OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

111.愛は飛んでいる鳥のよう

<OSHOの講話より>   

質問:私の63年の人生の中で、あなたは、私を他者に依存させなくした初めての恋愛関係です。これは、どのようにして起こったのですか? 

愛は自由をもたらす。そして自由をもたらさない愛は、愛ではない。愛は支配ではない。どうしてあなたは愛する人を支配出来るかね?どうしてあなたは彼を依存させておき、なおかつ愛するなんてことが出来るかね?しかしそれが愛の名のもとで、世界で起こり続けていることだ。 

何か他のもの・・・力に対する欲望、相手を支配したいという欲望。当然、他者に依存しないことが許されるはずはない。相手は自分のカーボン・コピーであるべきだ、というあらゆる試みがなされる。あなたは相手の自由を恐れている。なぜなら、自由は操作出来るようなものではないからだ。自由は予測出来るものではないからだ。だからすべてのいわゆる愛は、あらゆる方法で自由を破壊しようとする・・・そして自由が破壊される瞬間、愛は死ぬ。 

愛は、まるで薔薇の花のようにとても脆(もろ)い。あなたはそれが雨に、風に、太陽に踊るのを許さなければならない。 

愛は飛んでいる鳥のようだ。空全体を自由として持っている。あなたは鳥を捕まえることは出来る。あなたはそれを美しい黄金の鳥籠に入れることは出来る。そして、それは空全体を自分のものとして自由に飛び回っていた、その同じ鳥のように見える。それはただ同じ鳥であるかのように見えるだけだ。そうではない、あなたはそれを殺してしまったのだ。あなたはその羽を切ってしまった。あなたはその空を取り去ってしまった。そして、鳥達はあなたの黄金になどかまってはいない。あなたの鳥籠がどれほど高価であっても、それは監禁だ。 

それが私達の愛によってなされていることだ。私達は黄金の鳥籠を作る。私達は恐れている。なぜなら空は広大だからだ。その恐れとは、鳥は戻って来ないかもしれないということだ。それをあなたの支配下に置く為には、監禁しなければならない。それが、いかにして愛が結婚になるかだ。 

愛は飛んでいる鳥だ。結婚は黄金の籠に入った鳥だ。そして間違いなく、鳥は決してあなたを許しはしない。あなたはその全ての美、その全ての喜び、その全ての自由を破壊した。あなたはその精神を破壊した・・・それはただの死んだ複製だ。だが、あなたはあるひとつのことを確実にした。それはあなたから逃れることは出来ないということ、それはいつでもあなたのものだろうということ、明日もまたそれはあなたのものだろうし、明後日も・・・ということを。 

恋人達はいつも恐れている。その恐れは、愛がそよ風のようにやって来るからだ。あなたはそれを造ることは出来ない。それは製造されるような何かではない・・・それはやって来る。だがひとりでにやって来るものはどれも、またひとりでに去ってしまい得る。それは自然のあり方だ。愛はやって来る。そしてあなたの中に花が咲き、あなたのハートに歌が生まれ、踊りたいという欲求が生まれる・・・だが、隠された恐怖を伴(ともな)ったまま。 

あなたのところにやって来た、この・・・涼しく、芳香を放つ・・・そよ風が、もし明日あなたのもとを去ったらどうなるだろう?なぜなら、存在はあなたに限られている訳ではないからだ。そしてそよ風は客にすぎない。それはいたいと思うだけあなたと一緒にいて、どの瞬間にでも去って行くだろう。 

このことが人々の中に恐怖を作り出す。そして彼らは所有するようになる。彼らはそよ風を取っておく為に、扉や窓を閉め始める。しかし扉や窓が閉まっていると、それは同じそよ風ではない。その涼しさは失われ、その芳香は失われている・・・。まもなくそれは吐き気を催すものになる。それには自由が必要だ。が、あなたはその自由を取り去ってしまった・・・それはただの死体にすぎない。 

愛の名のもとに、人々は互いの死体をかつぎ合っている・・・それを彼らは結婚と呼ぶ。そして死体をかつぐ為にあなたは政府の登録所に行って、それを合法的な契約にしなければならない。愛は結婚を許すことは出来ない。真正な世界では結婚はあり得ないだろう。

人は愛すべきだ。強烈に愛し、トータル(全一)に愛すべきだ。そして明日を思い煩ってはいけない。もし存在が今日もそれほど至福に満ちているのなら、存在は明日はより美しく、より至福に満ちることを信頼しなさい。あなたの信頼が成長するにつれ、存在はあなたにもっともっと気前がよくなって来る。より多くの愛があなたに注がれるだろう。より多くの喜びと歓喜の花があなたに降り注がれるだろう。 

あなたの63年の人生の中で、あなたが愛の名のもとに知ったものはどれも愛ではなかった。それは夢中にさせることではあったかもしれない。それは生物的な引力ではあったかもしれない。それは2人の個人に対するホルモンの陰謀ではあったかもしれない。だが愛ではなかった。 

あなたは初めて愛を知った・・・なぜなら、このことが唯一の基準だからだ。あなたの自由がより深く成長して行くにつれ、あなたの独自性はより堅実に、統合されて、結晶化して行く。このことが愛があなたを訪れたという、愛があなたのハートの客だという唯一の基準だ。 

それに誰が明日になどかまうだろう?明日にかまう人々は今日を持たない人々だ。彼らはまさに今惨めでいて、しかもそれを隠そうとする。明日への希望の中で、欲求の中で、夢の中でそれを無視しようとする。だが明日など決して来ない。これは難しさのひとつだ。

やって来るのはいつでも今日だ。そして、あなたは今日惨めであることに慣れてしまっている。そして明日への希望を持ち、欲求し、夢を見ている。あなたは生を取り逃がした。人々はそれほどにも「明日」に慣れてしまったので、この世の明日を考えるだけではなく、死後の生のことまで考えている。 

人々はよく私に尋ねたものだ。「生の後には何が起こるのでしょうか?死の後には何が起こるのでしょうか?」そして私は、彼らにいつもこう言っていた。「死以前に起こっていること、それと同じことが続く。あなたは今日、至福に満ちているかね?なぜなら明日は今日の中から生まれて来るからだ。今日が、あなたの未来全体をはらんでいるのだ」 

強烈に、喜びに溢れて、トータルに愛しなさい。そうすれば、あなたは決して束縛や契約を作ることなど考えないだろう。あなたは決して人を依存させようなどとは考えないだろう。あなたは相手の自由を破壊するほどまでに・・・もしあなたが愛していれば・・・残酷ではないだろう。あなたは相手を助けるだろう。彼の空をより大きくするだろう。 

愛には基準がひとつしかない。それは自由を与える。そして無条件に与える。 
あなたは初めて愛を経験した。だがそれは、たとえあなたが63歳だとしても遅すぎはしない。愛は老年を青年に変容させる。もしあなたが、そのまさに最後の一息まで愛し続けられれば、あなたは若いままでいるだろう。愛は老年を知らない。愛は死を知らない。もしあなたが愛し続けられれば、あなたの愛は死をも超えて続くだろう。愛は、生においてもっとも尊い経験だ。 

OSHO:The Golden Future,(1987,5,20)「ニュー・ウーマン誕生」(日本語版)(めるくまーる社)より