍵にはこだわらない。顕教グループは、鍵にこだわるが、錠にはまったく興味を示さない。開けばよいが、開かなければ、その責任はあなたにある・・鍵にはまったく責任がない、というわけだ。

イスラム教には、たくさんのスーフィー教団・・内輪のサークル、内輪のグループがある。イスラム教徒は、こうした内輪のグループは、きわめて反逆的なやり方で活動していると考えた。そのために、大勢のスーフィーたちが殺された。最終的に、スーフィーたちは姿を消さねばならなくなった。だから、今でもたくさんのスーフィーたちがいるが、彼らは見分けがつかない。ある者はただの掃除夫かもしれない。この男がスーフィーなどとは、どうしても見分けられない。誰かがあなたにその事実を教えないかぎり、あなたは決してそれに気づかない。彼が、毎日あなたの家を掃除しに来ていても、彼がある鍵を携えている人物だとは気づかない。 

あるいは、彼はただの靴屋かもしれない。彼はもくもくと靴を造っている。おそらく彼の側に坐っている者たちは、靴を造る技術を習っているだけだと見なされることだろう。もちろん客も数人いるが、なかには靴造りの技術を習っているだけでなく、靴屋と共にワークをしている弟子たちも何人かいるかもしれない。この靴造りの商売は、たんなる見せかけにすぎない。内側では、何か別のことが進められている。 

このように、外側の伝統がスーフィーたちに対して寛容でなかったために、彼らは完全に姿を消さねばならなかった。彼らはただ殺された。なぜなら、こうした内輪の者たちが存続すれば、外側の伝統には未来がなくなるからだ。伝統はまったく無意味なものになってしまう。 

自らの力で見いだした者、自らの力で鍵を編み出した者、自らの力で知識の源泉を知った者、自らの力で実在に遭遇した者、そういう者こそがマスターとなる。そして、彼の後には、二つの流派 が生まれる。顕教グループを一切認めなかったマスターたちもいる。仏陀の時代には、仏陀と同格のマスターが他に7人いた。あなたがたは、おそらく彼らの名前など耳にしたこともないだろう。名前が知られているのはマハヴィーラただひとりだ。他の6人はまったく知られていない。彼らも仏陀やマハヴィーラに等しい鍵・・知識・・を手にしていたのだが、まわりに顕教グループが形成されることを一切認めなかった。内輪のサークルだけが、とある場所で、とある形で続いていた。 

ひとりは、プラブッダ・カッチャーヤン。もうひとりはプルナ・カシャプ。そしてもうひとりはアジト・ケシュカンバル・・彼らは仏陀やマハヴィーラと同じ水準、同じ等級にあり、同一の内なる了解(りょうげ)に達していた。だが、彼らの名を知る人すらいない。彼らの名が知られているのは、仏陀がある箇所で彼らにふれているからだ。彼らのことを記した経典はどこにも見当たらない。信者もなく、寺院もなく、教会もない。だが、彼らは今なお密かに、微細な形で継続している。そして、彼らが多くの人々の助けにならなかったとは誰にも言えない。彼らは手を貸してきた。彼らは多くの人々には知られていないが、どの覚者にも劣らない援助をしてきている。 

仏陀の名前は知られている。彼のことは世界中に知れわたっている。だが、彼に関する知識が増えれば増えるほど、私たちは彼を利用できなくなる。仏陀にも彼のために働く内輪のサークルがある。こうしたものだけが意味を持つ。だが、彼らはいつも外側の宗教教団と対立してしまう。そして、外側の教団には強大な力がある。なぜなら、大衆は教団の側につくからだ。こうして、いつも対立が起こる。 

仏陀は、選び抜かれたサークルをつくりだした。彼は、そのサークルをマハカーシャッパという名の人物と共につくりだした。この名前が話題にのぼるのは一度だけだ。サリプッタやモッガラヤーン・・彼らは、仏陀顕教教団の一番弟子たちだった。彼らの名前は全世界に知れわたっている。彼らを讃える聖堂もある。だが、偽りのない真の鍵は、サリプッタやモッガラーヤンではなく、マハカーシャッパに授けられた。それなのに、彼の名が語られるのはただの一度だけ・・すべての仏教経典のなかでただの一度だけだ。その出来事についてもう一度話してみよう・・ 

