OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

127.断食による解毒

<OSHOの講話より> 

質問:身体の解毒法として、断食を推奨なさいますか?私は最近、ベジタリアンになりました。 

断食をすると、身体はもう消化の作業をしなくて済む。その期間、身体は死んだ細胞や毒素の排出に取り組むことが出来る。それは土曜日や日曜日の休日に、家に帰って日がな1日掃除をするのと似ている。 

1週間ずっと暇なく忙しかったので、あなたは家を掃除出来なかった。そこで1日かけて全てを掃除する。何も消化するものがない時や何も食べなかった時、身体は自分自身の掃除を始める。 

そのプロセスは自発的に始まり、身体は不要なもの、重荷のように感じられていたものを全て捨て始める。断食は浄化の手法だ。ときたまであれば、断食は素晴らしい・・・ 

何もせず、食べず、ただ休息する。出来るだけたくさん飲物を摂り、ただ休息する。すると身体は清浄になる。ときにもっと長期の断食が必要だと感じるなら、長期の断食をしてもかまわない・・・ただし、その間は自分の身体を深く慈しむこと。 

そして断食が何かしら身体に害を及ぼすような気がしたら、やめることだ。断食が身体の助けになっていれば、よりエネルギーが充実し、生き生きとして元気を取り戻し、活力を得る感じがするだろう。これを基準にするといい。 

衰弱するような感じ、身体が微かに震えるような感じがし始めたら気をつけなさい。もはや断食は浄化ではなく、有害になっている。断食をやめることだ。 

だが、初めに断食の科学の全般を学んでおいた方がいい。実際に断食をする前に、長らく断食をやって来て全てに精通している人、問題となるあらゆる症状を知っている人に相談するといい・・・断食が有害となった場合は何が起こり始めるのか、有害でなかった場合は何が起こるのか。 

真の浄化が行なわれた断食の後は一新され、より若く、より清浄で、体重が軽く、より幸せな感じがするだろう。そして身体はより順調に機能しているだろう。もはや身体は重荷を降ろしたのだから。 

ただし、間違った食べ方をして来た場合にのみ断食するといい。間違った食べ方をして来なかったのなら、断食する必要はない。断食が必要なのは、食習慣によってすでに身体を痛めつけて来た場合だけだ・・・もっとも、私達は誰もがそうしている。 

人間は道を失ってしまった。人間のような食べ方をする動物はいない。全ての動物には好みの食べ物がある。バッファローを庭に連れ出して放したら、彼らは特定の草しか食べない。何でもかんでも食べ続けたりはしない・・・ 

彼らは好みがうるさい。彼らには、食べ物に関する一定の感覚がある。人間は食べ物に関する感覚を完全に失い、無感覚になっている。人間は何でもかんでも食べ続ける。 

実のところ、どこかしらで人間に食されていないものを探すのは不可能だろう。ある地ではアリが食べられている。ある地ではヘビが食べられている。ある地ではイヌが食べられている。 

人間はあらゆるものを食べて来た。人間は本当に狂っている。人間はどれが自分の身体と共鳴し、どれが共鳴しないのかを知らない。完全に混乱している。 

自然なあり方からすると、人間は菜食であるべきだ。なぜなら、身体全体が菜食用に創られているからだ。科学者でさえこの事実をしぶしぶ認めているが、人間の身体の全構造は、人間が菜食であるべきことを示している。 

人間はサルの子孫であり、サル達は菜食だ・・・完全な菜食だ。もしダーウィンの考えが本当なら、人間は菜食であるべきだ。現在、特定の動物の種が、菜食か非菜食かを調べる方法がある。それは腸によるもの、腸の長さによるものだ。 

非菜食の動物は、腸がとても短い。トラやライオン・・・彼らの腸はとても短い。なぜなら、肉はすでに消化された食物だからだ。肉を消化するには、腸は長くなくてもいい。 

消化の作業は、動物によって為されている。今、あなたは動物の肉を食べている。それはすでに消化されている・・・長い腸は必要ない。人間はもっとも長い腸を持つ種のひとつだ。つまり人間は菜食だ。 

長時間の消化が必要で、たくさんの排泄物がそこに留まる。それは排出されなければならない。菜食なのに肉を食べ続けると、身体に負荷がかかる。 

東洋では偉大な瞑想者達・・・仏陀やマハヴィーラは、その事実を強調していた。これは非暴力という概念の為ではない。それは二次的なものだ。 

そうではなく、深い瞑想の中に入っていきたいと本気で望むなら、身体は軽く、自然で、流れている必要がある。身体は重荷を降ろす必要がある。 

一方、非菜食の人の身体は大変な重荷を負っている。肉を食べると何が起こるか、ちょっと観察してごらん。動物を殺す時、殺される瞬間の動物に何が起こるだろう? 

もちろん誰も殺されたいとは思わない。生命は生き延びることを望む。動物は喜んで死ぬ訳ではない。誰かがあなたを殺したら、あなたも喜んで死にはしないだろう。ライオンがあなたに飛び掛かってあなたを殺したら、あなたのマインドには何が起こるだろう? 

あなたがライオンを殺す時にも同じことが起こる。断末魔の苦しみ、恐怖、死、苦悩、不安、怒り、暴力、悲しみ・・・これら全てが動物の身に起こる。全身に暴力、苦悩、断末魔の苦しみが広がる。全身に毒素と毒物が充満する。 

動物は全く望まずに死んでいく為、あらゆる腺が毒を分泌する。そして、あなたはその肉を食べる・・・その肉は、動物が分泌したあらゆる毒を含んでいる。エネルギー全体が有毒だ。そうした毒が、あなたの身体に運ばれる。 

あなたの食べているその肉は、動物の身体の一部だった。それは、その場所で特定の目的を担っていた。動物の身体には、特定の種類の意識が存在している。 

あなたは動物の意識よりも高い次元にいる。だが動物の肉を食べると、あなたの身体は最低の次元へ、動物の次元よりも下に落ちる。すると、あなたの意識と身体にギャップが生じる。そして緊張が生じ、不安が生まれる。 

自然なものを食べるといい・・・あなたにとって自然なものを。果物、木の実、野菜・・・出来るだけたくさん食べなさい。そして、これらは必要以上に食べられないという点が美しい。 

自然なものは、どれもあなたに満足を与えてくれる。それはあなたの身体を堪能させ、あなたを十二分に満足させてくれるからだ。あなたは満足感を得る。何かが不自然だと、それは決して満足感を与えてはくれない。 

アイスクリームを食べ続けてごらん。満足したとは決して思えないだろう。実のところ食べれば食べるほど、もっと食べたくなる。それは食べ物ではない。 

あなたのマインドは騙(だま)されている。あなたはもはや身体の必要に応じて食べているのではなく、アイスクリームを味わう為だけに食べている。舌が支配者になっている。

舌は支配者になるべきではない。舌は胃のことは全く知らず、身体のことを全く知らない。舌には、食べ物の味を確かめるという特定の目的がある。 

自然の摂理からして、どの食べ物が身体の・・・自分の身体の為になるか、どの食べ物が身体の為にならないかを、舌が判断しなければならない。これが舌の唯一の機能だ。 

舌は門番にすぎない。主人ではない。門番が主人になったら、全てが混乱してしまう。 

OSHO:「こころでからだの声を聴く」(市民出版社)より