72.ヴィパサナ、全ての瞑想の本質
<OSHOの講話より>
ヴィパサナは、他のいかなる方法よりも、多くの人々を光明に導いた瞑想方法だ。なぜならヴィパサナは、瞑想の本質そのものだからだ。
他の全ての瞑想法にも、それと同じ本質がある。だが、その形態が異なっている。何か本質的でないものが、それに結合されている。
だがヴィパサナは、純粋なる本質だ。そこからは、もはや何も落とすことが出来ないし、何かを加えて改良することも出来ない。
ヴィパサナは、幼い子供にも出来るほど単純だ。事実、まだ幼い子供のマインドは、ガラクタに覆われていないから、あなた方よりよほど上手くヴィパサナが出来る。幼い子供は汚れがなく、無邪気だ。
ヴィパサナは、あなたに適した瞑想法だと、私は助言する。ヴィパサナは、3つの方法で行うことが出来る。どの方法が、最も自分に適しているかは、各自で選ぶがいい。
最初の方法は、自分の動作、身体、マインド、ハートへの気づきだ。
歩く時は、気づきをもって歩かなければならない。手を動かす時は、気づきをもって、自分が手を動かしていることに完全に気づきながら、動かさなければならない。
無意識に機械的に、手を動かすことも出来る。朝の散歩をしている時、自分の足を意識せずに、動かすことも出来る。身体の動きに、気づいていなさい。
食事をしている時、食べることに必要な動きに、気づいていなさい。シャワーを浴びる時、身体に触れる冷たさに、気づいていなさい。水が、身体の上に落ちて来る。そして、その素晴らしい気持ち良さ・・・それに気づいていなさい。それらが、無意識状態の内に起こってはならない。
それは、マインドに対しても同じことだ。マインドというスクリーンの上を、どのような思考が通過するとしても、ただ観照者でいなさい。
ハートというスクリーンの上を、どのような感情が通過するとしても、ただ観照者でいなさい・・・巻き込まれても、自己同化してもならない。
何が正しく、何が間違っている、などと評価してはならない。それは、瞑想の一部ではない。あなたの瞑想は、無選択の覚醒であるべきだ。
やがて、非常に微妙なマインドの動きさえ、見守ることが出来るようになる。
夜のとばりが、ゆっくりと世界を包み込んでゆくように、いかにして悲しみが、あなたの内側に落ち着くか、いかにして突然、ほんの些細な事柄が、あなたを歓喜させるかを。
ただ、観照者でいなさい。「私が悲しい」と思ってはならない。「私の周囲に悲しみがあり、私の周囲に歓びがある。私はある種の感情、または気分を通過している」ということに、ただ気づいていなさい。
だが、あなたは常に、遥か彼方にいる。丘の上の見張り番で、他の全ては、遥か下方の谷で起こっている。これがヴィパサナの、ひとつのやり方だ。
女性は男性よりも、自分の身体に敏感だ。ゆえに私は、この方法が、女性に適していると思う。この方法は、女性にとって自然に起こることだ。
女性は男性よりも、自分がどのように映っているかを、意識している。自分がどのように動いているかを、意識している。自分がどのように座っているかを、意識している。
女性は、常に優雅であろうとする。それは、条件付けであるばかりではない。女性にとっては、自然で生理的なことだ
第2の方法は、呼吸・・・呼吸に気づいていることだ。
呼吸が入って来るにつれて、腹は前に出る。そして呼吸が出てゆくにつれて、腹は再び元に戻る。そこで第2の方法は、膨らんでは戻る腹に、気づいていることだ。
膨らんでは戻る腹に、気づいているだけで・・・そして腹は、生命の源に極めて近い。嬰児はへそを通して、母体と繋がっていたからだ。へその内側には生命の源泉がある。
だから腹が膨らむ時、それは、生命エネルギーに他ならない。ひとつひとつの呼吸によって、生命の泉が、隆起し下降する。
それもまた、難しいことではない。この手法は、単一のテクニックであるから、おそらく最初の方法より易しいだろう。
最初の方法では、身体に気づき、感情や気分に、気づいていなければならない。だからそこには、3つの段階がある。
第2の方法には、ひとつの段階があるだけだ。腹が前に膨らんで、また元に戻る。しかも成果は同じだ。腹に気づくことが出来るようになるにつれて、マインドは次第に沈静し、ハートも次第に沈静し、気分の変化は消えてゆく。
そして第3の方法は、呼吸の入口・・・呼吸が、鼻孔を通過するのに、気づいていることだ。
腹の、もうひとつの対極である、鼻孔で呼吸を感じる。呼吸が入って来る時には、ある種の涼味を鼻孔に感じる。そして呼吸が出てゆく・・・呼吸が入り、そして出てゆく・・・
それもまた、可能だ。この方法は、女性よりも男性の方が簡単に出来る。女性は腹の方に、より気づきが向かっている。
たいていの男性は、腹まで深く呼吸することがない。誤った運動理論が、世界中に広まってしまった為に、男性は胸が膨らんで、また元に戻るだけだ。胸が大きく、腹がほとんど存在していないような体形は、確かに美しい。
男性は、胸までしか入らない呼吸を、選んでしまった。そして胸はさらに大きくなり、腹はさらに縮んでしまう。その方が強靭に見える。
日本を除いて、世界中どこでも運動家や運動の教師達は、肺を満たす呼吸、胸を広げる呼吸、腹を押し込む呼吸に重点を置いている。
理想は、胸が大きく腹が非常に小さい、ライオンだ。だから、ライオンのようになりなさい。運動指導者と身体の専門家達にとって、それが基本理論になってしまった。
呼吸を見つめる時、それらが2つのポイントになる。腹式呼吸と、腹部の上下を見つめることによって、体形が崩れることを心配するなら・・・男性は、自分の体形の方が気になるだろう。
それならば、呼吸の入り口である、鼻孔の辺りを見つめる方が、簡単だ。呼吸が入って来る時に見守り、呼吸が出てゆく時に、見守りなさい。
以上が、3つの方法だ。そして、その中のひとつで充分だ。2つの方法を同時に行いたい場合は、それもいい。その時は、さらに努力が必要だ。
3つの方法を全て、同時に行いたい場合は、それもかまわない。そうすれば、プロセスは速くなるだろう。だが、それはあなた次第だ。何であれ、自分でやり易いと感じることをやりなさい。
憶えておくがいい。易しいことが、正しいことだ。
瞑想が根づいてゆくにつれて、マインドは沈静し、エゴは消滅する。あなたはそこにいるが、「私が」という感覚はない。その時、扉は開かれる。
愛に溢れた期待の気持ちと、大いなる瞬間を、ハートに出迎える気持ちをもって、待つがいい・・・全ての人々の人生にとって、最大の瞬間・・・光明・・・が訪れる。
光明は、やって来る。必ずやって来る。光明は、一瞬たりとも遅れたことがない。
正しくチューニング(同調)すれば、それは突然、内側で爆発して、あなたを変容する。
古い人物としてのあなたは死滅し、新しい人物がやって来る。
OSHO:New Dawn より抜粋