仏陀は、ある日、一輪の花を手にしてやって来た。彼は法話を説くことになっていた。だが、法話は行われなかった・・彼はただ静かに坐り、その花を見つめていた。誰もが、彼は何をしているのだろうと首を傾げた。それが10分、20分、30分と続いたので、みんな不安になってきた。誰もが彼が何をしているのか言い当てることができなかった。全員が集まってきていた。少なくとも1万人の人々が、彼の話を聞くためにやって来ていた。ところが、仏陀は、ただ坐って、花を見つめているだけだった。マハカーシャッパの名が登場するのは、まさにこのときだ。 

誰かが笑った。仏陀は顔をあげてこう言った。「マハカーシャッパ、私のもとへ来なさい」仏陀は、花をマハカーシャッパに授けると、こう言った。「語ることのできることは、すべてみなに語り終えた。語ることのできないことは、マハカーシャッパに授けた」これが唯一の出来事だ。後にも先にも、マハカーシャッパに関することは何ひとつ知られていない・・彼が誰なのかも、彼がどこで生まれたのかも。 

すべての仏教経典が、彼についてそれほど沈黙を守っているのはなぜだろう?仏陀自身が「語ることのできないことは、すべてマハカーシャッパに授けた」と言うほどの重要人物なのに!言うまでもなく、本質的な事柄は語りえないものだ。非本質的な事柄のみが語られうる。表面的なものごとのみが語られうる。実用的なものごとのみが語られうる。知識の最も深遠な伝達は、沈黙のなかでのみ可能となる。だが、マハカーシャッパの名前は二度と話題にのぼらない。

 

何世紀ものあいだ、マハカーシャッパに何が起こったのかを知る者はひとりもいなかった。それから1100年後、ある人物が中国でこう宣言した。「私はマハカーシャッパと直接つながっている。私は彼の直系だ」1100年後に、ある人物が中国で宣言した。「私はマハカーシャッパに属している。私は彼の弟子だ」その人物こそボーディダルマだった。インドの経典にはボーディダルマのことは記されていない。彼はインドで生まれ、人生の4分の3をインドで過ごしたが、彼がどこにいて何をしていたかは一切知られていない。

彼は、突然中国に現れて、言う。「私は、仏陀が花を授けた人物、マハカーシャッパに属している。私は、その花を携えているが、その花は今も鮮やかだ」確かにそうだ!彼は新鮮である他ないあるものについて語っている。誰かが尋ねた。「その花はどこにあるのですか?」ボーディダルマは言った。「その花はあなたの前に立っている。『私』がその花だ!仏陀はこの花をマハカーシャッパに伝えた。そして、今、私は、その花を伝えるにふさわしい人を求めてやって来た。なぜなら、まもなく私は逝ってしまうからだ。 

これは私の最後の生だ。私は、ある知らせを・・この花を伝えることのできる人がここにいるという知らせを得て、インドから中国に旅をしてきた。私は、その人を捜し求めてやって来た。ところが、その同じ情報源が、彼のところに出かけてゆく必要はない、彼は必ず私のもとにやって来る。だから、私はただ待てばよい、と告げたのだ」 
この「情報源」という言葉で、彼は何を言おうとしているのだろう?秘教グループは、情報を必要としている人々に情報を流しつづけている。 

ボーディダルマは「だが、その同じ情報源が、彼を探す必要はないと告げたのだ」と言った。それは、直接探索することが干渉になってしまうことがあるからだ。私があなたの家に出向いてゆくのと、あなたが私のもとを訪ねてくるのとではまるで状況が違う。それは同じではない。私があなたの家に出かけていったなら、あなたは私に対して閉じてしまうだろう。だが、あなたが私のもとを訪ねて来たら、あなたは開いている。来たのは「あなた」だ。 

ボーディダルマは言った。「その同じ情報源が、待たねばならないと私に告げた。さらに彼らは、どうやって花を伝える人物を見分けるか、という指示も与えてくれた」そこで彼は、9年間、ひたすら壁に向かって坐り、誰にも顔を向けなかった。たくさんの人が彼のもとにやって来た。中国の皇帝、武帝すらもが彼に会いにやって来た。それでもボーディダルマはふり向かなかった。彼は、ただ壁に向かって坐っているだけだった。 

