OSHO said

20世紀の覚者、OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)の講話

59.信仰ではなく、体験が唯一の基準

<OSHOの講話より> 

質問:OSHO、あなたはもうひとつ別の条件づけを教えているに過ぎない、ということもあり得るのですか? 

そもそも私が教えていることは、新しい価値ではない。古い価値と置き換わる価値の、新しいセットではない。たとえば神を信じている人達がいる・・・それがひとつのセット。神を信じていない人達がいる・・・それももうひとつ別のセット。 

私がみんなに言っているのは、信じることは問題外だということだ。ひとつの信仰から別の信仰に変わることは、条件づけを変えることであって、あなたは条件づけされたままだ。 

私は、あなたはどんな信仰体系も持たずにいなければならないし、 あなた自身が現実に問いかけなければいけない、と言っているのだ・・・そうすれば、何を見い出そうとも、それがあなた自身の真理だ。 

一度それを知ってしまえば、信仰という問題は生じないのだから、それを信じる必要はない。あなたが信じるのは、自分の知らないことだけだ。知っているのであれば、知っているのだ。信仰は意味をなさない。 

だから私は、あなたに信仰のもうひとつ別のセットを、価値のもうひとつ別のセットを与えている訳ではない。 

私はあなたが、条件づけを全て壊すことの出来るような、ある種のテクニックを与えている。そのテクニックそのものは、条件づけではない。そうはあり得ない。というのも、あなたはそれを信じなくていいからだ。 

あなたに求められているのは、それを体験することだ。そして、あなたの体験がその裏付けとならない限り、それを信用する必要は何もない。 

私がそう言っているから、あなたは全面的に生きることを信じなければならない、というのではない。私が言っているのは、私は全面的に生きているし、これが私の見い出した唯一の生き方だ、ということだ。 

あなたは試してみることが出来る。私は、全面的に生きることを信じなさい、と言っているのではない。信仰は全く必要ない。生きるか、それとも生きないか、どちらかだ。 

だが、もしあなたが味わうことに、探検することに決めたら、そこにあるものをただ見る為に、あなたは綺麗な心で、どんな信仰も持たずに進んで行く。 

そして、もしそれがたまたま喜び、歓喜、祝祭ということになれば、それを続けるか止めるかは、あなた次第だ。 

条件づけは、全て信仰に基づいている。そして私の全努力は、信仰ではなく体験が唯一の基準にならなければならない、ということにある。 

信仰は、全て嘘だ。私の真理ですら、あなたの真理ではない。あなたの真理になり得るのは、あなたの真理だけだ。だから、条件づけという問題はない。 

だが誰であれこの問いを訊ねた人は、試してみることなく、ただ頭で考えているだけだ。そして論理的には、自分を納得させることも出来る。これは価値の新しいセットだ、またしても条件づけだと。 

そうだとしたら、あなたはどうするかね?何をやっても価値の新しいセットになる。何もやらなくても、価値の新しいセットになる。だから、あなたは条件づけから抜け出ることが出来ない。 

あなたの質問は、質問というより声明に近い。条件づけから抜け出る方法はないのだから、なぜ気にするのか?あなたはそう言っているのだ。 

新しいものも条件づけになるのだから、古いものと一緒にいればいいじゃないか。古いものは少なくともよく知られている、踏みならされた道だ・・・我々の祖先の遺産、太古からの真理だ。無数の人々がそれを信じて来た・・・なぜそれを変えるのか? 

あなたはただ、論理的なたわごとに逃げ場を見つけようとしているだけだ。自分の質問をもう一度よく見たら、瞑想は条件づけではないことが、あなたにも分かるだろう。 

それは条件づけを解くことだ。それはあなたにどんな思考も、どんな考えも、どんな観念形態も与えようとしないからだ。それはただ、あらゆることを綺麗にして、あなたを完全に空っぽにしているだけだ。それがどうして条件づけになり得るのかね? 

覚醒は、条件づけにはなり得ない。それはあなた自身のものだ。あなたは生まれつき、それを携えている。それをあなたに与えることは誰にも出来ない。あなたはそれにまとわりついているゴミを、全て放り出せばいいだけだ。 

私の努力は、あなたにあなた自身の個人性(インディヴィジュアリティ)を与えることにある。私は、何かがあなたに付け足されることなど望んでいない。あなたは完璧なまま生まれている。社会があなたを、完璧ではなくさせ続けているのだ。 

私はあなたに、自分の完璧さ、自分の美しさ、自分の喜び、社会があなたのマインドを条件づけすることによって妨げている、全ての祝福が自分に可能だ、ということに気づいて欲しいだけだ。 

私はあなたに、どんな条件づけも与えていない。もし条件づけによって人々をもっと気づかせることが出来ていたら、物事は非常に単純だっただろう。ただ条件づけを与えるだけで人々を至福に満たすことが出来ていたら、物事はとても単純だっただろう。 

あなたは真っ赤な嘘を信じ込まされて来た・・・神、予言者、救世主、神の化身・・・だが至福、自然にあるがままであること、全体的であることを、あなたに条件づけ出来た人は誰もいない。 

というのもこれらの質は、すでにあなたが持っているものだからだ。それらを発見すればいいだけだ。 

条件づけされている物事は、あなたにはない質のものだ。だが社会は絶えず繰り返すことで、あなたのマインドに思考をうまく詰め込むことが出来る。そうすると徐々に徐々に、あなたはそれらを信じるようになっていく。 

人々は空っぽであることを怖れているし、こうした思考が、あなたに満たされた感じを与えてくれるからだ。 

だがもしあなたに、空っぽになるだけの勇気があったら、あなたは自分の自然な質で満たされ、それらは途方もなく美しく、永遠であることの究極の特徴を備えている・・・それこそが奇跡だ。 

一度見つけたら、それらは決してなくならない。 

OSHO,The Path of the Mystic,#37 より抜粋