OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

140.決然とした態度

<OSHOの講話より> 

スートラ:呂祖師は言った。純一なハートで決然と実行しなければならない。そうすれば成果は求めずとも、自ずからやって来る。 

途方もなく深い意義を秘めた言明だ。この言葉が鍵となる・・・純一なハートで決然としなければならない。 

まず第1に、人は決然とした態度を取るようになって、初めて生まれる。決意と共に人間が誕生する。優柔不断な生き方をしている者達は、実はまだ人間ではない。そして何百万もの人々が優柔不断な生き方をしている。彼らは何についても決められない。彼らは他人に寄りかかってばかりいる。誰かが彼らの代わりに決めてやらねばならない。権威者の周りに人々が群がるのは、その為だ。 

権威主義がこの世から消えないただひとつの理由は、無数の人々が自分では決められないからだ。彼らは命令が下されるのを、今か今かと待っている。一度命令が下されると、彼らはそれに従う。だがこれは隷属だ。彼らはそのようにして、自らの魂が誕生するのを阻(はば)んで来た。決意があなたの実存の中に生まれる必要がある。決然とした態度と共に、まとまりが生まれて来るからだ。 

優柔不断さとは何か?それはあなたが群衆であることを示している。あなたの中には矛盾し合う声がたくさんあり、どっちへ行ったらいいのかすら決められない。人々は些細なことにも優柔不断だ・・・どの映画を見に行くかといったことさえ決められない。優柔不断さがほとんど生活様式になってしまっている。 

これを買おうかあれを買おうか?買い物をする人々を見てみるがいい。なんと優柔不断なことか。どこかの店に坐って人々が、客が出入りするのを見てみるがいい。あなたは驚くことだろう・・・人々はどうやって決めればいいのか分からない。そして、どうやって決めればいいのか分からない人達は、常にぼんやりと朦朧としていて、混乱している。 

決意と共に明晰さが生まれて来る。そして決然とした態度がすみずみまで及び、あなたの基盤と関わるようになったら、必ず人間が誕生する。そして決断するなら・・・いいかね、決断するなら必ず実行すること。そう出来なければ、決断などしない方がいい。その方がもっと危険だからだ・・・優柔不断よりももっと危険だ。決断しながらも実行しなければ、全く無気力な人間になってゆく。それなら決断などしない方がましだったことになる。 

決意しながらいつまで経っても実行しない者達がいる。彼らは自らの実存への信頼や自信を、徐々に失っていく。何を決意しても実行など出来ないのだということが、だんだん分かって来る。彼らは分裂してしまう。自分を当てに出来なくなる。決断しているその時ですら、自分は実行しないだろうということが分かっている。なぜなら、自分が過去に何をやって来たか知っているからだ。彼らは決断するたびに、それを裏切って来た。そうなったらごく小さな決断でさえ、非常に破壊的なものになりかねない。 

小さな決断、ごくありふれた決断、何でもないような決断でさえ・・・タバコを吸う、吸わないは大したことではない。それで世界が変わる訳ではない。20年もすれば結核を患うかもしれないが、それは治すことが出来る。あるいは2,3年早く死んでしまうかもしれないが、それがどうしたというのだね?どちらにしても、本当に生きたことなどなかったのに。 

小さな決断、タバコを吸わないといった取るに足らない決断でも、実行しなければ危険なことになる。あなたは自信をなくしてしまう。自らの実存への信頼を失ってしまう。自分が当てにならなくなる。そんな決断はしない方がいい。タバコを吸い続けなさい。 

決断をするなら、腹を決めることだ。そうなったら何が起ころうと、やり遂げるがいい。そしてやり遂げられたなら、明晰さが内側に湧き起こり、雲が消え、何かが自分の中で根づき、中心を定めてゆくのが分かる。決然とした態度を取ることは、途方もなく重要なことであり意味がある。いったん決意したなら、全身全霊を込めて実行しなければならない。 

『純一なハートで決然と実行しなければならない。そうすれば成果は求めずとも、自ずからやって来る』 

最も重要なのは、成果を求めている者はすでに分裂しているということだ。そうなったら、あなたのハートは働いていない、すでに成果に目を奪われている。もしあなたが分裂していたら、成果はあげられないだろう。成果があげられるのは、分裂していないハートだけだ。 

ことの成り行きや結果を気にせず、旅そのものをこの上もなく楽しみ、目的地のことなどに構わずにいられるような・・・ゴールのことなど全く気にかけない者だけが辿り着く・・・。彼らの精神は少しも分裂しておらず、旅の一瞬一瞬が、旅の一歩一歩がゴールになるからだ。どこにいようと、自分がいるところがゴールになる。成果のことなど全く気にかけない、霊的な道の上にいる人々が成果をあげる。 

成果を気にかけていたら、成果をあげることは出来ない。思考が未来のどこかにあって、あなたは現在で働いていないからだ。そして仕事が現在において全一に為されて初めて、成果をあげることが出来る。この瞬間が次の瞬間を生んでゆく。この瞬間が全一に生きられたなら、次の瞬間は必ずより深い全一性を、より高い全一性の質を帯びるようになる。だが人々は分裂したままだ。この問題は考察するに値する。なぜなら、これは人間の問題だからだ。 

人は選ばなければならない。人は決断しなければならない。人生の旅路を一歩進むごとに、人は岐路に立たされ、選ばなければならなくなる。全ての道を我がものとすることは出来ないし、全ての道を歩くことは出来ないからだ。私は物事の善し悪しを云々(うんぬん)しているのではない。何であれ全身全霊で選んだものが正しい、と言っているのだ。

あなたの全一な決断が、あなたを変容させる。そのことの方がはるかに重要だ。それがなかったら仏陀のような人と共にいても、あなたが半身に留まり、分裂しているなら、何事も起こらない。いかなる分裂も・・・未来と現在、目的地と旅、この道とあの道・・・分裂はどれもみな危険だ。そうなったら、あなたのエネルギーは無駄に費やされる。 

私は頭がずる賢く振る舞いたがるのを知っている。頭は言う。「両方とっておけばいいじゃないか。何が起こるか分からないぞ。どちらも選べるようにしておくんだ。こっちが上手くゆかなくても、あっちが上手くゆくかもしれない」だが、生はそのようには動かない。 

成果は求めずとも・・・なぜなら、それすらも分裂になるからだ。分裂せずに、完全に今ここにあるがいい・・・成果は、自ずからやって来る。そして成果が自ずからやって来る時、そこには途方もない美が醸(かも)し出される。 

成果をたぐり寄せなくても、それは花のように開く。花は無理やり咲かせなくてもいい。無理やり咲かせると死んでしまう。そういったやり方はよくない。それに早く咲かせすぎたら、香りがなくなってしまう。香りを集め、香りを作り出す為に、花は正しい瞬間を待つ必要があるからだ。香りの準備が整うと、初めて花はひとりでに開く。今や「存在」を分かち合うものを備えているからだ。 

OSHO:The Secret of Secrets 、「黄金の華の秘密」(めるくまーる社) 
(今回は市民出版社OSHOタイムズ、10号より)