武帝の側近が、陛下がみえたというのに背を向けたまま壁に向かって坐っているのははなはだ無礼ではないか、とたしなめた。ボーディダルマは答えた。「私が陛下のもとへ行くのではなく、陛下が私を訪ねてきているのだ。無礼なボーディダルマを訪ねるかどうかを選ぶのは彼だ。彼の好きにすればよい。私が彼のもとに行くのではない」武帝は、ボーディダルマの言葉を聞いて、彼を訪ねてきた。会いたくてたまらなくなり、どうしても来ざるをえなくなった。この男を訪ねる価値があるかどうかを判別する手だては他になかった。 

武帝はやって来た。ボーディダルマは壁に向かって坐っていた。武帝は彼に尋ねた。「あなたはなぜ壁を向いているのです?どうして私を見ないのです?どうして他の人々を見ないのです?」ボーディダルマは言った。「私は、生涯にわたり、あなたをはじめ、あらゆる人々と顔を合わせてきたが、あなたがたの眼のなかには、死んだ壁以外のものは何も見えなかった。そこで私は、壁に向かっていた方がましだと心に決めたのだ。あるのは壁だとわきまえていれば、気は楽だ。だが、誰かと向かい合っていて、そこに壁があるような感じを受けたなら、面倒なことになる。あなたが私の後ろにいて、目に入らないおかげで、私はずっと楽に話せるのだ」 

彼は、9年間絶え間なく、こうして壁に向かって坐っていた。とうとう彼が受けた知らせどおりの人物がやって来た。やって来た男は慧可(えか)だった。彼は、いきなり自分の腕を切り落とすと、それをボーディダルマに差し出して、こう言った。「ふり向いてください。さもないと、私は首を切り落とします!」ボーディダルマはぐるりと振り向くと、慧可の顔を見ながらこう言った。「おまえに花を伝えよう。私は待っていた。ある人物がやって来て、腕を切り落とし、私の前に差し出すだろう。もし私が一瞬でもためらえば、その男は首を切り落としてしまうだろう・・ある情報源がそのような指示を与えてくれたのだ。そんなにあわてる必要はない。私には、それをおまえに授ける用意ができている。そのためにこそ、私はインドから中国へと旅をしてきたのだ」 

この密儀は、今や禅の顕教的な伝統のなかへと花開いた。禅仏教は、この秘教的なボーディダルマの法脈のまわりに形成された顕教的流派にすぎない。今日、鈴木大拙や他の者たちが世界中で語っていることは、すべて、その顕教的知識からきているものであり、秘教的知識からのものではない。現在、その秘教のルートは、再び隠されている。それはまたしても消えてしまった。だが、その流れはそこにあり、続いている。秘教サークルが存在するのはそのためだ。それには様々な存在理由がある。 

あなたは、私がどこかの秘教グループと関わっているかどうかと尋ねている。秘教グループのひとつと交信できれば、すべての秘教グループと交信することができる。ただ波長を合わせればいいだけだ。あなたのラジオが1局受信できるなら、他の局を受信するのはむずかしいことではない。その装置が正しく機能していれば、世界中のどの局でもキャッチすることができる。    

ひとつの秘教グループと交信できれば、すべての秘教グループと交信することができる。あなたは交信を望んでいないかもしれないし、交信を望んでいるかもしれない。だが、ひとたび波長の合わせ方を、つまり、どうやって交信すればいいかを知ってしまえば、交信することができる。あなたは何度も秘められたスクールに出くわすが、その機会、その足跡を逃してしまう。 

私が語っている事柄は、すべて多くの意味で秘教的だ。そのために、私は何度もあなたがたをひどく当惑させることになる。顕教の教えは、決して人を当惑させることがない。それは2足す2が4になるのと同じように明瞭だ。それは常に単純なものだ。だが、秘教的なもの、内なるもの、秘められたものは、理解するのがむずかしい。なぜなら、まったく新しい知識を吸収しなければならないために、あなたの理解能力はかき乱されてしまうからだ。 

