10.人には無力である状況というものがある
<OSHOの講話より>
質問:私は母親と多くの点で一致していないと感じています。私はただ、彼女を助けることに希望はないと思っています。私にとって彼女の元を去ることはとても難しいのですが、だからといって、本当に彼女を助けることが出来るという確信もありません。彼女の元を去ることは、ほとんど彼女を裏切るようなものだという気がします。私は本当に彼女を幸せにしてあげたいのです。
人には無力である状況というものがある。そのような状況もまた受け容れなければならない。無力であることを感じる時、あなたのエゴは傷つく。だが、それはよい体験だ。それがものごとの在りようだ。
あなたが何も出来ない状況がある。誰かが年老いている・・・あなたに何が出来る?誰かが死の床にある・・・あなたに何が出来る?
何もするなと言っているのではない。出来ることは何でもやるがいい、それでもなお無力さを感じるだろう、と私は言っているのだ。生とはそのようなものだ。
人間は無力だ。だが、私は何もするなと言っているのではない。出来ることは何でもやるがいい。それでもなお、あなたは無力さを感じる。あなたは満足を感じはしない。
なぜなら、基本的にあなたに何が出来る?誰かが死のうとしているなら、その人は死ぬだろう。あなたは何かしたい・・・死を防ぎたい。だが、それは不可能だ。
・・・そして、誰ひとりとして誰かを幸せにすることは出来ない。もし人々を幸せにすることが可能なら世界中が幸せになっていたことだろう。
なぜなら、誰もが他のみんなを幸せにしようとしているからだ。父親は子供を幸せにしようとし、夫は妻を幸せにしようとし、妻は夫を幸せにしようとしているが、誰ひとり幸せにはなっていないようだ!
幸せになる決意をしない限り、そこにはいかなる可能性もない・・・そして、ごく少数の人々が幸せになる決意をした。
人々は惨めになる決意をして来た。なぜなら惨めさの中で、人々は強力になるからだ。惨めさの中で、彼らは注目の的になる。惨めさの中で、彼らは支配する。
幸せの時は、すべての支配は消え失せる。幸せな人は支配できない。また、幸せな人は、ほとんど無名になる。誰ひとり彼に注目しはしない。
幸せになる決意をしない限り、誰ひとり人を幸せにすることは出来ない。だが、出来ることは何でもやるべきだ。
だから、あなたが裏切っているなどと感じる必要はない。すべてはそれでいい!ある日、人生は終わる。そして、それが終わることは良いことだ。
考えてみるがいい。それが延々と続いてゆくとしたら、ものごとはさらに難しくなる。人はさらに無力さを感じるだろう。
70年は十分すぎる。考えてみるがいい。もしあなたが700年生きなければならず、そして、自殺をする方法もないとしたら、生きることは不可能だ。
偉大なるアレキサンダーについて、ひとつ有名な話がある・・・彼は神酒(ネクター)を探し求めていた。そして、彼は洞窟に隠された神酒の池のある場所にたどり着いたと伝えられている。
彼はそこに到着したことをことのほか喜んだ。今や彼は決して死ぬことはない!彼は両手を丸め・・・そしてまさにその神酒を飲もうとしていた。その時、一羽のカラスが岩の上に止まっていて、彼に話しかけた。
「ちょっと!お待ちなさい!私の話を聞きなさい。さもなければ、あなたは一生後悔し、二度と元に戻る方法はないでしょう。私はその神酒を飲んでしまったために、今はもう死ぬことが出来ません。それが問題なのです。
私はあらゆることを試してみました。どのような毒も効きません。丘から飛び降りました。けれども何ひとつ起こりませんでした。火の中に飛び込みました・・・そして私はうんざりしています!だから、飲む前に思いとどまってください。あなたは決して死ぬことは出来ないでしょう。決して・・・」
そして、アレキサンダーはしばらく待ったあと逃げ出し、走り去ってしまったと伝えられている。彼は神酒を飲むように誘惑されることを恐れたのだ。そうすれば、本当の問題が持ち上がるだろう。
だから何であれ、それは在るように在るのだ。人は、それを受け容れることを学ぶべきだ。それについて思い悩むことはない。
OSHO, The Tongue-Tip Taste of Tao より抜粋