基本原理を知っている知識であれば、あなたは楽に吸収できる。それはあなたの一部になる。だが、あなたにとってまったく新しいものは、何であれ消化しなければならない。秘教の知識は数学の用語では伝えることができない。それは神秘的な方法で伝達されねばならない。詩的な方法で伝達されねばならない。そうすることで、それは生きたものになる。そこには同時にたくさんの含みがある。 

私は、たくさんの秘教グループに接触してきた。私は、何らかの秘教グループに属している生きた人物も大勢知っている。私は、真正の師によって伝えられた数多くの鍵を知っている。だが、古い伝統からきた鍵は、どれも不充分だ。それゆえに、私は、新しい鍵を編み出している。新しい鍵を編み出しているために、私はどの秘教グループとも直接関わってはいない。秘教グループは、それぞれ特殊な鍵の保存に関心を持ち、その鍵をあずかっている。だが、私はそういった特殊な鍵には興味がない。私の関心は、新しい手法、新しいテクニック、新しい鍵を考案することにある。なぜなら、古くからある鍵は、どれも様々な意味で的をはずれたものになっているからだ。 

理解しなければならないことがひとつある。それは、これらの鍵は、どれも限られた地域で・・常に限られた地域で発展したものであるということだ。私たちは、初めて地域の限界を一切ともなわない、普遍的な世界に住んでいる。実際、私たちは、今初めて世界の名にふさわしい世界にいる。かつて、私たちは、いつも特定の地方に閉じ込められていた。それゆえに、以前の鍵は特定の地域の条件や文化に合わせて発展したものだ。 

ある意味で、現代の世界はかつてなかったほど混沌としている。特定の文化もなければ、特定の条件づけもない。あらゆるものが混ざり合っている。そして、今後、状況はますますそうなってゆくだろう。遠からず、地域的な生い立ちをまったく持たない、普遍的な環境のなかで育った世界市民が登場するだろう。それゆえに、今世紀の末までに、普遍的な鍵が必要になる・・私たちは、すでにそれを必要としている。 

例えば、イエスの鍵は、特定のユダヤ教のグループが使うように合わせてあった。これはまさに歴史の皮肉だ。イエスは、鍵を発明した、鍵を編み出した。だが、それはユダヤ教徒のマインドに合わせてあった。ところが、ユダヤ人たちはイエスに背を向け、イエスに従った者たちは、ユダヤ人に背を向けている。だが、その鍵は、とりわけユダヤ教の条件づけを受けた精神のために編み出されたものだ。 

私に言わせれば、キリストの鍵は、キリスト教徒よりもユダヤ教徒の方が利用しやすい。キリスト教徒は、後にキリスト教が発展する過程で生まれたものだからだ。イエスは、キリスト教徒のことなど一切知らなかった。イエス自身、キリスト教徒ではなく、ユダヤ教徒だった。だが、これが私たちの歴史の皮肉だ。 

仏陀は、特定のマインドに合う鍵を考案した。今日、その特定のマインドがあるのはインドだけだ。だが、仏陀の鍵はインドのどこを捜しても見つからない。その鍵は、中国や日本、セイロンやビルマチベットにはあるが、インドにはない。ところが、仏陀は、とりわけヒンドゥー教徒のマインドに合う鍵を編み出した。彼はヒンドゥー教徒として生まれ、ヒンドゥー教徒として死んだのであり、仏教のことなど何も知らなかった。 

したがって、その鍵はヒンドゥー教徒のマインドに合わせて開発されたのだが、やがて、その鍵のまわりにヒンドゥー教に対立する宗派が現れてきた。そうなったら、その鍵は的をはずれたものになる。それはヒンドゥー教徒に特有のマインド以外のものには何の効力もない。だが、これが歴史の皮肉だ。いつもそうなってしまう。 

そこで私は、いうなれば普遍的な鍵を・・特定の地域に限定された文化のためではなく、人間のマインドそのものに合う鍵を編み出そうと努力している。まもなく、普遍的な鍵が必要になる。地域的な鍵では間に合わなくなる。ただ古い鍵をかき集め、それらを融合させたところで何の役にも立たない。そんなことをすれば、もっと馬鹿げたことになるだけだ。あなたがたは、ひとつの錠をたくさんの鍵で開けようとしている。コーランから少し、聖書から少し、仏陀から少し、マハヴィーラから少し、というふうに。 

とても善い願いを持ちながら、たくさんの間違いを犯している人々が大勢いる。彼らは、あらゆる宗教の統一について語る。だが、それは、ひとつの錠を開けるために、鍵をひとまとめにしよう、ある鍵すべてを統一しようと言っているようなものだ。鍵はひとつあれば充分だ!鍵がありすぎても、錠を開けることはできない。そのどれかひとつで開けることができたかもしれないのに、鍵がたくさんありすぎては、無用な混乱が生じるだけだ。

こういった伝統的な鍵は、すべて分断された世界で開発された限られた地域の鍵だ。少なくとも歴史に知られている限りでは、いままで普遍的なマインドというものは存在しなかった。しかし、普遍的なマインドという現象は起こったことがある。だが、それは私たちの文明史や記憶の彼方にある。昔ある時、この普遍的マインドという現象が起こったことがある。だが、それは完全に忘れ去られている。2,3の例を話してみよう・・

 

イギリスでは日付を真夜中に変更する。そんなことをしても、実際には意味がない。それは理にかなわない。日付を変えるために、わざわざ眠りから覚める者などいない。それは理屈に合わないし、実際的ではない。日付は朝変えるべきだ。それが常識だ。あなたはいつも暦を朝変える。では、イギリスで、日付が夜中に変わるのはなぜだろう?どうしてこのような決まりになったのだろう?そこには秘密がある。 

インドが朝の5時半を迎えるとき、イギリスは真夜中だ。この文明以前に、ヒンドゥー精神が全世界を支配していた時代があった。大英帝国が全世界にその手を拡げたとき、グリニッジの時間が標準時間、現実の時間とされて、誰もがそれにならった。今や大英帝国の没落とともに、グリニッジ時間は忘れられつつある。1万年か1万5千年も経てば、誰もそれを知らなくなる。それと同じように、有史以前に起こったマハーバーラタ戦争の前には、ヒンドゥー精神が世界を支配していた時代があり、インドが朝を迎える時刻に日付が変更された。その時間、イギリスは真夜中だった。彼らが真夜中に日付を変えたのはそのためだ。その慣習が続いていた。 

あなたは、英国議会が300年前に、暦の日付を1月1日から始める特別決議をしたことに驚くだろう。300年以前には、イギリスの暦の日付は3月25日で終わっていた。1年が3月25日で終わるとはおかしなことだ。どうして1年の終わりが3月25日になるのだろう?それには何の意味もない。だが、その日は、インドの1年が終わる日に当たっていた。世界中がそれにならったのだ。このために、議会は、それを変更するために特別決議をくださねばならなかった。 

「december」という言葉は10番目の月を意味する。ところがdecemberは、12月のことだ。この名前が10番目の月を表すために選ばれたのはなぜか?decemberはサンスクリット語の「dush(10)」からきている。それがどうして12番目の月になるのだろう?これはインド歴では10月に当たる。古代の慣習のなごりだ。彼らの暦の起源はインドにある。 

12月の最後の週は、世界中で「Ⅹmas」として知られるが、「Ⅹ」は、ローマ数字の10であり、「mas」はサンスクリット語で月を意味する。「Ⅹmas」とは、10番目の月という意味だ。しかし、なぜこれが12月を指すのだろう?12月が10番目とは奇妙な話だ。それは、これがインドの暦の10月に当たるからだ。だが、こうした慣習の起源は、すべてマハーバーラタ戦争が起こった約5000年前までさかのぼる。  

マハーバーラタ』には、アルジュナがメキシコの娘と結婚するという話がある。サンスクリット語の「maxika」がメキシコになったのだ。当時存在したメキシコ文明には、ひじょうに多くのヒンドゥー教のシンボルがあるため、古代メキシコ文明はヒンドゥー文明の一部だと言わざるをえない。メキシコ文明全体がヒンドゥー教だった。ヒンドゥー教の寺院、ヒンドゥー教の神々、そしてガネッシュの聖像さえもが発見されている。だが、今では、あたかもそのような事実は一度もなかったかのように忘れられている。 

私たちは、近年になってようやく、もう一度アルジュナがメキシコの娘と結婚できるような普遍的な世界に到達した。まもなく、地域的な文化は存在しなくなる。そして、私たちは、このどこにも根ざさない文化のために、流動的な、新しい鍵を・・たくさんの錠に使えるより融通のきく、流動的な鍵を考案しなければならない。 

私は、ひじょうに多くの秘教グループを知っている。今世でも、前世でも、私は数多くの秘教グループに接触してきている。だが、彼らがどこにいるかを知らせることはできない。彼らの名前を語ることもできない。なぜなら、それは許されていないからだ。それに、話しても、実際には何の役にも立たない。しかし、彼らは今もなお存在している。彼らは今もなお手を貸そうとしている、と言うことはできる。 

幾つかのグループは、今も実に活発に働きかけている。例えば、アショカ・グループ。アショカが世界のどの皇帝よりも意味のあることを成し遂げたとするなら、それは、この9人の秘教グループを創設したことだ。アクバル帝は、さまざまな面で、アショカをまねようとした。彼もまた9人のグループをつくりだしたが、それは意味のないものだった。彼らは、ただの側近にすぎなかった・・「Nava Ratha」アクバルの9つの宝石。しかし、彼らは人造宝石、顕教にすぎなかった。ある者は詩人、ある者は戦士というふうに・・それでは意味をなさない。アクバルは、アショカが9人のグループ、9人の賢者を擁していたことをどこからか聞き知って、9つの宝石のグループをつくった。だが、彼はアショカ・グループのことは何も知らなかった。 

アショカ・グループは、2000年間続いてきた。それは、今なお活発に働いている。鍵を携えて、依然、ワークを続けている。神智学運動の全体は、このグループによって秘儀の伝授を受けた。神智学で、仏陀がもっとも重要な人物になっているのはそのためだ。神智学のメンバー全員が、ある意味で仏教徒ヒンドゥー教徒だったので、西洋諸国は、それをたんなる西洋を改宗させようとする東洋の努力・・新しい衣をまとって活動するヒンドゥー教だと見なしていた。それが東洋的であるというのは、ある意味では当たっている。なぜなら、秘儀を伝授したグループが仏教徒の一団だったからだ。 

あなたも秘教グループと接触することができる。接触するためのテクニックや手法がある。だが、あなたは自分自身に大いに働きかけなければならない。今のままのあなたでは、決して接触することができない。たとえ秘教グループのそばを通り過ぎても、正体を見抜くことさえできないだろう。あなたは自分自身を変容させ、新しい次元に波長を合わせなければならない。新しい波動を感じることができるように、もっと敏感にならなければならない。 

そうなったら、あなたは私がどこかの秘教グループと接触しているかどうかと尋ねたりしない。私のそばに坐るだけで、わかるようになる。私の眼に見入るだけで、わかるようになる。あなたはそれを感じるだろう。私の言葉を聴くだけで、あるいは、私の沈黙を聴くだけで、あなたは理解するだろう。だが、その理解は、あなたが自分自身を変容させ、新しい現実に自己を同調させ、新しい次元に自己を開いたときに初めて訪れる。 

秘教グループは存在している。いつでもそこにある。あなたが閉じているだけだ・・あなたは想念のなか、思考のなか、自分自身のなかに閉じ込もり、入口も、窓も、扉もない。空はそこにある。ちょっと窓を開けてごらん。そうすれば、空や星々があるのに気づくだろう。たとえそれがどんなにはるか彼方にあろうとも、すぐそばにある窓を開けるだけで、あなたは遠くの星と触れ合っている。ある意味で、それは理に合わない。こんなに近くの窓を開けるだけで、どうしてあんなに遠くの星々に触れることができるのか? 

私があなたに「後ろの窓を開けてごらん。そうすれば、宇宙全体と触れ合うことになる」と言うと、あなたは「馬鹿馬鹿しい。こんな近くの窓を開けるだけで、どうしてあんなに遠くにあるものと触れ合うことができるだろう?」と言うだろう。だが、それはそうなのだ。心の窓を開け、瞑想という窓をつくりだすがいい。そうすれば、はるか彼方の膨大な光や、いつも周囲で起こっている無数の出来事と触れ合うだろう。ちょっと角を曲がれば、あなたのすぐそばで、あらゆることが起きている。ところが、あなたは眼が見えない。あるいは眠っているか、まるで無自覚だ。私は「ここ」にいる。だが、ここで何が起こっているかを、あなたは想像することができない。あなたは見当もつかない! 

私の大学時代のことだ。仏陀の誕生祭に副総長が講演をした。私は、当時、大学の1年だった。副総長はこう言った。「私は、ゴータマ仏陀が生きていた時代に生まれたかった。私は仏陀に帰依したことだろう」そこで、私は横やりを入れた。「考え直してください。もう一度考えてみてから話してください。本当に、仏陀に帰依したと思いますか?今世で、どこかの物乞いに帰依したことがありますか?仏陀は物乞いだったのですよ。物乞いの姿をしたマスターに、物乞いの姿をした目に見えない世界のマスターに帰依したことがありますか?私の知る限り、あなたは誰のもとにもおもむいたことがありません。ですから、考え直してみてください。仏陀の時代に生まれていたなら、彼に帰依していたでしょうか?彼を仏陀と認めたでしょうか?あなたは、今世で誰かを認めたことがありますか?」 

彼は不意を打たれて、あっけにとられ、押し黙った。やがて彼はこう言った。「私は前言を取り消す。確かにこれまで一度もじっくり考えたことがなかった。誰のもとにもおもむいたことがないというのは本当だ。だから、私が仏陀のもとには行かなかっただろうという君の指摘は筋が通っている。仏陀のそばを通り過ぎても、私は彼を見なかっただろう。見たとしても、彼に気づかなかっただろう。仏陀に触れた人々がすべて彼を認めたわけではない。確かにその通りだ」仏陀が村を通り過ぎているのに、誰ひとり気づかなかったこともある。仏陀の父も気づかなかった。仏陀の妻さえ気づかなかった。 

私はここにいる。だが、あなたには、内側に何があるかは察知できない。あなたにわかるのは外側だけだ。あなたが見知るのは外側のものだけだ。だが、それはしかたのないことだ。あなたは自分自身の内性に触れていない。だとしたら、どうして私の内性に触れることができるだろう?それは不可能だ。だが、あなたが自分自身の内性に触れたら、私の内性を感じることは容易になる。そうなったら、あなたは私の内性、あるいは、内性そのものに触れることができる。そうならない限り、あなたは私に質問をつづけ、私は答えつづけることになるだろう。それでは何もかも要点を取り逃がすだけだ。 

私はあなたに答えているが、それはあなたに私の答えから答えを引き出させるためではない。いいや、私は不可能なことは望まない。それに、私の答えがそのままあなたの答えになりうるとは思っていない。私の答えがあなたの役に立たないことを、私はよく知っている。では、なぜあなたの質問に答えつづけているのだろう? 

私が答えつづけているのは、私の答えをあなたに押しつけるためでなく、黙って、全一に私に聴き入ることができたら、その沈黙の傾聴のなかで、自分自身の内性に直接遭遇することになるからだ。答えは、不意にあなたの内部で爆発しうる。突然、あなたはこれまで生きてきたどの世界ともまったく異なる別の世界に生まれ変わる。そして、それが起これば、あなたは新しい生命を得ている。その新しい生命があなたのものとなる。それが秘教の内なる奥義だ。その内なる生命には、あなたが求めている一切のものが備わっている。

OSHO,「未知への扉」第8章 秘教グループ(瞑想社)より抜粋  
(※1971年、ボンベイ、ウッドランド・アパートメントで行われた、OSHOによる最初の英語の講話「I AM THE GATE」) 



第8章補注 「デーバダッタの最後の試み」 
※OSHOは、同時期に行われた別の講話のなかで、クリシュナムルティマイトレーヤが降臨するのを妨げたある力について次のように詳しく述べている・・ 

ニティヤナンダは、彼をマイトレーヤの媒体にするための強烈な準備の結果、夭折した。クリシュナムルティは、彼の弟の死によって精神的にひどくかき乱されたために、媒体になることができなかった。クリシュナムルティは、9歳のときに、アニー・ベサントとリードビーターによって選ばれた。だが、この世界は大いなるドラマだ。この実験は、偉大な霊的諸力によってなされた。ドラマは強力な力を持った人々によって国際的な舞台の上で演じられた。 

マイトレーヤクリシュナムルティに降臨する可能性が間近に迫り、確実になったとき、仏陀の従兄弟でありながら、生涯にわたって仏陀に敵対し、何度も仏陀の命を狙ったデーバダッタの魂が、クリシュナムルティの父親の心に影響を与えた。こうして、デーバダッタの影響のもとに、ひとつの裁判がクリシュナムルティの父親によって起こされた。それはアニー・ベサントや他の神智学会員に対して、彼らの保護下にあった息子のクリシュナムルティの親権の返還を要求するものだった。この訴訟は枢密院にまで持ち越された。この事実はまだ語られたことがない。私が初めてそのことを話している。 

アニー・ベサント女史は、法廷で全力を尽くして闘った。だが、法廷では彼女に勝ち目はなかった。なぜなら、未成年の子供の親権を主張するのは父親の権利だったからだ。たとえ子供が父親のもとへ行くことを拒んでも、未成年であるために勝訴する見込みはなかった。それゆえに、彼らはクリシュナムルティを連れて、インドから逃げ出さざるをえなかった。インドでは裁判が続けられ、アニー・ベサントは、クリシュナムルティと共にインドから逃げ出した。裁判は最高裁まで持ち越されたが、アニー・ベサントはそこで敗訴した。それは法的な闘争だったが、この時点ではデーバダッタの方がより強力だったからだ。・・(中略)・・ 

その後、アニー・ベサントは、ロンドンの枢密院にこの件を上訴した。そして、判決は、あらゆる法令に反して覆され、子供はアニー・ベサントのもとに留まることが許された。これは先例のない出来事であり、また判決は公正でも正当でもなかった。だが、訴訟は枢密院以上には持ち越せない。この判決は、下級裁判所や上訴裁判所では干渉を控えていたマイトレーヤの魂の感化を受けて可能となった。彼は、最終法廷のために感化力を温存していたのだ。 

このように、それは低次の領域では新聞の見出しに大きく記載された法的なドラマであり、裁判所では法的な闘いがくり広げられた。だが、高次の領域では、マイトレーヤ仏陀)とデーバダッタという強力なふたつの魂のあいだで凄まじい闘いが行われたのだ。その後、おそらくかつてどの個人に対してもなされたことがないほどの大いなる労力がクリシュナムルティの準備のために払われた。個人があることを成就しようとして、自らを整えるためにもっと大いなる労苦を払ったことはあるかもしれない。だが、一人の人物にこれだけ多くの者たちがこれだけ多くのものを賭けたことはかつてない。 

だが、この偉大な努力にもかかわらず、すべての希望が潰え去るときがやって来た。神智学者たちは、6000人もの人々を世界中からオランダに集めた。そして、その日、クリシュナムルティは自らの人格を放棄してマイトレーヤの人格を受け容れたと公表する手筈が整えられていた。準備はすべて完了していた。長く待たれた瞬間がやって来た。クリシュナムルティは演壇に上り「私はもはやクリシュナムルティではない。マイトレーヤの魂が入り、話しはじめる」と宣言することになっていた。はるばる世界中から6000人の代表者たちが、マイトレーヤの声を聴こうと期待に胸を膨らませて集まっていた。前例のない偉大な出来事が起ころうとしていた。 

だが、何も起こらなかった。その決定的な瞬間に、クリシュナムルティは、個性を放棄することを拒絶した。デーバダッタが最後の試みを行ったのだ。枢密院でなされなかったことが、代表者の最終会議でなし遂げられた。彼はクリシュナムルティをして「私は世界教師ではない。他の魂とは一切関係がない。私は私自身であり、それ以上のことは何も語りたくない」と言わしめた。偉大な実験は失敗に終わった。だが、ある意味ではそれはその種のタイプのものとしては最初の実験であり、失敗する可能性の方が高かった。 

OSHO:DIMENSIONS BEYOND THE KNOWN 第4話より引用